映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

夏の嵐 - SENSO - (ルキノ・ヴィスコンティ 1954年 119分 イタリア)

2012年12月06日 05時32分03秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
夏の嵐 - SENSO - (1954年 119分 イタリア)

監督  ルキノ・ヴィスコンティ
原作  カミッロ・ボイト
脚本  スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    ルキノ・ヴィスコンティ
撮影  G・R・アルド
    ロバート・クラスカー
出演  アリダ・ヴァリ
    ファーリー・グレンジャー
    マッシモ・ジロッティ
    ハインツ・モーグ
    リナ・モレリ
    クリスチャン・マルカン



勇敢と卑怯
冒頭のオペラは、勇敢を表現したものなのでしょう.そして、オペラが終わるとベネチア市民の観客が一斉に花を投げて、オーストリアの侵略に抗議した.勇敢な行為で映画は始まった.

貴族の伯爵は、保身を図ってオーストリアの将軍にへつらう卑怯な人間で、その妻もまた、勇敢な従兄弟を救うためと偽って、敵軍の将校へ近づいて行き、美男子の将校を愛人にしようとした卑怯な女だった.

戦争のシーンは非常に断片的な描き方でなのだけど、例えば、この道を通りたいと言うと、ラッパの合図で身を潜めていた両軍の兵士が一斉に姿を現し、撃ち合いを始めたその真ん中の道を馬車で駆け抜ける、勇敢な行為が描かれた.

卑怯、淫売の女は美男子の将校に入れあげ、結局は預かった軍資金を横領して、敵軍の将校に貢いでしまった.将校はその金で、医者を買収して兵役を逃れ、そして若い女を買って優雅に暮らしていた.

勇敢な戦士のための軍資金、その金を横領すると言う卑怯、勇敢と卑怯がお金によって結びついて描かれる.
勇敢が、お金で買えない行為であるならば、卑怯とは、お金で買えないものを買おうとする行為、お金で買ってはならないものを買う行為である.


ベネチア人としての義務を果す、勇敢な行為と言いたかったのであろうか.


密告は殺人であった.密告は恥ずべき行為、卑怯な行為であった.

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この映画は、テクニカラーのカラー作品で、アメリカから戻ってきたジャン・ルノワールが、直接フランスへ帰らず、テクニカラーの技術者を連れてイタリアにやってきました.テクニカラーは3色分解した元版から、転染と言う技法でプリントを作る特殊なものなので、最初は撮影には技術者の指導が必要であったのだと思われます.
ジャン・ルノワールは、アメリカに渡る前は、イタリアでヴィスコンティを助監督として『トスカ』を撮っていたのですが、一巻目を撮ったところで、イタリアが第二次世界大戦に参戦し、アメリカに逃れることになりました.
ヒットラーの最も嫌いな映画『大いなる幻影』を撮っていたジャン・ルノワールは、迫害を恐れてアメリカへ渡った、そうした事情を考えると、イタリアへ戻ってきたと言っていいのかも知れません.イタリアのチネチッタで、ジャン・ルノワールは2本目のカラー作品『黄金の馬車』を、ヴィスコンティは最初のカラー作品『夏の嵐』を、一緒に撮っています.


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