文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

囗で言っていることと、やっていることが違うじゃないか。どこか変だ。語られていない、何か大きなことがあるのではないかと感じた次第です。

2019年09月08日 23時02分36秒 | 全般

以下は月刊誌WiLL9月号に、韓国のウソに立ち向かえ、なぜ韓国は“反日”を続けるのか。歴史の真実をつきつけ、韓国の虚構を暴け、と題して掲載された松本厚治氏の論文からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読の論文である。
この論文を読まなければ戦後の極東の歴史は全く分からないのである。
韓国のエージェントであり信じがたい程にお粗末な低能であるアレクシス・ダデンが米国の歴史学会を支配している。
国連も同様なのである。
国際社会が自分達の無知と低能を知って恥じるべき時はとうに来ているのである。
何よりも、底知れぬ悪とまことしやかな嘘の国である韓国が戦後74年間、中国は天安門事件から国民の目を逸らす為に江沢民が始めた…今も続けている。
反日教育と言う名のナチズムを国際社会が看過してきた事が、今の、極めて不安定で危険な世界を作って来たのである。
中国の増長、韓国の発狂(朝鮮半島の発狂)、プーチンの増長、これらは全て国際社会が中国と朝鮮半島が行い続けているナチズムを放置し続けて来た結果なのである。

