文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

経済的威圧の原型 

2024年10月08日 11時54分33秒 | 全般
以下は9/26に発売された月刊誌WiLLに、p98からp105に渡って、3段組みで掲載されている平井宏治  経済安全保障アナリストの論文からである。
本論文も彼が最澄が定義した国宝の一人であることを証明している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。

領空・領海侵犯、日中友好7団体、日中友好議連…
なぜ、スパイ防止法をつくらないのか
一方的に吸い取られるだけの"中国とのパイプ"など必要ない


領空侵犯「真の目的」とは 
中国人民解放軍のY9情報収集機が、長崎県男女群島付近の日本領空を約2
分間にわたり侵犯した(8月26日)。
その翌日、訪中した日中友好議員連盟は、中国共産党全国人民代表大会の趙楽際委員長と会談。
人民解放軍による領空侵犯に遺憾の意を表明し、再発防止を求めただけに終わった。
この会談では、日中の交流を強化し、対話を継続していくこととしたという。訪問団は日本の国益に基づいた主張を行わずに帰国の途に就いた。
政治戦では、政治的宣伝(プロパガンダ)を流布することが重要である。
中国は、標的にした国の政治エリー卜を狙う。
彼らは権力を行使する立場にあり、中国共産党の利益に直接影響を与える政策決定を行うことができるからである。 
中国の政治戦工作は、三戦(世論戦・メディア戦、心理戦、法律戦)や統一戦線工作を超え、偽情報、公然・非公然のメディア操作などのソフトパワー機能やスパイ活動、暴力工作など国家機能を組み合わせて行われるとされる。
水面下で行われるので、分析して発見することが最も難しく、公知情報もない。 
世論戦・メディア戦とは何か。
地上波、ネット番組、動画アプリ、映画、書籍などを通じて、対象国の国内の
人々に対してプロパガンダを流し、世論に影響を与えることにほかならない。 日本の大手メディアは先述の領空侵犯について、「中国軍機の領空侵犯、防衛省が初確認 政府は厳重抗議」などと、人民解放軍の"うっかりミス"であるかのような印象を与える報じ方をした。
しかし、目的は情報収集にある。 
外国軍機が領空侵犯したとき、九州各地に点在するレーダーサイトはレーダー周波数などの電波情報を発する。
情報収集機を領空侵犯させることで、中国海空軍の無人機が収集できない情報を傍受し、収集しようとしたのである。
これらの情報は、解析され、その信号データを戦闘機の探知レーダーと対レーダーミサイルに装填し、日米基地のレーダー攻撃に使用されるだろう。 
なぜ、日本のメディアはこの事実を国民に向けて報道しなかったのだろうか。統一戦線戦略は、習近平の「中国の夢」を達成するための「魔法の武器」の一つである。
中国による浸透工作や世論戦・メディア戦が、わが国の奥深くまで及んでいることを窺わせる。
この稿続く。

