テキサス州オースティンの事。
行った事のない街でも大体どんな街かが分かる…。
ビジネスで出会った同年代の紳士が家族を住まわせて居る街。
この街がどんな街かは、数年前、今、世界で最も素晴らしいバンドや歌手の曲をLast Fm(この事は後日)で、次から次と聴き収集していた時、発見したバンドThe lovely sparrowsの響きで分かった。
それで今日、この街の音楽的風土について調べて見ようかと。
オースティンという街は今もなお独自の気風を持つ音楽都市として有名。全米的なメジャーな音楽ムーヴメントとはまた別の価値観のもと、確実に独自のシーンを形成している街だ。そうした傾向がくっきりと形を作り始めていたのも、まさに70年代初頭。そんな環境に足を踏み入れ、新しい音楽ムーヴメントが確実に芽吹き始めていることを肌で感じたウェクスラーは、地元のクラブであらゆる音楽をダイナミックに融合しながら演奏するダグ・サームの姿に感動するとともに、その夜、ダグの前に出演していたウィリー・ネルソンにも大いに興味を抱き即座に契約を結んだ、と。
というわけで、ウィリーはアトランティックで『ショットガン・ウィリー』と『フェイゼズ・アンド・ステージズ』という2枚のアルバムを制作。続いて、ウェクスラーは彼に、当時まだメジャー・デビュー仕立てだったウェスタン・スウィング・バンド、アスリープ・アット・ザ・ホイールとの共演アルバムを作ったらどうだと進言したらしいのだけど。2枚のアルバムがまったくセールス的に満足できる成績を残せなかったことから、アトランティックはウィリーに契約打ち切りを宣告。アスリープとの共演アルバムの計画はおじゃんになってしまった。ああ…。
そんな幻の共演アルバムが、なんと30数年の歳月を経てついに実現した。それが本盤。きっかけとなったのはまたまたジェリー・ウェクスラーだ。07年、ウィリー・ネルソンのコンサートを見に行った彼は、そのときオープニング・アクトをつとめていたアスリープ・アット・ザ・ホイールを見て、かつて頓挫してしまった共演アルバムの計画を思い出したらしい。そんなふうにして本盤が誕生した。ジェリー・ウェクスラーは08年夏、91歳で他界してしまったけれど。最後の最後まで本当にいい仕事をしてくれたものだ。本盤にウェクスラーはエグゼクティヴ・プロデューサーとしてクレジットされている。いやー、感慨深い1枚じゃないですか
後略。by kenta依り。
先般のニューズウィーク買収者と言い、このジェリー・ウェクスラーと言い
91歳前後で、こういう仕事をする…骨の髄まで自由と知性=真の民主主義=で生きている人間…誰にも属してなんかいない、自分の哲学、感性を信じて生きているアメリカの真髄。
僕は、この20年間の苦しみで100歳だった寿命を10年は縮めましたが、エクササイズで、今は95歳まで取り返した。後5歳は一服だけにして吸っていた煙草を止めて、と思っていたら…昨日、知人と夏に一度ぐらいは海で泳ぐべしだろうと綺麗な海に電車で。この時間が禁煙。煙草も忘れた…このまま禁煙するか、さっき2時半頃まで一本も吸わなかった…このまま煙草を止めるか…。
僕も彼らに負けず、これから寿命が尽きるまで書き続けるのだから。煙草は吸わないに越した事はない訳で。
行った事のない街でも大体どんな街かが分かる…。
ビジネスで出会った同年代の紳士が家族を住まわせて居る街。
この街がどんな街かは、数年前、今、世界で最も素晴らしいバンドや歌手の曲をLast Fm(この事は後日)で、次から次と聴き収集していた時、発見したバンドThe lovely sparrowsの響きで分かった。
それで今日、この街の音楽的風土について調べて見ようかと。
オースティンという街は今もなお独自の気風を持つ音楽都市として有名。全米的なメジャーな音楽ムーヴメントとはまた別の価値観のもと、確実に独自のシーンを形成している街だ。そうした傾向がくっきりと形を作り始めていたのも、まさに70年代初頭。そんな環境に足を踏み入れ、新しい音楽ムーヴメントが確実に芽吹き始めていることを肌で感じたウェクスラーは、地元のクラブであらゆる音楽をダイナミックに融合しながら演奏するダグ・サームの姿に感動するとともに、その夜、ダグの前に出演していたウィリー・ネルソンにも大いに興味を抱き即座に契約を結んだ、と。
というわけで、ウィリーはアトランティックで『ショットガン・ウィリー』と『フェイゼズ・アンド・ステージズ』という2枚のアルバムを制作。続いて、ウェクスラーは彼に、当時まだメジャー・デビュー仕立てだったウェスタン・スウィング・バンド、アスリープ・アット・ザ・ホイールとの共演アルバムを作ったらどうだと進言したらしいのだけど。2枚のアルバムがまったくセールス的に満足できる成績を残せなかったことから、アトランティックはウィリーに契約打ち切りを宣告。アスリープとの共演アルバムの計画はおじゃんになってしまった。ああ…。
そんな幻の共演アルバムが、なんと30数年の歳月を経てついに実現した。それが本盤。きっかけとなったのはまたまたジェリー・ウェクスラーだ。07年、ウィリー・ネルソンのコンサートを見に行った彼は、そのときオープニング・アクトをつとめていたアスリープ・アット・ザ・ホイールを見て、かつて頓挫してしまった共演アルバムの計画を思い出したらしい。そんなふうにして本盤が誕生した。ジェリー・ウェクスラーは08年夏、91歳で他界してしまったけれど。最後の最後まで本当にいい仕事をしてくれたものだ。本盤にウェクスラーはエグゼクティヴ・プロデューサーとしてクレジットされている。いやー、感慨深い1枚じゃないですか
後略。by kenta依り。
先般のニューズウィーク買収者と言い、このジェリー・ウェクスラーと言い
91歳前後で、こういう仕事をする…骨の髄まで自由と知性=真の民主主義=で生きている人間…誰にも属してなんかいない、自分の哲学、感性を信じて生きているアメリカの真髄。
僕は、この20年間の苦しみで100歳だった寿命を10年は縮めましたが、エクササイズで、今は95歳まで取り返した。後5歳は一服だけにして吸っていた煙草を止めて、と思っていたら…昨日、知人と夏に一度ぐらいは海で泳ぐべしだろうと綺麗な海に電車で。この時間が禁煙。煙草も忘れた…このまま禁煙するか、さっき2時半頃まで一本も吸わなかった…このまま煙草を止めるか…。
僕も彼らに負けず、これから寿命が尽きるまで書き続けるのだから。煙草は吸わないに越した事はない訳で。