台湾は親日、韓国は反日?
―この3月に上梓された『韓国「反日主義」の起源』(草思社)は、650ページに及ぶ大作で、注釈と引用・参考文献が大変充実していて、韓国の「反日」の背景と実態が説得力をもって伝わってくる力作でもあります。
この本を執筆されるに至った動機から、まずお聞かせいただけますか。
※編集部注;文中の太字は『韓国「反日主義」の起源』からの引用です。
松本 
1982年に通商産業省(現経済産業省)から在韓国日本大使館に赴任しておよそ3年、私は韓国にいたのですけれども、その間、ずっと何かがおかしいと感じていました。 
一例をあげますと、当時は日本の大衆文化の規制が行われていて、日本の映画やレコードの輸入は実質的に禁止されていました。
音楽について言えば、とくに日本文化の色彩の濃い歌謡曲とか演歌の類いが標的になっていました。
その根拠を尋ねると、われわれ韓国人はかつて日本の統治下でひどい目に遭ったから、およそ日本的なるものに対して嫌悪感と反発心があるからだという。 
しかし、考えてみるとそれは少しおかしいのではないか。
日本文化がそんなに嫌いなら、何も政府が規制するまでもない。
誰も日本映画なんか観に行かないし、音楽を聴く気にならないはずです。 
実は、台湾に面白い例があります。
日本の敗戦後、台湾にやってきた国民党の蒋介石政権も、日本文化を排斥する政策をとっていました。
ところが一時期、日本映画の輸入を認めたことがある。
それで新東宝の『明治天皇と日露大戦争』(1957年日本公開)が上映されたのですが、嵐寛寿郎が扮した明治天皇が出てくるシーンになると、観客が一斉に起立したと言います。それが大問題になって、また日本映画の輸入が禁止されてしまいました(笑)。 
おそらく似たようなことが起こるのを、韓国政府は恐れたのではないでしょうか。
同じ日本の統治下にあったのに、台湾は親日、韓国は反日、なぜだろうなどとよく言われますね。
しかし、根っ子にある対日意識は台湾と案外似ているのではないかと思いました。
もう三十数年前のことですけれども'公の認識'とは裏腹に、韓国人は日本の統治時代、あるいは日本文化なり、日本的なるものを、心底では拒絶しているわけではないのではないか。これは一体どういうことなのだろうという問題意識が芽生えたのです。 
それは狭義の文化だけのことではありません。
街を歩いてみると、雰囲気が日本にとてもよく似ているのです。
規模は小さいけれど、地下街なんかは日本とあまり変わらない。
それに、役所もそっくりそのままでした。
私は経済担当で赴任しましたので、日本の通産省にあたる韓国の商工部がカウンターパートだったのですが、それがオフィスのレイアウトから机の配置まで、通産省とほとんど同じなのです(笑)。 
考えてみると、それも当然です
韓国政府というのは日本統治時代の朝鮮総督府を引き継いで、内地出身の役人こそ去りましたが、およそ半数を占めていた朝鮮人官吏はそのままそこにいたわけです。
その組織がアメリカ軍政庁を経て韓国政府になった。
つまり機構と人は、朝鮮総督府の時代からずっと連続していたことになります。 
日本統治下の行政文化とか、組織の大枠、課の配置とか、以前のものが引き継がれてきたので、似ているのも当たり前なのです。 
「海一つ隔てた日本社会は常に模範答案紙のようなもので、韓国人は猛烈にそれを書き写した」(金時福。1981年) 
「韓国の政治、社会、文化の大概の姿が、日本の慣習を模写するような形で進んでいる」(崔一男。1994年) 
もっと具体的な話をしますと、私が赴任した当時の通産省と韓国商工部の内部組織には、よく似た名称のものがいくつもありました。
たとえば通産省に基礎産業局、生活産業局という局がある。80年代初めに通産省の機構改革があって、もともと基礎産業とか生活産業という言葉はなかったのに、かなり無理してこういう名称の局をつくった。
そうしたら、そのすぐあとに商工部でも機構が改まり、基礎工業局とか生活工業局といった同じような名前の局ができました。 
また、日本とよく似た機能を持つ特殊法人が至るところにある。
何か新しい行政需要が生まれると、韓国はまず、日本では何をやっているかを調べてから特殊法人をつくるわけです。
だから私たち役人は、韓国のこうした法人から人が来ると、名前を聞いただけでどんなことをやる機関か、だいたいわかりました。
中小企業銀行から来たというと、要するに中小企業金融公庫のようなものだろうなと思うと、ほぼ間違いなくその通りなのです。
「日本資料はないのかね?」 
現在はどうなのかちょっとわかりませんが、私が1980年代から90年代にかけて調べた限りでは、法律の条文の文章も非常によく似ていました。
たとえば1949年に改正された日本の労働組合法と、その四年後の1953年につくられた韓国の労働組合法を比べてみましょう。
◆この法律で労働組合とは、労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善、その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体またはその連合団体をいう。この法律で労働者とは、職業の貴賤、種類を問わず、賃金、給料、その他これに準ずる収入によって生活するものをいう。(日本)
◆この法において労働組合とは、労働者が主体となって自主的に団結し、労働条件の維持改善、及び労働者の福祉の増進、その他経済的、社会的地位の向上を図ることを目的として組織された団体、またはその連合団体をいう。 
この法で労働者とは、職業の種類を問わず、賃金、給料、その他これに準ずる収入によって生活するものをいう。(韓国) 韓国のほうがちょっと長くなっていますが、よく似ています。 それから、19573年に制定された日本の電子工業振興臨時措置法と、1969年に制定された韓国の電子工業振興法という法律の第一条「目的」のところは、ほぼ同文です。
◆この法律は電子工業を振興することにより、産業の設備及び技術の近代化、その他国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。(日本)
◆この法は、電子工業を振興することにより、産業の設備及び技術の近代化と国民経済の発展に寄与することを目的とする。(韓国)
すべての条文を引用することはできませんが、要するに、韓国の法律の多くは日本の法律の翻訳のようなところがある。このような類似が偶然に起きるわけがありません。
一つの慣行のようなものとして、当時の韓国ではよく「日本資料」という言葉が使われていました。 
役所で政策を考える時に、下から案が上がってくると、局長が「それはわかったけど、日本資料はないのかね?」と聞くわけです。
新しい政策あるいは法律を立案し、立法する時には、上の人はいつも日本の資料を要求する。
それに沿っていれば安心するのでしょう。
何か新しいものをつくる時には日本に調査団を出してあれこれ調べて、それが韓国の新しい政策なり法律になるというのが習わしのようになっていたのです。
なぜそういうことになるかというと、一つには、韓国では1950年代の後半から60年代の初めまで、日本統治時代の法律が移用されたからです。
「移用」というのは法律学の用語で、要するに外国の法律を自国の法律とみなして、そのまま適用するということです。もちろん、若い法律家の中には、日本語ができない人もいるので、翻訳もされた。
刑法、民法、商法など基本的な法律が日本統治時代から引き継がれていますから、戦後の日本の新しい立法も、韓国社会によくなじむのです。
韓国の歴史教科書には、「日本の政策は韓国の近代化と発展に莫大な支障を与え、わが民族には何の役にも立たなかった」などと書いてありますが、現実からまるで遊離した認識だということは、これからもおわかりいただけるかと思います。 
「移用」に終止符を打ち、韓国独自の法律に切り替えたのは朴正煕大統領ですが、その後も日本の法律が継受されました。「継受」とは従来の法律を元にして発展させるという意味で、姦通罪のような韓国独特の規定も設けられましたが、基本的には日本統治時代の法的構造がそのままスライドしています。
それは今でもあまり変わっていないと思います。
おそらく街や地下街の構造についても、建築や都市工学などの専門家が見れば、これは日本のこういう部分をこのように取り入れているといった、分析的な説明ができるのではないでしょうか。 
反日の国なのに、なぜこんなに日本に似ているのか。
それも遺制、遺物が消え残っているといった態のものではなく、戦後も一貫して貪欲に日本を取り込もうとしている。
囗で言っていることと、やっていることが違うじゃないか。どこか変だ。
語られていない、何か大きなことがあるのではないかと感じた次第です。
この稿続く。


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