『戦火のかなた』
イタリア 1946年 125分
監督 ロベルト・ロッセリーニ
製作 マリオ・コンティ
ロッド・E・ガイガー
ロベルト・ロッセリーニ
脚本 セルジオ・アミディ
クラウス・マン
フェデリコ・フェリーニ
ヴィクター・ヘインズ
マルチェロ・パリエーロ
ロベルト・ロッセリーニ
撮影 オテッロ・マルテッリ
音楽 レンツォ・ロッセリーニ
出演 マリア・ミキ
ガール・ムア
ドッツ・M・ジョンソン
カルメラ・サツィオ
ロバート・ヴァン・ルーン
ハリエット・ホワイト
ジュリエッタ・マシーナ
原題『PAISA』は、呼びかけと言う意味らしい.
シチリア.
シチリア島に上陸したアメリカ兵にとって、村民が味方なのか敵なのか分からない.分からない中で、一人の娘を道案内に連れてアメリカ兵は先へ進む.途中で一軍と別れ、廃墟の城に残ったアメリカ兵と村の娘.片言の言葉で交す会話によって淡い恋が生まれるのだが、アメリカ兵は狙撃によって負傷する.村の娘はアメリカ兵の銃を手に、一人ドイツ兵に立ち向かうのだが、ドイツ兵に撃ち殺される.暫くしてアメリカ兵の一軍が戻ってくるのだが、自軍のアメリカ兵の死体を目にしたとき、村の娘が裏切ったのだと思い込む.アメリカ兵は村の娘の心を理解しなかった.
アメリカ人はイタリア人を解ってくれない.
ナポリ.
イタリアの少年がアメリカ兵の靴を、あるいは物資を盗む.少年が暮らす廃墟、それはアメリカの爆撃、艦砲射撃に寄るものなのだろう.イタリアはドイツに侵略されたのに、アメリカからは侵略者の一員として攻撃を受け、廃墟にされたのだ.余りのひどさに言葉もなく立ちつくし、黙って立ち去るアメリカ兵.
少年は、「眠ったら靴を盗むよ」と言って、盗んだ.トラックの荷台から荷物を落とそうとしていて見つかったら、荷物を元に戻した.靴を返せと言われたら持ってきた.少年は自分が悪いことをしていることをよく知っていたのだが.
それに対して憲兵のアメリカ兵は、「全く子供まで泥棒をしやがるとは」と言っていたが、彼はなぜ子供が泥棒をしなければならないのか、自分たちが艦砲射撃で街を破壊し、多くの市民を犠牲にしたことを知らなかったらしい.
アメリカ人はイタリア人を解っていなかった.
ローマ.
アメリカ兵はローマ進駐の日に出会ったイタリア娘を好きになる.半年後、アメリカ兵はそのイタリア娘を忘れられず、ローマの街を探し回るのだが.街角で無理矢理、娼婦に誘われたアメリカ兵、彼は泥酔いであったけれど、置き手紙によって自分の探し求めていた娘が娼婦に身を墜としていることを知ったに違いない.
けれども彼は、娼婦をしなければ生きて行けない、イタリアの市民の実態を理解しようとしなかったらしい.清らかな心の娘なんだ、と、思い続けて探し求めていた彼の心が解らないでは無いけれど、自分を恥じ、ささやかな希望を抱いて街角で待ち続ける娘の心を、理解しようとはしなかった.
アメリカ人はイタリア人を解ってくれない.
フィレンツェ.
街の様子が分からないうちは進軍できないと、街を遠巻きにしたままの連合軍.それに対して、街では市民とゲリラが連携して、ドイツ軍とファシストを相手に戦っている.
連合軍の従軍看護婦と、街に住みゲリラとなって戦う画家の恋愛.恋人の姿を求めて危険な街に入る看護婦の女とその恋人の死が、イタリア人同士の理解を意味するとすれば、街を遠巻きにしたままの連合軍は、必死に戦っているイタリア人を理解するものはなかったと言える.
所詮は、住民の一人一人の幸せのために、連合軍は戦っているわけではなかった.
イギリス人はイタリア人を解ってくれない.
北イタリア.
