以下は月刊誌WiLL2月新春号からである。
石平さんと阿羅健一さんの対談特集である。
阿羅健一さんが私が永遠に愛する母校の先輩である事は既述の通り。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
江沢民が仕掛けた「南京事件」の大ウソ
2022年は南京事件から85年目。
毎年12月13日には、南京で記念式典が開催される。
日本よ、いつまで黙っているのか!
江沢民の反日政策
罠にはまった日本人
石平
むしろ子供時代に教えられたのは、「三光作戦」です。
日本軍が中国で展開した残虐な作戦行動「焼きつくす(焼光)、殺しつくす(殺光)、奪いつくす(槍光)」を示す言葉。
では、南京事件はどうか。まったく教わっていないし、当時の中国共産党政権の認識では、南京事件はなかったに等しい。
阿羅
「三光作戦」は台湾に逃れた国民党軍が敗走するとき、村々に食料を残さないためにやったことですが、日本軍についてはウソです。
石平
南京事件を拡大させた日本人がいる。
元朝日新聞記者、本多勝一氏の「中国の旅』(1972年)!
阿羅
現地の人の話を検証も裏取りもせず、南京事件があったと書いてしまった。
しかも事実誤認が多々見られました。
そこで批判が殺到したら、本多氏は「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば、中国側に直接やっていただけませんでしょうか」と言い訳している。
ジャーナリズムの精神に反する行為です。
石平
恥を知れ!と言いたい。
私は中国の大学でも仕事をしたことがありますから、よくわかるのですが、海外からマスコミ関係者が取材や調査に来ると判明したら、一ヵ月前から中国共産党で対策チームを組織し、会議を開いて、どのように対処するかを話し合います。
そして組織内で役割分担を決め、シナリオをつくり、「お前がこういう役を演じろ」「お前がそのように言え」と事前に何10回も練習する。
本多氏も同じような罠にはまったのでしょう。
日本の大手新聞社の記者が来るから、時の政府が現地の人々に「お前は70歳だから、日本軍が悪いことをしたのを見ただろう。それを話せ」と強制する。
断ることはできません。拘束されますから。
それで一所懸命、暗記する。でも、暗記だけではダメで自分の言葉で言わなければならない。
それが中国共産党のやり方です。
阿羅
実に徹底しています。
石平
そして、本多氏は中国共産党の“プロパガンダ”をそのまま執筆し、世に流布させてしまった。
時の共産党政権に利用されたのです。
実に罪が重い。
批判された教科書検定
阿羅
『南京事件はなかった』でも触れていますが、日本政府が南京事件を正式に認めたのは、1982年のことです。
次年度から使われる高校教科書の検定結果が新聞各社で取り上げられたのですが、その教科書で、南京事件のことを次のように記述しました。
「南京占領の後、日本軍は中国軍民多数を殺害、暴行、略奪、放火を行い南京大虐殺として国際的非難を浴びた。中国人の犠牲者は20万人に上るともいわれる」
そこで、検定では「暴行、略奪、放火を行い」の記述と、犠牲者数が消され、逆に、「事件の発端は中国軍の激しい抵抗で損害の多く出た日本軍が激こうしたため」が加わり、日本軍の正当性を強調する形にしたのです。
そこに、当時の毎日新聞が、この検定に噛みついた。
「教科書統制、一段と強化」と。
石平
毎日新聞の批判は的外れです。
阿羅
ところが、その4日後、『人民日報』が毎日新聞の報道を伝えたのです。
日本の教科書検定が批判されている内容で、検定の内容を非難したものではありません。
ただし、中国のメディアが南京事件に触れるのは、このときが初めてだった。
検定発表から1ヵ月後、各紙の批判も終息したと思われた7月26日、当時、中国の肖向前第一アジア局長が渡邊幸治駐中国公使を呼び寄せ、日本の教科書は侵略を進出に換え、南京事件も改めたと、突然、注文をつけてきたのです。
さらに『工人日報』が南京事件の写真を掲載しました。
中国のメディアが日本批判の手段として南京事件を収り上げたのも初めてのことです。
写真には橋本欣五郎大佐が登場していますが、撮影者、撮影場所も不明でした。
実は南京戦のとき、橋本大佐は重砲兵を率いて南京から百キロほど離れた蕪湖へ進撃しており、南京には行っていません。
それを南京事件の責任者というのですから。
間に合わせのウソで日本を黙らせようとする。
石平
南京事件についていかに関心を持っていなかったかがわかります。
阿羅
しかし、中国メディアで報じられたことを契機に、日本国内では左派メディアを中心に教科書検定問題を取り上げ、国会でも、野党を中心に中国が書き換えに納得していないと責め立てた。
