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米国が総額の約15%、5億5310万ドル(約595億円)を拠出している一方、中国が拠出しているのは、総額の0.21%、790万ドル(約8億5000万円)にすぎない。

2020年05月12日 21時31分59秒 | 全般

以下は今日の産経新聞に、「リベラル国際秩序」侵すWHO、と題して掲載された、東洋学園大学教授櫻田淳の論文からである。
武漢ウイルス禍の「パンデミック」に際して、テドロス・アダノム事務局長麾下(きか)の世界保健機関(WHO)の政策対応を批判してきたドナルド・トランプ米大統領は、4月14日、WHOへの資金拠出の一時停止を発表した。 
説得力あるトランプの主張 
これに関連して、AFP通信(日本語電子版、4月17日配信)は、WHOの「懐事情」を的確に説明している。 
WHOの予算は概して、加盟国全てに割り当てられる「分担金」と加盟国・国際組織・拓間団体が任意に拠出する「任意拠出金」の2本立てで成り、2018~19年複数年度で計上された予算額56億2000万ドル(約6050億円)の内、「分担金」が9億5700万ドル(約1030億円)、「任意拠出金」が大勢を占める43億ドル(約4600億円)となっている。 
この記事によれば、「分担金」では、米国が分担金総額の25%を占める2億3700万ドル(約255億円)を拠出する一方、中国が拠出するのは、総額の8%、7600万ドル(約82億円)である。  
「任意拠出金」を見ると、米中両国におけるWHOへの資金貢献の差は一層、際立つ。
米国が総額の約15%、5億5310万ドル(約595億円)を拠出している一方、中国が拠出しているのは、総額の0.21%、790万ドル(約8億5000万円)にすぎない。 
米国は中国に比べ、分担金にして3倍、任意拠出金にして70倍の資金貢献をWHOに対して行ってきたことになる。  
「トランプの米国」の立場からすれば、「米国の実質、8分の1しかカネを出していない中国がなぜ、WHOで偉そうに振る舞っているのか。WHOはなぜ、中国に牛耳られるのを許しているのか」という理屈になる。 
WHOが中国に忖度して台湾を排除し、ウイルス禍に係る中国の  「数字の隠蔽、歪曲」を実質上、黙認しているのは、既に周知の事実であるといってよい。
故に、「トランプの米国」の理屈には、相応の説得性がある。 
この度のトランプ大統領の対応は、「トランプがやることは…」という予断の下、暴挙の類として単純に片付けるわけにはいかない。
実際、米連邦議会共和党内では、米国の資金拠出再開と引き換えに「テドロスの首」を求める動きも、表れ始めている。 
行政府と立法府が踵をそろえた米国の対WHO圧迫には、WHOの権威を半ば私してきた中国政府は抵抗を示すだろう。 
ウイルス禍収束後、テドロス事務局長の地位を含めたWHOの体制や運営の刷新は、国際政治上の焦点として真っ先に浮かび上がることになるのであろう。  
「WHO代替組織」創設構想 
加えて、筆者にとって大いに関心をひくのは、トランプ大統領が資金拠出停止に併せて検討していると報じられた「WHOの代替組織」創設構想の行方である。
米政治誌『ポリティコ』(4月10日配信)は、その構想の受け皿として国連エイズ合同計画(UNAIDS)の名前を挙げている。 
そもそも、WHOや国連教育科学文化機関(UNESCO)に類する国連傘下の専門機関は、国連憲章や世界人権宣言に裏付けられた第二次世界大戦後の「リベラルな国際秩序」の精神を体現するものとして、位置付けられてきた。 
しかるに、WHOに絡む現状が示唆するのは、そうした「リベラルな国際秩序」の精神を受けいれていないような国々が、高々、自らの赤裸々な利害を通すだけのために、こうした国際機関に影響力を行使し、結果として「リベラルな国際秩序」の基盤を腐食させているという事実である。 
自由民主主義世界におけるウイルス禍対応の明白な成功事例を示した台湾が、WHOの枠組みから排除されている事情は、そうした「リベラルな国際秩序」の腐食を象徴的に表す。 
故に、仮に今後、WHOの体制と運営の刷新が成らず、それが 「リベラルな国際秩序」の枠組みとして怪しい状態が続くのであれば、トランプ大統領が言及した「WHOの代替組織」創設構想は適宜、議論の対象とされなければならない。 
再び自由主義対権威主義対峙 
この構想が自由、人権尊重といった「リベラルな国際秩序」の本来の趣旨にのっとり、日米豪加各国や西欧諸国に台湾を加えたものを基軸メンバーにして「自由民主主義保健衛生連合」といったものを創設する方向性ならば、日本としては、それに乗る意義があろうと思われる。
そこで、医薬品共同開発や公衆衛生確保の大枠を議論してもらうわけである。 
このようにして、武漢ウイルス禍収束後には、第二次世界大戦後の国際秩序が内包した「矛盾」に再び目が向けられなければならない。 自由民主主義体制と権威主義体制とが対峙した冷戦下の構図は、 「冷戦の終結」以後の30年の歳月を経ても、変わっていなかったのである。     
 (さくらだ じゅん)


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