アメリカの従軍牧師、カトリックとプロテスタントとユダヤ教の3人の牧師が、一夜の宿を求めて、由緒ある片田舎のカトリックの修道院にやってきた.アメリカの従軍牧師たちは物見遊山で訪ねてきたようなのだけど、厳格な戒律を守るイタリアの牧師達にとっては、異教徒が寺院に立ち入ることは許し難いことだった.
アメリカの牧師の代表は、食事の前に理解を求める言葉を述べるのだが、イタリア人の牧師たちにとっては、やはり許されない事であったに違いない.
アメリカ人はイタリア人を解ってくれない.
ポー川下流域.
ゲリラはアメリカ軍と共に、あるいは撃墜されたイギリス機の飛行士を救って、共に戦った.そして地元の村の村民も、食事を与えて彼らの戦いに協力したのだが.けれども、村の住民はドイツに皆殺しにされ、ドイツ軍に捕まったイタリアのゲリラ達は、国際法上でなんら保護されることなく、縛られて河に突き落とされて殺害された.
アメリカ兵かイギリス兵か分からないけど、やめろ、と叫んで撃ち殺されたしまったが、ゲリラの処刑を止めることは出来なかった.
そして、今一度フィレンツェの話へ戻れば、ゲリラ達は有無を言わさず、捕まえたファシスト達を撃ち殺されてしまった.そこには、法もなければ止める者もいなかったのだが.
味方だからと言って、アメリカにしろイギリスにしろ、外国の軍隊がイタリア人の一人一人の心を理解し、そして守ってくれることを期待しても無理な話である.
ゲリラ達はドイツ軍に捕まって、裁判もなく、何の容赦もなく殺されてしまったけれど、ゲリラ達自身も、ファシストを捕まえて、裁判もなく、なんの容赦も無く処刑してしまった.
いつまでも、イタリア人同士が啀み合って殺し合いをしていてはいけない.イタリア人同士が団結し、自分たち自身で自分たちを守って行くしかないはずだ.
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日本で1949年に公開された時、GHQによりフィルムがずたずたに切られてしまったそうですが、アメリカ軍は解ってくれないと繰り返し描いたこの映画、GHQに嫌われて当然の内容であったと言えるのでしょう.
イタリア 1946年 125分
監督 ロベルト・ロッセリーニ
製作 マリオ・コンティ
ロッド・E・ガイガー
ロベルト・ロッセリーニ
脚本 セルジオ・アミディ
クラウス・マン
フェデリコ・フェリーニ
ヴィクター・ヘインズ
マルチェロ・パリエーロ
ロベルト・ロッセリーニ
撮影 オテッロ・マルテッリ
音楽 レンツォ・ロッセリーニ
出演 マリア・ミキ
ガール・ムア
ドッツ・M・ジョンソン
カルメラ・サツィオ
ロバート・ヴァン・ルーン
ハリエット・ホワイト
ジュリエッタ・マシーナ
原題『PAISA』は、呼びかけと言う意味らしい.
シチリア.
シチリア島に上陸したアメリカ兵にとって、村民が味方なのか敵なのか分からない.分からない中で、一人の娘を道案内に連れてアメリカ兵は先へ進む.途中で一軍と別れ、廃墟の城に残ったアメリカ兵と村の娘.片言の言葉で交す会話によって淡い恋が生まれるのだが、アメリカ兵は狙撃によって負傷する.村の娘はアメリカ兵の銃を手に、一人ドイツ兵に立ち向かうのだが、ドイツ兵に撃ち殺される.暫くしてアメリカ兵の一軍が戻ってくるのだが、自軍のアメリカ兵の死体を目にしたとき、村の娘が裏切ったのだと思い込む.アメリカ兵は村の娘の心を理解しなかった.
アメリカ人はイタリア人を解ってくれない.
ナポリ.
イタリアの少年がアメリカ兵の靴を、あるいは物資を盗む.少年が暮らす廃墟、それはアメリカの爆撃、艦砲射撃に寄るものなのだろう.イタリアはドイツに侵略されたのに、アメリカからは侵略者の一員として攻撃を受け、廃墟にされたのだ.余りのひどさに言葉もなく立ちつくし、黙って立ち去るアメリカ兵.
