映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

シベリヤ物語 (イワン・ブイリエフ)

2013年01月19日 00時40分07秒 | イワン・プイリエフ
(1947 100min)

あらたな人生への誘い

未開の地の開発に夢を馳せ、アコーディオンひとつの歌声に、歓びを求め安らぎを抱く素朴な人間たち.豊かな自然、素朴な人の心、歌声に響く歓びと悲しみ、そして、その接点に描かれる二組の男女の恋愛.マリナ・ラディーニナ、彼女38,9才のはずだけど、その美貌に違わぬ美声は見事.彼女の歌声、そして影で泣き崩れるナステニカ.ナターシャの恋心を歌う美声で綴られる恋愛の綾、それを解きほぐす心は、開発地シベリヤへの誘いに繋がって行く.
「紙ができて、その紙は、空をかける鳥のように、君の手紙になってくる」、男女の好き合う心、自然な心に根差した開発の地と都会との協調、融和は、イデオロギーに左右されることのない、社会体制とは無縁な心であり、ピアノとバイオリンでワルツを踊る光景に代表される、音楽のもつ心も、また同じと言ってよいでしょう.

ロシア映画で二本目のカラー作品であり(私はソ連がドイツのアグファのフィルム工場を丸ごとかっぱらったと思っている)、シベリヤ物語り、その作品自体はシベリアの開発を唱えるスターリンの宣伝映画、国策映画の感は否めないが、そこに映画全体を歪めるものは何も無い.
プィリエフ、ラディーニナ共にシベリアの出身.シベリアの発展を願う心は描かれたとおりであり、そして幾年かに一度回ってくる国策映画の制作を、プィリエフなりに無難にこなした作品であるように思える.
確かにこの映画、当時のシベリアの生活者の実態を正確には描いていないであろう.当時、日本人捕虜六十数万人とロシアの囚人が、シベリア開発の最前線の過酷な労働を担っていた.食料、物資に乏しい困窮の実態は、ロシア人も捕虜の我々と同じ粗末な食事であったと言う、シベリア抑留者の証言もある.
シベリア開発が多くの過酷な強制労働と犠牲によって為されたことを忘れるべきではなく、この点は過去形ではあるが、流刑の地であった、あるいはレストランでアンドレイが歌う「流刑人の歌」に描かれていると言ってもよい.
この映画の撮られた1947年頃は、未だシベリアは流刑の地でした.昔は流刑の地であった、は、今でも流刑の地である、に、極めて自然に結びつく.だからフルシチョフ時代に再編集に当たって切られたと考えて良いでしょう.
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少し書き足そう.
この映画を、嘘八百と言う人がいるのですが、その通りでしょう.
十分な食べ物が無い現実に対して、描かれたレストランはご馳走の山だった.食い物の恨みは恐ろしいというけれど、誰でも怒り出すような、夢のような世界が描かれていると言ってよいのでしょうか.
誰にでも分かる嘘は、逆に真実を述べることができるものである.
昔は流刑の地であった、とは、今でも流刑の地である.
だからこそ、ラストシーンのように、若者があこがれを持って生きて行く土地に、変えて行かなければいけないのだ、と、訴えることになるはず.

私は観ていないのですが、日本の国策映画で、『必勝歌』は、失笑歌とさんざんな評価を受けたそうです.
民衆が一生懸命に作った防空壕を、兵隊が調べた.防空壕の上に乗ったら天井が抜けてしまった、と言うような、シベリア物語とは逆に、大本営発表の嘘ばかりの時代に、現実を正直に描いた作品らしく思われます.


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