日本を侵食する工作組織 
2019年1月、米国防情報局(DIA)は報告書「中国の軍事力」を公表。
中央軍事委員会政治工作部連絡局の一部である政治部連絡局が、米国、台湾、とりわけ日本に対して「政治戦」を行い、米国、台湾、日本などの上級幹部に関連する情報を収集、分析していることを明らかにした。 
同年6月、ラッセル・シヤオ氏(ジェームズタウン財団)は、「日本における中国共産党の影響活動に関する予備調査」という報告書を公表した。
シヤオ氏は報告書のなかで、政治戦を"国家目的を達成するために政府が他の政府や社会の認識、信念、行動に影響を与えるために使用する一連の公然または秘密の手段"と定義。
中国共産党が日本に対して悪意のある影響力工作を行っている手段は明らかにされておらず、工作を行う機関及び方法、そして日本政府に影響を与える潜在的な有効性の調査が必要だと述べている。 
中国共産党が影響力工作を行う手段が、中国共産党員以外の人々や組織を党の目的達成のために影響、教化、動員する「統一戦線工作」である。
中国共産党の習近平総書記は、統一戦線工作に注目し、統一戦線志向の組織を台頭させた。 
主要な統一戦線組織は、中国平和的統一推進評議会、または中国共産党の統一戦線工作部直下の組織である「CCPPR」とされる。
報告書には、日本で活動する下部組織として、「全日本華僑華人中国平和統一促進会」(the All Japan Chinese People Promotion China Peace and Reunification Association )、「全日本華人促進中国平和統一協議会」(the All Japan Overseas Chinese and Chinese People China Peace and Reunification Promotion Association )、「日本華僑華人聯合総会」などの名前が出てくる。
これらの組織は民間交流を装い、日本国民に統一戦線工作を仕掛けることで、日本国内の議論を中国共産党に有利な方向に導く役割を担っている。 
楊万明が率いる「中国人民対外友好協会」は、主に日中の高官(エリート)の交流を通じて、エリート獲得活動を行う組織である。
中国人民対外友好協会には日本活動専門の局がある。 
中央軍事委員会政治工作部に属する中国国際友好連絡会(CAIFC)は、中国の外交、国家安全保障、統一戦線、宣伝、軍事チャンネルを通じて影響力工作を行う。
この組織は日本において、宗教団体、建築家、書道協会、退役軍人など日本社会の幅広い分野と交流し、統一戦線工作を指導している。 
中国共産党の「トロイの木馬」といわれる孔子学院もかねて、その危険性が叫ばれている。
日本には12の孔子学院がある(表1)。 
米国では、中国大使館による中国人学生団体への干渉が懸念され、米議会は孔子学院の設置を受け入れた学校に対する連邦資金援助を制限。
国務省は全米の孔子学院を統括するワシントンの「孔子学院米国センター」を中国政府の機関と認定した。
その結果、米会計監査院によると、米大学内に設置された孔子学院の数は約100から5以下に減少。
しかし、日本で閉鎖が確認できたのはわずか3校である。
米国で危険視されている孔子学院を閉鎖しない理由は何か。
この稿続く。
表1


「日中友好7団体」とは何か 
中国政府が公式に「中日友好団体」と認定している団体が7つある。
冒頭で紹介した日中友好議員連盟も含まれているが、「日中友好7団体」と総称される。
・日中友好議員連盟(会長:二階俊博)
・公益社団法人日中友好協会(会長:宇都宮徳一郎)
・日本国際貿易促進協会(会長:河野洋平)
・一般財団法人日本中国文化交流協会(会長:黒井千次)
・一般財団法人日中経済協会(会長:新藤孝生)
・一般社団法人日中協会(会長:野田 毅)
・公益財団法人日中友好会館(会長:宮本雄二) 

七人の会長について触れておく。
二階俊博と河野洋平は、言わずとしれた親中政治家の代表である。
宇都宮徳一郎は親中派として知られた政治家、宇都宮徳馬を祖父に持つ。
野田毅も自民党所属の前衆議院議員。
黒井千次は小説家、宮本雄二は外交官で元駐中国大使。
新藤孝生は日本製鉄前代表取締役会長である。
米国では共和党・民主党ともに日本製鉄のUSスチール買収に反発が起きている。
その背景に、日本製鉄と中国の関係があるのではないかとの見方もある。 
DIAは先述の報告書「中国の軍事力」で、中国政府が対日工作機関として日中友好7団体を動かしてきたと指摘している。
権威主義国家である中華人民共和国を支配する中国共産党と一体となり、自由で開かれたわが国で統一戦線工作を行ってきた組織として警戒しているのだ。 これらの中国共産党フロント組織のほかに、日本には中国の政治戦を行う組織と関係を持つ地方組織も存在するが、紙幅の関係で詳細には触れない。
不用意にこれら中国共産党フロント組織に接近すると、取り返しのつかない事態に巻き込まれる恐れがある。

保守系議員を取り込む 
親中政治家を介した日本政界への浸透工作は、中国共産党が中華人民共和国を建国した1949年から始まった。
重要な役割を果たしたのが日中友好議員連盟の前身にあたる「中日貿易促進議員連盟」(中日議連)である。 
中日議連は戦後最大規模の統一戦線組織である民主主義擁護同盟と密接な関係を有していた。
民主主義擁護同盟の事務局にいた宮崎亮一郎らは戦前、ソ連のスパイだった尾崎秀実らとともに近衛文麿の昭和研究会に所属していた。
戦後は、経済同友会の設立に奔走した帆足計らに「中日貿易促進会の運動を国会と結びつけ対中禁輸と渡航制限を緩和させる」と提案。
49年5月に中日議連が発足することになる。 
日本は当時、GHQの占領下にあった。
各企業は戦後不況からいかに抜け出すかを模索していた。
企業は戦前の大日本帝国と中華民国問の貿易経験から抜け出すことができず、共産国家との貿易リスクに対する自覚が足りなかった。
その支持基盤であった企業の動きを無視できず、左翼系議員だけでなく、保守系国会議員も中日議連に参加した。 
保守党系議員を取り込んで国会における影響力が強化された中日議連は、政府と関係団体をつないだ。
反米闘争で日本国民の支持を得ることに主眼を置いた中国政府は、日本政府への働きかけや日中貿易の制限解除などで中日議連を重視するようになった。

