映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

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社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

映画『地獄に堕ちた勇者ども』 - THE DAMNED - (ルキノ・ヴィスコンティ)

2014年05月23日 00時32分17秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
地獄に堕ちた勇者ども
LA CADUTA DEGLI DEI
1969年 155分
イタリア、西ドイツ、スイス

監督  ルキノ・ヴィスコンティ LUCHINO VISCONTI
製作  EVER HAGGIAG
    アルフレッド・レヴィ ALFRED LEVY
脚本  ニコラ・バダルッコ NICOLA BADALUCCO
    エンリコ・メディオーリ ENRICO MEDIOLI
    ルキノ・ヴィスコンティ LUCHINO VISCONTI
撮影  アルマンド・ナンヌッツィ ARMANDO NANNUZZI
    パスクァリー・デ・サンティス PASQUALE DE SANTIS
美術  PASQUALE ROMANO
    ENSZO DEL PRATO
音楽  モーリス・ジャール MAURICE JARRE
編集  RUGGERO MASTROIANNI

出演者
フリードリッヒ.....ダーク・ボガード DIRK BOGARDE
ソフィ.............イングリッド・チューリン INGRID THULIN
アッシェンバッハ...ヘルムート・グリーム HELMUT GRIEM
マーチン...........ヘルムート・バーガー HELMUT BERGER
RENAUD VERLEY
ヘルベルト.........ウンベルト・オルシーニ UNBERTO ORSINI
エリザベート.......シャーロット・ランプリング
コンスタンチン.....ルネ・コルデホフ RENE' KOLDEHOFF
ヨアヒム・フォン・エッセンベック.....アルブレヒト・シェーンハルス ALBRECHT SCHONHALS
NORA RICCI CHARLOTTE RAMPLING
ギュンター.........ルノー・ヴェルレー
オルガ.............フロリンダ・ボルカン FLORINDA BOLKAN




狂気と正気、そして強者とは

狂気と正気
狂気とは、描かれたとおりであり、説明するまでもないこと、と言いつつも説明すると、狂気とは人間の心を失うことである.
文学、芸術とは、人の心を描いたもの.その本を燃やしてしまった行為、それは狂気である.
マルティンが、母親の結婚式に連れてきた人間たちは、マリファナを吸っている.麻薬を打つ、マリファナを吸うと、正気ではなくなる.麻薬は狂気になる.

狂気の末路は、描かれた通り、死でしかなく、時代的背景が示すように、死でしかない.
突撃隊のパーティは狂宴だった.親衛隊の襲撃を受けて、彼らは身をかばい、殺さないでくれと言った.これが正気と言ってよいのでしょうか.

強者(権力)と弱者
同盟関係と言うのは、対等な立場を言うのではなく、弱者が強者に服従して、見返りに、自分の安全と利益を得る行為である.
描かれた限りでは、親衛隊のアッシェンバッハ、彼が一番の強者であった.「密告と裏切りが、国民の道徳となった.これこそ第3帝国の偉業だ」と、そうして得た、ドイツ国民全ての情報を集めた資料室で、彼は言った.国民の私生活の情報を入手して、相手の弱みを握り服従させる.それが強者の姿だった.

強者と弱者、そして憎しみ
マルティンは、親と子と言う関係で、母親に服従するよう虐待されて育てられ、そのために、母親の愛情に餓える彼は、母親に憎しみを抱いていた.
彼は、ヘルベルトの言葉によって、母親の弱みを知ると、母親を強姦して服従させ、そして、母親の結婚を破滅に追いやった.彼は、アッシェンバッハの指示で、母親を強姦したのではない.自ら狂気を行ったのである.
少女の強姦、自殺、アッシェンバッハに弱みを握られた彼は、狂気に服従する人間であり、そして自ら進んで狂気を行う人間であった.
会社を手に入れるだけならば、突撃隊を皆殺しにしたように、一族を皆殺しにすれば済む.けれども、それでは、親衛隊という狂気の組織が、大きくなるわけではない.権力に服従し、なおかつ自ら狂気を行う人間に、会社の実権を握らせてこそ、狂気の組織が大きくなる.

ギュンター
ギュンターは父を、フリードリヒが殺したことを知り、憎しみから復讐心を抱いた.そして彼もまた、復讐心をアッシェンバッハに操られて、権力に服従していった.

戻ったヘルベルト
新工場の落成式に誰も出席しなかった.マルティンとギュンンターが、自分に服従しないので、フリードリヒは、彼らが陰謀を企んでいるのだと考えた.「真実を語ろう」、と、彼は話しはじめたのだけど、アッシェンバッハの陰謀で操られているフリードリヒは、マルティンもアッシェンバッハに操られている事が、分からない.
「真実を語ろう」つまりは、「本当のことを言え」と、フリードリヒは、マルティンとギュンターを服従させようとして、話し始めた.その場所へ、ヘルベルトが戻ってきて、真実を語り始める.
彼は、戻れば親衛隊に捕まり、殺されることを承知で戻ってきた.これは狂気と言ってよい.
けれども彼は、彼の知り得る真実、フリードリヒの殺人と、マルティンの母親が、自分の妻子を収容所に送り、殺害したことを話した.真実を話した彼は、正気であったと言える.
「だれかが真相を、すべての人のために伝える必要がある.後の世に」、この、ヘルベルトの言葉は、真の強者を現していると言える.
彼は逃亡を図った.この意味では弱者であったのだが、強者に妻子を殺されたことを知った彼は、自分の死を恐れることなく戻ってきて、真実を話した.権力者に服従することなく、真実を伝えること、それが真の強者と言ってよい.

けれども、ヘルベルトは、勇敢に権力に反抗したが、妻子を殺されてしまった.親衛隊に反抗した突撃隊もしかり、皆殺しにされた.

服従と屈服、そして、団結.
フリードリヒは、会社を自分のものにしたいという欲望を、アッシェンバッハに操られてヨアヒムを殺し、その弱みによって服従を強いられて、更にコンスタンチンを殺すことになった.彼の殺人によって、一族は憎しみ合い、分裂していった.一族を分裂させて、殺し合いをさせる、それがアッシェンバッハの陰謀であった.
狂気に服従しないと(反抗すると)殺されてしまう.
「生き残るために、権力者に服従するが、けれども、決して屈服はしない.この心で、一族が団結するのだ」と、鉄鋼王、ヨアヒムは言った.この考えが、権力者にとって邪魔であったからこそ、彼は暗殺された.そして、彼が言うように、一族が団結すれば、彼は、殺される事はなかったはず.
一人一人は弱い.そして、いつの時代でも陰謀は行われる.
狂気の時代には、権力に屈服しない心で、皆が団結しなければならない.(ヨアヒム)
狂気の時代でないならば、権力に服従しない心で、皆が団結し、そして真実を語らなければならない.(ヘルベルト)




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