映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

自由への闘い(この土地は私のもの) - THIS LAND IS MINE - ジャン・ルノワール 

2013年01月31日 12時46分22秒 | ジャン・ルノワール
自由への闘い (この土地は私のもの) - THIS LAND IS MINE -
1943年 103分 アメリカ

監督  ジャン・ルノワール JEAN RENOIR
製作  ダドリー・ニコルズ DUDLEY NICHOLS
    ジャン・ルノワール JEAN RENOIR
脚本  ダドリー・ニコルズ DUDLEY NICHOLS
撮影  フランク・レッドマン
音楽  ロサー・パール LOTHAR PEAL

出演  チャールズ・ロートン CHARLES LAUGHTON
    モーリン・オハラ MAUREEN O'HARA
    ジョージ・サンダース GEORGE SANDERS
    WALTER SLEZAK
    KENT SMITH
    UNA O'CONNOR
    PHILIP MERIVALE
    THURSTON HALL
    GEORGE COULOURIS
    NANCY GATES
    IVAN SIMPSON
    JOHN DONAT


戦争の目的=侵略
『世界に平和をもたらして死んでいった者たちの碑』と、
『ヒットラーの侵略』の記事の新聞

本を燃やす行為
『この本はまずい.燃やそう』
『あなたのご意見かな、それとも敵の?』
『ユヴェナリス、ボーテ、プラトン.共和という言葉は危険です』
『辞職せよと』
『とんでもない.あなたには信用があります.問題を指摘したまで』
市長とソレル教授の会話からすると、市長は自分の意見で本を燃やそうと言ったようだ.

『難しい手術、心臓を取るが患者は死なせん.国の歴史にかかわる一大事』
『出来るだけのことはしよう.ここから始めよう』
ソレル教授は、アルバートとルイーズに本を破る事を話すとき、こう言ったのだった.
ソレル教授の意見なのか、敵の指示なのかよく分らないのであるが、
アルバートは、子供たちに、
『新しい本が来るまで、2、3訂正をしなさい』
『エドモンド、破いたページを集めて燃やしなさい』
ルイーズは、
『注意して破りなさい』
『出るときに破ったページを渡してちょうだい.元に戻す日がきっと来るわ』
と、言ったのだった.

『元に戻す日が来る』と言う女教師のルイーズ、『患者は死なせはしない』と言うソレル教授は、服従はするが屈服はしない、自分たちの意思による教育を止めはしないと言っている.
それに対してアルバートは、集めたページを燃やすように言ったのだった.ジョージは少佐に自ら進んで協力する人間であったが、自ら本を燃やす行為も、やはり侵略者に進んで協力する行為と言える.侵略者に自ら進んで協力することは、侵略者に屈服することに他ならない.

ルイーズと少佐
女教師のルイーズは、捕虜になったソレル教授を救うため、少佐の元へ訪れた.

『君らの間違った考えが子供に教授される.学校で教わるのだからね』
『教師は子供になんでも教えられる.子供たちは明日の兵士だ』
『10年前のドイツは、ここと同じだった』
『我々はソレルのような人間を追い出し、世界を征服できる人間を育てたのだ』
『そんなことは許しません』
『ジョージは我々の見方なのに、君は厄介な人間だ』
『占領の意味を教えてくださって、感謝するわ』

占領の目的とは、『ソレルのような人間を追い出し、世界を征服できる人間を育てること』、つまりは間違った教育を行い、侵略を行う人間を育てることであった.
見方を変えれば、少佐は、教育者が正しい教育を行う限り、真の侵略はあり得ない、と言っているのですが、このことは、ソレル教授、女教師のルイーズの考えと同じだったと言わなければなりません.
アルバートは最後の授業として、人間の権利の宣言を教えるのですが、侵略とは人間の権利を奪うことであり、この場合の正しい教育とは人間の権利に対する教育を行うことを意味します.

裁判
『妨害は負けた人間に残された、ただ一つの武器です』
アルバートは裁判の席でこう言いました.テロ行為を肯定する言葉であるのは間違いないのですが.
けれども、人質としてテロ行為の犠牲になって、10人の人間が処刑されましたが、『尊厳だよ』と言うソレル教授の言葉が現すように、彼らは取り乱すことなく、尊厳を持って処刑されました.尊厳を守るために命を惜しむことはなかったのです.
暴力行為に訴えた人間と、その犠牲になっても命を惜しむことがなかった人間、暴力の犠牲になっても、暴力を否定して処刑されたソレル教授たちと、どちらが勇敢な人間であったのか?.

戦争とは、撃ち合いを始めてしまえば、目的も何もない.殺すか殺されるかである.だからこそ、尊厳を守って銃殺されたソレル教授に依って、あるいは正しい教育を守るために、人間としての権利を守るために、命をかけることを選んだアルバートによって、戦争の目的をジャン・ルノワールは示したのだと思われます.
暴力を否定すること、人権を守ることは、すなわち、戦争を否定することに外なりません.戦争を否定することが戦争の目的とは、戦争を終わらせることが戦争の目的であると言うことが出来ます.
『外面は弱いが、内面は強い』、あるいはその逆と、アルバートはこんな風に人間は比較したのですが、現実には人間は皆、弱いと考えるべきでしょう.誰だって死ぬのは怖い、死にたくないですから.
今一度書けば、戦争とは殺すか殺されるかである.皆、死にたくはない弱い人間である.だからこそ、人間の権利を守るために戦うのだ、このことを忘れないことが大切である.