結局、執拗な攻撃に音を上げた小川平二文部大臣(当時、鈴木善幸内閣)は、侵略戦争を認め、南京事件まで認めるようになったのです。
石平
日本外交の弱腰がたたって、ついにそうなってしまった。
阿羅
そう、さらに不可解なのが、外務省です。
ひたすら文部省に教科書の書き換えを要求してくる。
外務省の強い主張に対し、文部省は三年ごとの改訂検定を一年早めることにします。
すると、外務省は二年繰り上げを求める。
検定の仕組みから一年が限度で、小川文部大臣や三角哲生事務次官は辞任までして抵抗しようとします。
当時、加戸守行総務課長は小川大臣に「これは国家主権の問題です。完令な内政問題だと突っぱねてください!」と進言し、なんとか書き換えを拒否し続けます。
石平
加戸さんは加計問題が騒がしいとき、「加計ありきではなかった」など重要な証言をしています。
背筋の通った本物のエリート官僚です。
阿羅
鈴木首相は文部省を落とせないと見るや、強硬手段に出ます。
当時鈴木首相は外務省の木内昭胤(きうちあきたね)アジア局長を相談相手にしており、その相談内容については、橋本恕(ひろし)情報文化局長が談話を書いていた。
それが宮洋喜一官房長官の談話として発表されます(1982年8月26日)。
「アジアの近隣諸国との友好、親善を進めるうえでこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する」
是正という表現は検定が間違っていたことを意味します。
鈴木首相が強硬手段に出たのも、談話発表の三ヵ月後に退陣が予定されており、最後の花道として日中友好を前面に押し出し、訪中を画策しようとしたからです。
しかし、改善という言葉を望んでいた文部省としては到底受け入れられませんでしたが、文部省が談話の内容を知ったのは、発表された後だったので、どうすることもできなかった。
石平
外務省がここまで中国に媚びへつらうのも不可解です。
“チャイナスクール”の弊害
阿羅
中国は中国の意をくむ外交官は手厚くもてなし、言いなりにならない外交官は邪険に扱います。
実に露骨です。
阿南惟茂(これしげ)中国課員は文化大革命を“ジャリ革命“と呼び、駐日中国大使館から抗議され、内定していた大使館書記官を取り消されることもあった。
やがて外務省内では「中国課首席事務官ー中国謀長-アジア局長-駐中国大使」という出世街道ができます。
その街道を歩むためには、中国との関係を良好にしなければならない。
要するに国益よりも保身が優先です。
中国関係独特のもので、彼らは”チャイナスクール”と呼ばれるようになります。
石平
そのように中国に阿ったところで、日本に利することが何か一つでもありましたか。
ODA(政府開発援助)を通じて、中国に約三兆六千六百億円も拠出し、何一つ感謝の言葉をもらっていません。
それよりも重要な問題は、日本の安全保障にかかわっているということ。
中国政府や中国国民が南京市民の三十万人が日本に殺されたことを事実だと認定すれば、報復のため、政府から国民一般に至るまで何十万人の日本人を殺しても構わないとなってしまう。
阿羅
攻撃材料を与えてしまうわけですね。
石平
中国が東京に核兵器を一発撃ち込むことだってあり得るかもしれない。
中国人は誰一人反対しません。むしろ賛成の大合唱です。
「日本は南京市民を虐殺しだのだから、その仕返しだ」と。
阿羅
十数年前、日本で事件を起こした中国人が警察に捕まりました。
取り調べでその中国人は「日本人は南京で三十万人を殺したから、こんなことをやっても大丈夫だ」と答えたそうです。
石平
南京事件を認めれば、中国が日本に軍事攻撃を仕掛けても、それによって日本人がどれほど犠牲者を出しても、正当化の根拠を与えてしまう。
だから外務省のやり方に憤りを覚えます。
日本国民の命をなんだと思っているのか!
阿羅
外務省だけでなく二〇一〇年、日中歴史共同研究でも日本側は南京爭件を認め、鳩山由紀夫元首相は二〇一三年、南京まで行って謝罪している。
南京事件は戦時宣伝であることが明らかになっているのに、日本は情報戦で負け続けています。
石平さんの言うように、中国が日本を攻める口実を与えることになるわけですから、政治家も含めしっかり反論すべきです。
石平
習近平政権下では十二月十三日、日本軍が入城した日を「南京大虐殺」の「犠牲者」を追悼する国家的記念日に制定し、毎年、記念行事を開催しています。
そのようにして反日教育が続けられています。
江沢民や習近平がいなくなっても中国共産党政権が続く限り、日本は南京事件を通じて責められ続ける。
永遠に頭を下げ続けるつもりですか。
慰安婦問題では線引きができたのですから、南京事件も同じく毅然とした対応をしてもらいたい。