長崎県の洋館④
旧長崎高商表門衛所
長崎県長崎市南山手町 グラバー園内
この洋風の建物は、1905年(明治38年)に創立した長崎高等商業学校の表門の傍らに建てられていた門衛所です。1976年(昭和51年)に現在の場所に移築復元されました。
高等商業学校は、旧制の高等教育機関(現在の大学にあたる)のなかで、商業・商学を担いました。長崎高等商業学校は、1944年(昭和19年)に長崎経済専門学校を経て、1949年(昭和24年)に長崎大学経済学部となり現在に至っています。
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旧長崎地方裁判所長官舎
長崎県長崎市南山手町 グラバー園内
この洋風建築は、1883年(明治16年)3月に長崎控訴裁判所(現在の高等裁判所)の官舎として八百屋町1番地(現長崎市上町4番21号)建てられました。長崎控訴裁判所は、1886年(明治19年)に長崎控訴院に改称。その後、控訴院は1945年(昭和20年)に福岡に移転しました。それに伴ってこの建物も、控訴院の官舎から長崎地方裁判所長の官舎となります。建物は、明治時代の西欧化を反映した貴重な官庁建築のひとつとして、1979年(昭和54年)に現在地に移築し復元したものです。現在はレトロ写真館として利用されています。
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旧ウォーカー住宅(2017)
長崎県長崎市南山手町 グラバー園内
イギリス人ロバート・ネール・ウォーカーが、息子とともに明治10年代から約70年間住んでいた家。ウォーカーは、日本郵船高千穂丸の船長を務めた後、1898(明治31)年に、R・N・ウォーカー商会を設立。日本で最初の本格的清涼飲料水を作る。
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旧リンガー住宅
長崎県長崎市南山手町 グラバー園内
明治初期の建築で、ウラジオストックの花崗岩を土台に使った外壁石造の木造住宅。ベランダの天井が格天井となっていて珍しい。イギリス人、フレデリック・リンガーは、1864(元治元)年に、グラバー商会の使用人として来日した。のちにグラバーの事業を継承し、グラバー商会番頭格ライル・ホームとホーム・リンガー商会を設立した。
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旧オルト住宅(重要文化財)
長崎県長崎市南山手町 グラバー園内
タスカン風列柱(れっちゅう)のベランダ中央に切妻(きりづま)屋根のぺディメントを持つポーチがあり、軒高の高い堂々たる偉容で、幕末明治期洋館遺構中の最も秀でた建物である。英人技師の設計と思われる平面図が、天草切支丹(キリシタン)館(天草市)に遺っている。英人オルトはお茶の輸出で巨利を得、自分でも製茶業に手を染めたが、彼の退去後、明治12年(1879)12月に創立された活水女学校が同15年(1882)まで仮校舎に使用した。
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旧グラバー住宅(邸)2017 重要文化財
長崎県長崎市南山手町 グラバー園内
グラバーは、南山手3番地の広大な敷地(1619坪)に庭園と木造洋風の住宅を建てました。この南山手の高台からは、長崎の港と対岸に現在の三菱重工業(株) 長崎造船所が一望できます。建設年代は主屋より発見された墨書により1863(文久3)年であることが確認され、木造洋風建築としては現存する日本最古の遺構になります。棟梁は大浦天主堂等を請負った天草の小山秀之進のちに改名、小山秀であったと思われます。旧グラバー住宅の主屋は、建築当初の平面は逆L字型をしており、その後の増築で、逆L字型からT字型へと変化し、さらに四つ葉のクローバーのように広がりました。旧グラバー住宅は、英国コロニアル様式と日本の伝統的な建築技術の融合を示しています。日本瓦や漆喰を用い、半円形を描く寄棟式屋根、石畳の床面に木製の独立円柱があり、柱間には吊束を持つアーチ型欄間、化粧軒、木造菱格子の天井を持つ広いベランダが特徴です。
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