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ソレル教授がアルバートに語った事
『リーダーについて行きたいが2種類存在する』
『我々は武器もなく弱く行進もせず防空壕に入る』
『英雄は軍人で、我々は壁を背にして撃たれる』
『もう一方のリーダーには、銃や戦車や制服がある』
『暴力や利己主義や虚栄心しか教えられない』
『全てが未熟な子供たちの心にに訴え、そんな罪人が英雄なのだ』
『大変な競争だよ』
『自由への愛は子供には無意味だ.人類への尊重の念を生まない』
『だが我々から奪えない武器がある.尊厳だ』

子供たちは、教師の恋愛をからかい、クラスメイトをユダヤ人だといじめ、空襲の最中には爆撃機を当てあい、更には爆撃の真似をして騒いだ.
正しい教育をしなければ、未熟な子供たちは、『暴力や利己主義や虚栄心』を、容易に受け入れてしまう.だから、ソレル教授はアルバートに、教育者は非暴力によって、尊厳を子供たちに示さなければならないと語り、そして自らも銃殺時の態度によって示しました.

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拘置所で少佐がアルバートに語った事
『君に頼むことは、小さな犠牲だ』
『将来の世界平和のために命をかけているのだ』
『率直に言う、隠さずに.こんな話をするのは、君が聡明な人間だからだ』
『ランバートは道具だった.誠実だが賢くない』
『市長も自分の利益のために動いている』
『侵略した国には、そんな人間が必要だ』
『ドイツ国内にさえ.我が国が強くなった理由だ.そう言う人間を利用する』
『だから世界世羅に成功した』
『アメリカが安全なのは海が遮っているからだ』
『アメリカは陸と空による侵略を考えている.既に侵略されている』
『正直なランバートと、不誠実なマンビルはここだけでなく、ヨーロッパ中にゴマンと居る』
『我々にも平和は必要であり、もし平和が武器になるとすれば、真の愛国心は、その証を見いだすだろう』

アルバートの裁判での証言
『皆、外面と内面の二面性を持っている』
『マンビル市長でさえ二面性を持った人間なのです』
『二人とも強く見えますが弱いのです』
『外面では街を救うふりをしなければならず』
『内面では自分を救おうとする心を隠す』
そして、闇物資の話の後、こう言う.
『侵略はどんな国でもそうですが、我々が墜落しているから可能なのです』

アルバートは、法廷で真実を述べる道を選び、そして、法廷に集まった人々も、彼の真実を述べる勇気を支持しました.真実を述べることは、人間の権利を主張することに外ならないことだったのです.

さて、裁判にかかわる事柄で、侵略者の少佐も、侵略される側のアルバートも、立場が違うだけで、やはり同じことを言っています.
この二人を考え合わせれば、アルバートの言う『我々が墜落している』とは、侵略者の言いなりになること、人間の権利を認めない人間の言いなりになることでした.そう言う人間を利用して、ドイツは強くなったと、少佐は言っているのですから.
人間の権利を理解しない者たち、認めない者たち、彼らが武器を持てば侵略者になり、武器を持たなかったにしても、侵略行為の協力者になる.それは、どこの国においても同じである.
つまりは、皆がきちんと、人間の権利について学び、そして考えなければならない.

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『全ての階級から男たちが集まりました.金持ち、貧民、会社員.誰も戦わず、素晴らしい夜を過ごしたのです』

人間の権利の宣言(人間と市民の権利の宣言)
第一項
 全ての人間は生まれながらにして自由で平等である
第二項
 全ての政党の目的は、自然と人間の奪うことの出来ない権利を保護することである
 これらの権利とは、自由と財産の安全を守り、暴政に反抗することである
第三項
 政治の原理は国そのものにある
 団体、個人にかかわらず、人民から発せられていないどんな権力も効力を持たない
第四項
 自由とは自主性からなり、他を害するものではない
 (自由とは、他を害さないものである)
第五項
 法律とは、禁止する権利である
 法律とは、社会に有害なもののみを禁じる権利である
第六項
 法律とは、人民の意思の表現である
 全ての市民は一個人として、又はその構想の中で選出された代表者を通じて
 これに助力する権利を持つ
 保護しようと酷使しようと、同様であるべきである
 全ての市民は平等であり、全ての階級や身分や能力による、
 社会的地位についての平等な権利を持ち、差別されてはならない

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書き添えれば、
『世界平和のために戦うのだ』、このような言葉は、戦争を正当化しようとする人間の常套文句に過ぎません.少佐も何度か口にしたのですが、惑わされてはいけない言葉です.

太平洋戦争が、日本の侵略戦争であったことは、人間の権利、この視点で考えれば明白と言わなければなりません.
一例を上げれば、ベトナム、インドネシアでは、日本軍の食料の徴発にに依って、それぞれ、100万人とも200万人とも言われるほどの餓死者を出しました.食料を奪い取って、人間の権利を守ったとは、到底言うことは出来ません.
さらに言えば、日本は敗戦後、特殊慰安施設教会(RAA)を自ら作って占領軍を迎い入れた、人権とは無縁の最低の国でした.(現在がどうであるのか、ここでは触れずにおきます)

第二次大戦敗戦後の日本の指導者を、対米従属主義者と自主独立主義者に分けて評価する、自主独立主義者を善として考える人がいるのですが、単純にそう考えるのは間違っていると言わなければなりません.
アメリカであれ、敗戦国の日本であれ、正しいものは正しい.つまり、アメリカが人間の権利を主張すれば正しく、逆に無条件降伏の敗戦国であっても、人間の権利の主張は出来たのであって、対米従属、自主独立の問題ではなく、人間の権利に対する意識が問われなければならないはずです.


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