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出雲大社(重要文化財)~島根県出雲市

2015-07-13 06:17:18 | 神社・仏閣・教会

 2015年6月22日 島根県

出雲大社 重要文化財

島根県出雲市

正式名称は「いずもおおやしろ」だが一般的には「いずもたいしゃ」と呼ばれる。明治維新以降の近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。なお、出雲大社という名前は明治時代になって改称した呼び名であり、それ以前は杵築大社(きづきのおおやしろ)と呼ばれていた。境内は日本海に突き出た島根半島の西端に位置し本殿を中心に境内外合わせて23棟の摂社・末社が祀られている。現在の御本殿は1744年(延享元年)に再建されたもので1952年(昭和27年)に国宝に指定された。そのほかに21棟の社殿と1基の鳥居が重要文化財に指定されている。また、参拝時の柏手が四拍手、注連縄の向きが左本右末といった一般的な神社と異なる特徴を持つ。
創建は神代とされており、日本最古の歴史書である古事記を始め日本書紀や出雲国風土記等に出雲大社の創建に関わる記述が見られる。 それによると、大国主が国譲りの際、天津神に葦原中国を譲るための交換条件として「天孫の住まう住居のような太く大きな柱と、天に届くほどの高い千木がそびえ立つ宮殿を建ててほしい」と要求したという。これが出雲大社の起源と見られている。国を譲られた側の天津神が、国を譲った側の大国主のために宮殿を造営したという点はどの書物にも共通してることから、出雲大社の造営は古代日本の国家的事業であったことが窺える。 にこにこ大百科より

▲ 出雲大社ホームページより転写

▲ なぜか同方向に傾く杉

▲ 日本一高い国旗掲揚塔だそうです。

 ▼神楽殿 

チャンスがあり昇殿祈願に参加。雅楽の演奏や巫女さんの踊りがあり、非日常を体験。祈願の様子は撮影禁止

 

▲ 塀の彫刻は神話のひとコマ

神楽殿

▲枯れた杉の木をつらぬくセンダン

 ▲ 拝殿  ▼

 ▼ 西十九舎:東十九舎は改装工事中

十九社は全国から集まった神々の宿泊施設

 ▼ 八足門(やつあしもん)

八本の親柱の前後にそれぞれ4本の控え柱を設けた一重の門。

    

 

▲ 通常参拝は八足門までだが今回は楼門を参拝することができました。ただし撮影不可。本殿は楼門の奥

▼ 本殿は外からしか見ることができない。

▼ 古代の出雲大社 

平成12年から13年にかけて、出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されました。これは、そのうちの棟をささえる柱すなわち棟持柱(むなもちばしら)で、古くから宇豆柱(うづばしら)と呼ばれてきたものです。・・・・・この柱は、鎌倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿を支えていた柱である可能性が極めて高くなりました。

▲ 巨大な柱が発見された場所(八足門前)

▲ 古代出雲大社復元図(説明板よりトリミング)

▼ 出雲国造

国造は律令制導入以前の地方の主で、「くにのみやつこ」「こくぞう」と読むが、出雲では「こくそう」と濁らない。「古事記」「日本書紀」にある高天原から大国主神の下に遣わされた神「天穂日命(あめのほひのみこと)」を祖とする。南北朝時代に千家・北島両家に分家し、月交代で杵築(出雲)大社の祭祀(さいし)を執った。明治政府が第80代出雲国造の千家尊癖たかとみ)氏を出雲大社大宮司に任命してからは、千家国造家が宮司を務める。現在の千家尊祐宮司は第84代出雲国造。 コトバンクより

 

▲ 五本の線は格式が高位の証
 

 

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