文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

ロシア人は降伏調印後に歯舞色丹を盗ったのだ。安倍首相はプーチン訪日の折にその辺の時系列を詳らかにしたと聞く

2022年09月15日 17時34分19秒 | 全般

以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
北海道を守れ
ロシア辺りに棲むスラブ民族は哀しいほど不幸な歴史を編んできた。
ボルガ川流域に生息した彼らは、西から来た連中に捕獲され、奴隷に売られた。
スラブという民族名はそのまま奴隷(slave)の語源にもなった。
明日の幸せすら信じられない奴隷民族はそれでも頑張ってキリスト教に帰依しキエフに国を建てた。
しかし試練は続く。
今度は東からモンゴルが襲ってきて、男は殺され、女は犯された。
米大陸では白人がインディオを犯し、中南米をメスチゾの国にした。
ロシアではその真逆というか、白人がモンゴルに犯され、生まれてくる子はみなレーニン顔になった。
ロシアはそれも耐えて、白人国家らしく植民地帝国主義の覇者を目指した。
しかしそこでぶつかった日本に大負けして「非白人国家に負けた唯一の白人国家」の不名誉を背負った。
育ちも悪ければ運も悪い。
ロシア人の性格が悪くなった大きな理由だ。
で、根性悪のロシア人どもは日本を背後から襲った。
世に言うノモンハン事件だが、結果はロシア側の戦車群がまるまる破壊され、航空兵力は全滅、将兵1万が戦死した。
対独戦では負けを知らなかったジューコフは「かつてない困難な戦いだった」と敗北を認めた。 
そこでスターリンはもっと狡い作戦を立てた。
日本がポツダム宣言を受諾し、武装解除するのを待って襲えばロシア軍でも勝てるはずだと。
作戦は武装解除の最終期限、昭和20年8月18日に開始された。
まず先遣部隊がカムチャツカから千島列島を北から制圧していって釧路に上陸、占領する。
ここはロシアの悲願だった太平洋への不凍港出口となるはずだった。 
別の一隊は南樺太を制圧したあと、ウラジオストックに待機中の本隊といっしょに留萌に上陸。
19か所の飛行場を抑えて青森を攻め津軽海峡を掌握する。
北海道を盗ったあとは日本海を南下し、明治維新前夜のポサドニック号以来となる対馬を占領する。
これにより「対馬海峡、津軽海峡、宗谷海峡を抑えて日本海をロシアの内海とする」(斎藤勉『スターリン秘録』)予定だった。
しかし作戦は先遣隊の緒戦となる千島列島北端の占守島攻略で躓いた。 
「ロシア軍の攻撃」の報を受けた第五方面司令官樋口季一郎は「自衛のための敵軍撃退」(『樋口季一郎の遺訓』)を命じた。
守備隊は再武装し、上陸するロシア人を叩き、数千人を死傷させた。
戦死者は3000人を超し、イズベスチア紙は「甚大な被害」を認め、千島から釧路への攻略戦は一時的に止まった。
この間に樋口は「連合軍最高司令官マッカーサーに国籍不明の連合国軍の不法侵犯を伝えた」(同)。
電文はソ連を抑えられなかった総司令部を露骨に非難していた。
困った総司令部はAP通信に情報を漏らし、世界にソ連の非道を知らせた。
スターリンは8月22日、北海道占領を諦め、腹いせに樺太から留萌に戻る小笠原丸など引き揚げ船3隻に魚雷をぶち込んで1700人を殺した。
一方、占守島で後れを取った先遣隊は9月1日、国後に上陸。
ミズーリ号艦上での降伏調印式を挟んで9月3日、「チェチェリン大佐らが歯舞占拠に出発し、9月4日に上陸した」(同)。
ロシア人は降伏調印後に歯舞色丹を盗ったのだ。
安倍首相はプーチン訪日の折にその辺の時系列を詳らかにしたと聞く。 
それでプーチンの機嫌がやたら悪くなった説明がつく。
彼は帰国後、9月2日の対日戦勝記念日を「歯舞を視察した」9月3日にずらしてもいる。
ロシア人プーチンの性格の悪さが丸見えだ。
ユダヤ人を救い、そして北海道も救った樋口季一郎その偉業を称え、生地の淡路島に彼の顕彰像が建てられ、この10月11日、除幕される。
戦後初の軍服の像だ。



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