経済的威圧の原型 
1950年6月、北朝鮮が朝鮮戦争を起こす。
翌年5月、中国を対象とする禁輸案が可決され、中日議連の議員も日中貿易を呼びかける者はいなくなった。 
転機が訪れたのは1952年。
わが国は1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効で独立した。
同月、周恩来総理はソビエト連邦(当時)のモスクワで開かれた国際経済会議にわが国の国会議員が3名参加するとの情報を得、中国から同会議に向かう代表団に対し、3名の国会議員に中国訪問を招請せよと指示をした。
その3名とは、帆足計参議院議員(緑風会)、高良とみ参議院議員(緑風会)、宮腰喜助衆議院議員(日本民主党)である。
3名は周恩来の招請に応じ、国際経済会議に出席後、二人の秘書とともに北京へ飛び、成立直後の中華人民共和国幹部と初接触。
中国国際貿易促進委員会との間で、日中間の貿易促進団体代表として、6月に第1次日中民間貿易協定を締結した。 
朝鮮半島の停戦交渉が進むと、わが国では戦争による需要が減少した。
輸出減少に直面した経済界の一部からは、共産中国との貿易再開を望む声が出始めた。
そんななか、日中貿易促進議員連盟(日中議連)が発足したのである。(1952年)。 
日中議連は中日議連にはなかった「地方議会における支部組織」を有していた。
各都道府県議会や市町村議会でも議員連盟が結成され、日中議連はこれら議員連盟を通じて全国的な影響力を持つようになった。 
朝鮮戦争の休戦協定が調印されると、わが国の経済界の一部から、共産主義国家との取引リスクを無視してでも、日中貿易を期待するべきとの声が上がった。
日中議連の代表を中心とする代表団と中国国際貿易促進委員会との間で第2次日中貿易協定が調印された。
米国政府や中華民国政府の反対を押し切り、鳩山一郎首相は通商代表部設置、国家銀行間支払協定の締結などを明文化した第3次日中貿易協定を調印。
調印にあたっては、日中議連やその配下である地方組織が国会などに協力を陳情する役目を果たした。 
1958年3月、第4次日中貿易協定が調印されたが、翌4月、中国は第4次日中貿易協定の履行の無期限延長を主張した。
中国政府は第3次日中貿易協定と第4次日中貿易協定に加えた政治的条項を使い、中華人民共和国を承認させようとした。
これに対して、保守政権の岸信介内閣は「中国を承認する意志がない」と声明を発出。
中国側の国交開設の思惑が実現しないまま、日中貿易は断絶する。
日中議連はすべての日中民間貿易協定に調印した唯一の団体であった。 
日中貿易は一時的に断絶するが、日本との民間貿易の必要性を痛感した周恩来は対日貿易3原則を公表。
日中の民間貿易は再開したが、中国政府が選定する友好商社だけが貿易に参加できる状況が続いた。 
中国共産党の許可のもとに親中団体が友好商社を独占、親中経済人が利益を上げていく。
親中経済人にとっては、努力せずに得る利益は麻薬のようなものだ。
特定の企業が中国に優遇される状況に不満を抱いた日本企業は、各業界に団体をつくり、中国とビジネスを行うようになった。
中国が現在も駆使する経済的威圧の原型がすでに垣問見える。 
日中の国交が開かれた翌年、日中貿易促進議員連盟が前身となり、日中友好議員連盟が結成された(1973年)。 
初代会長の藤山愛一郎は1958年の衆議院総選挙で自民党公認として立候補して初当選。
外務大臣在任中には、日中貿易促進への支持と協力を再三にわたり表明した。藤山は1971年、日中国交回復議員連盟の訪中団長として日台条約を無効とする中華人民共和国との共同声明に調印。
国家反逆的行為とみなされ、自民党から処分された。
藤山は政界引退後も、日中国交締結に携わることになる。
この稿続く。


2024/10/6 in Umeda
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