身体の声を聞く

腰が痛い、眼がかすむ、気が重いなど、
身体からの言葉に向かい合ってみます。

人は情けの下に住む

2006-09-09 23:47:57 | 芸術
鮎は瀬につく。
鳥は木に、人は情けの下に住む。

これは、ある本に書かれていた言葉で
それぞれの巣作りをうたったものだそうです。

でも、悲しい事に時代は確実に変わりつつあります。

私が子供の頃は、大人も生きていくのが精一杯。
朝から晩まで働きづくめのようでした。
だから、お互い様と言う事で近所同士でよく助け合っていた気がします。
「今日はうちの子と一緒に風呂入れて、ご飯たべさせといたからな~」
「ほんま~、ありがとう」というノリでした。

お盆に田舎に帰ると、近所の家はほとんど空き家。聞けば
「あの家はおばあちゃんしか居ないけど、
そのおばあちゃんも今は病院にいるんや」
「あの家は、駅に近いところに家を建てて引っ越した」
人の情けで一杯だったこの地域も
今では人そのものがめっきり減ってしまったようです。

円相

2006-09-09 06:23:46 | 芸術
以前読んだ本の内容で、何となくメモってたものです。

「円相」、仏教辞典では「圓相」と表示するとのこと。
「人の心というものは、無色無形で
長・短・方・円とかでは表すことはできないが
仮に心が平等周遍であるかどうかを
円をかくことによって表現することをいう。」とのことです。

「具体的に言うならば、筆でくるっとマルをかけば
それが「円相」なのである。」とくくられていました。

たまに「掛け軸」とか「筆文字で書かれた詩集」とかで
筆でグルッとやってますがあれがそうなのでしょうか?
小学生のころ「良くできました」の二重丸とか三重丸とかを
先生がつけてくれましたが
ああいったルールも「円相」とかにあるのでしょうか??
いずれにしても「丸」って人にとって
心地よい形かもしれませんね。

「働く」という字

2006-09-07 23:59:09 | 芸術
ある朝、公園のベンチでパンをかじっていると
そこに歳とった浮浪者がやってきて
「そのパンすこしめぐんでくれ!」と言った。
ちょっと気味悪さも手伝ってパンをひとつ渡しました。
浮浪者は私の横に腰を下ろすと、パンを小さくちぎって口に入れ
顔を上に向けると、喉仏をゴクッ!とさせて飲み込んだ。

浮浪者は、びっくりしている私をチラッ!と見て
こんな事を言った。
「働くという字は、人が動くと書くだろう。
だから、ワシのように働かない人間は
飯もろくに喉を通らんようになってしまう」

図書館で借りた古い本に、こういったお話が書かれてました。

この話、帰る場所のあることの幸福感で終わっていました。
なんとなく、何でも頑張らないと!とか
柄にもない事を考えてしまいました。

いますが如く

2006-09-05 23:27:29 | 芸術
神様や仏様に掌を合わせた時、
「いますが如く」のこころが大切だといいます。

ある女性が新聞に載せた文章の一部ですが
「あなたがお亡くなりになってから
寂しいにつけ、嬉しいにつけ
たまらなくあなたとお話をしたくなります。
いつの日か、あなたに『よく頑張ったね』と
おっしゃっていただけるのを
楽しみに頑張っています」

住職さんが書かれた本で紹介されてお話ですが
これを読むと、なぜか優しい気持ちになれますね。

花嫁の父

2006-09-05 01:00:16 | 芸術
聞いた話ですが。

娘がお嫁に行く朝
花嫁の母は娘に
「可愛がってもらうんだよ」と言葉をかける。
それを隣で聞いていた父親は
憮然とした表情で一言、
「我慢することはないぞ」

わかる!わかる!その日が怖い。

回転木馬

2006-09-04 00:05:48 | 芸術
ポロリン♪ポロリン♪と軽い音楽に乗って、回転木馬がゆっくりと回る。
「いつまでもその幸せの輪の中にいてね」と母は願い
「すぐにその幸せの輪から飛び出していくんだろうな」と父。
毎日毎日同じ所を回りながら小さな幸せを育む退屈さに耐えられなくなり
親元を離れて、危険一杯の世界に旅立ってしまう事を
両親はよく知っている。
かつて、自分たちがそうであったように。
(以前、本で紹介されてた、気になるお話です)

確かにそうです。自分たちも同棲していたのに
娘の同棲はすごく抵抗あったりして。

少しだけニコッ

2006-09-03 03:57:46 | 芸術
「隣の芝生は青い」というように
人のことはやたらうらやましく思うものです。
そうなると、自分が惨めに見えてしまい
イライラしたり、愚痴ったり。
そうすると、まわりからみんな遠ざかっていきます。

「貧乏神」というのは、泣き顔やふくれっ面が大好きだから
そんな人の所には、腰を据えてしまいます。
そんなところが、不幸のはじまりです。

「幸せ」というのは、誰でも、いつでも、すぐに手に届く所にあり
それを、笑顔で迎えるか、泣き顔で遠ざけるか
その人の気持ち次第というわけです。

今日も少しだけニコッとしてみませんか。

「死んだ気でやります」という人

2006-09-01 23:49:27 | 芸術
よく「死んだ気でやります」という人がいる。
また「死ぬ気でやれ」とけしかける人もいる。
「死んだ気」っていったいどんな気なのでしょう。
おそらく「一生懸命やります」程度のことを言ってる
つもりなのでしょうが、それなら素直に
「一生懸命やります」でいいと思う。

人は今まで生きてくるのに、どれだけの人に
お世話になってきているのだろう。
それを思うと、軽はずみな言葉はひかえるべきですね。
(住職さんが書かれた本で紹介されてた、気になるお話です)

わたしの一つの意見ですが
「死んだ気でやります」という人の中にも
相手に対してではなく
自分自身に対してその意志の堅さを
言葉にする事によってよりはっきりしたものにする、
そんな使われ方もあるのかな?とも思いました。

ゲラゲラ泣く

2006-09-01 06:42:47 | 意識
「笑う」こともいいが、「泣ける」ことはもっと良いことだ。
人間、素直さが欠けると、涙も遠ざかる。
素直さがいっぱいの人は、悲しいと泣く
コワイと泣く、腹が立つと泣く、可哀想だから泣く
あまりに嬉しいとゲラゲラ泣く。

泣くことは大切なこと。
他人の痛みをわかち合える優しさなのですから。

こんなお話が、ある住職さんが書かれた本に載っていました。
確かに「泣く」って言うことは、
気持ちのお掃除みたいなものかもしれませんね。