文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

中国の大量のミサイルのみならず拡大を続ける陸空海全般、サイバー、人工知能(AI)、電子戦能力(さらにロシアの軍事力もある)を考慮しない抑止論はありえない

2020年07月17日 22時01分18秒 | 全般

以下は、高度な「防衛的打撃力」の強化を、と題して、産経新聞の「正論」に掲載された、元駐米大使加藤良三の論文からである。
地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画が事実上撤回された。 
日本はその安全保障・国防政策が「非攻撃的」であるどころか時に「パシフィスト的」でさえある点で世界に冠たる国である。
新型コロナ禍の今日までよく持ってきたとの感慨を持つ。
戦後、広まった「瓶の蓋(ふた)」論 
戦後アメリカには軍の首脳も含めて「瓶の蓋(ふた」論(日本はアラジンのランプに閉じ込められた『魔神』のごときものであり、一旦蓋を開けたら再び世界に災いを齎すという喩(たとえ))の発想が残り、それ故日本の経済成長は許しても軍事力増強は適度な所で抑えるべきだという世論が根強かった。 
その裏には日本はもとより、極東・西太平洋は自分が抑えるという自信と自負がアメリカにあったわけで、その感覚は現在でも消え去ってはいないと思う。 
このアメリカの感覚があるが故に日本も「ごついことは『アメリカ、よきに計らえ』『自分は思い切りいい子になって経済的利益を満喫する』」という「分業」のうま味を享受できた。
アメリカもそれを結局自分の利益だとして受忍する期間が長かった。その後状況はかなり変わってきていると思われる。 
思い返せば冷戦終了に至るまで、表に出る世界とは別に、アメリカの軍事力は終始一貫ソ連のそれ(ソ連側には強がりも焦りもあったろう)をずっと凌駕していたのではないか? 
同様に筆者は現在のアメリカの軍事力は巷間喧伝される中国の軍事力をまだはるかに上回っているのではないかと直感的に考える。 
ただし、そうであっても有事の際アメリカの「15戦全勝」「完全試合」となることはありえない。
此方(こちら)側も確実に相当の被害を蒙る。
その際はアメリカとして守るべき国益の優先順位に従って守るべきもの、捨てるべきものの「選別」(「トリアージ」という言葉を耳にするが似たところがある)が行われるに違いない。 
日本が守るべき高い優先順位 
筆者はその時、日本がアメリカから守るべき対象として高い優先順位を得ていることが重要だと思い、対日武力攻撃が即対米攻撃だとアメリカに認識されるような日米同盟を構築し、維持すべきだと思って今日に至る。 
日本の抑止力は総じて日本独自の抑止力と日米安保の下、アメリカが有する抑止力の和からなるものであるが、日本の国法、基本政策の建て付けから、日本自身の抑止力には著しい限界がある。 
防衛予算が議会制民主主義の下で厳しい制約下に置かれ、大幅増加は期待できない中で日本は最大効果的活用を目指すしかない。 
一般的に「抑止」についていえば、「抑止力」は基本的に「攻撃的」なものではない。
「害意」を持つ相手に対日攻撃を思いとどまらせるという「防衛的」な性格の概念である。 
その枠内で日本として当然念頭に置くべきは相手の①軍事「能力」②「意図」③「行動パターン」―ということになろう。 
日本が自らにとっての抑止を客観的に考えるなら、抑止の対象として相対的に国民の理解が得やすい北朝鮮のミサイルの脅威が近年強調されがちであるが、中国の大量のミサイルのみならず拡大を続ける陸空海全般、サイバー、人工知能(AI)、電子戦能力(さらにロシアの軍事力もある)を考慮しない抑止論はありえない。 
抑止力は相手の害意を助長させない、端的にいうなら相手が最も嫌がる「ツボ」をついた効率的なものであるべきだろう。 
この点からしてイージス・アショアの費用対効果、例えば対中抑止力はどれ位のものか筆者には知る由がない。 
中国の古い兵法書「三十六計」の冒頭に「満天過海」があるが、これは「敵に繰り返し同じ行動を見せ見慣れさせておいて油断を誘い、ある時一気に攻撃する」という意味らしい。 
中国の南シナ海、東シナ海、尖閣諸島周辺での行動を思い起こさせるところがある。  
「代替政策」で抑止力向上を  
「日本がイージス・アショアを白紙撤回」だけでは日米同盟の弱化を企図する勢力から歓迎されるだけだろう。
しかし、そこに日本またはアメリカによる、もっと「費用対効果の高い」、例えば海上・陸上発射型の「巡航ミサイル」の配備や日本の潜水艦能力の抜本的向上への転換という「代替政策」(オルタナティブ)が伴うならば、むしろ総体としての抑止力はかなり向上すると思われる。 
北朝鮮のミサイル(核のみならずノドンなど日本を射程内に収める多数の中距離ミサイルを含む)は一大懸念事項であるが、国にとっての「抑止」はさらに包括的であるべきだろう。 
今後も続く「軍事的恫喝」「政治的恫喝」の双方に対処していく上で、日本が「攻撃的打撃力」は引き続き厳しく自制しつつ、高度の「防衛的打撃力」の強化に向けて進むことも躊躇すべき理由はないように思われる。     


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