少年は、「眠ったら靴を盗むよ」と言って、盗んだ.トラックの荷台から荷物を落とそうとしていて見つかったら、荷物を元に戻した.靴を返せと言われたら持ってきた.少年は自分が悪いことをしていることをよく知っていたのだが.
それに対して憲兵のアメリカ兵は、「全く子供まで泥棒をしやがるとは」と言っていたが、彼はなぜ子供が泥棒をしなければならないのか、自分たちが艦砲射撃で街を破壊し、多くの市民を犠牲にしたことを知らなかったらしい.
アメリカ人はイタリア人を解っていなかった.
ローマ.
アメリカ兵はローマ進駐の日に出会ったイタリア娘を好きになる.半年後、アメリカ兵はそのイタリア娘を忘れられず、ローマの街を探し回るのだが.街角で無理矢理、娼婦に誘われたアメリカ兵、彼は泥酔いであったけれど、置き手紙によって自分の探し求めていた娘が娼婦に身を墜としていることを知ったに違いない.
けれども彼は、娼婦をしなければ生きて行けない、イタリアの市民の実態を理解しようとしなかったらしい.清らかな心の娘なんだ、と、思い続けて探し求めていた彼の心が解らないでは無いけれど、自分を恥じ、ささやかな希望を抱いて街角で待ち続ける娘の心を、理解しようとはしなかった.
アメリカ人はイタリア人を解ってくれない.
フィレンツェ.
街の様子が分からないうちは進軍できないと、街を遠巻きにしたままの連合軍.それに対して、街では市民とゲリラが連携して、ドイツ軍とファシストを相手に戦っている.
連合軍の従軍看護婦と、街に住みゲリラとなって戦う画家の恋愛.恋人の姿を求めて危険な街に入る看護婦の女とその恋人の死が、イタリア人同士の理解を意味するとすれば、街を遠巻きにしたままの連合軍は、必死に戦っているイタリア人を理解するものはなかったと言える.
所詮は、住民の一人一人の幸せのために、連合軍は戦っているわけではなかった.
イギリス人はイタリア人を解ってくれない.
北イタリア.
アメリカの従軍牧師、カトリックとプロテスタントとユダヤ教の3人の牧師が、一夜の宿を求めて、由緒ある片田舎のカトリックの修道院にやってきた.アメリカの従軍牧師たちは物見遊山で訪ねてきたようなのだけど、厳格な戒律を守るイタリアの牧師達にとっては、異教徒が寺院に立ち入ることは許し難いことだった.
アメリカの牧師の代表は、食事の前に理解を求める言葉を述べるのだが、イタリア人の牧師たちにとっては、やはり許されない事であったに違いない.
アメリカ人はイタリア人を解ってくれない.
ポー川下流域.
ゲリラはアメリカ軍と共に、あるいは撃墜されたイギリス機の飛行士を救って、共に戦った.そして地元の村の村民も、食事を与えて彼らの戦いに協力したのだが.けれども、村の住民はドイツに皆殺しにされ、ドイツ軍に捕まったイタリアのゲリラ達は、国際法上でなんら保護されることなく、縛られて河に突き落とされて殺害された.
アメリカ兵かイギリス兵か分からないけど、やめろ、と叫んで撃ち殺されたしまったが、ゲリラの処刑を止めることは出来なかった.
そして、今一度フィレンツェの話へ戻れば、ゲリラ達は有無を言わさず、捕まえたファシスト達を撃ち殺されてしまった.そこには、法もなければ止める者もいなかったのだが.
味方だからと言って、アメリカにしろイギリスにしろ、外国の軍隊がイタリア人の一人一人の心を理解し、そして守ってくれることを期待しても無理な話である.
ゲリラ達はドイツ軍に捕まって、裁判もなく、何の容赦もなく殺されてしまったけれど、ゲリラ達自身も、ファシストを捕まえて、裁判もなく、なんの容赦も無く処刑してしまった.
いつまでも、イタリア人同士が啀み合って殺し合いをしていてはいけない.イタリア人同士が団結し、自分たち自身で自分たちを守って行くしかないはずだ.
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日本で1949年に公開された時、GHQによりフィルムがずたずたに切られてしまったそうですが、アメリカ軍は解ってくれないと繰り返し描いたこの映画、GHQに嫌われて当然の内容であったと言えるのでしょう.