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萩市堀内地区(重要伝統的建造物群保存地区)2016 ~山口県萩市大字堀内

2016-10-03 05:44:59 | 重要伝統的建造物群保存地区

2016年8月25日 山口県 

 萩市堀内地区2016 重要伝統的建造物群保存地区

山口県萩市大字堀内

堀内は旧萩城三の丸にあたり、毛利輝元が慶長13年(1608)に指月山に城を築き、町割をおこなったことに始まる。保存地区は堀内のほぼ全域で、藩の諸役所(御蔵元・御木屋・諸郡御用屋敷・御膳夫所・御徒士所)と、毛利一門をはじめとする大身の武家屋敷が建ち並んでいた。近世城下町の武家屋敷としての地割が今もよく残り、土塀越しに見える夏みかんとともに歴史的風致を形成している。現在も、地区内には永代家老の益田家の物見矢倉など10数棟の武家屋敷が残る。

▼平安橋

平安古総門前の外堀にかけられている石橋ではじめ木橋であったが、明和年間(1764~72)に石橋にかけ換えられたと思われます。

 

 

 ▼平安古総門跡

総門とは、萩城三の丸(堀内)と城下町を分ける門のことで、この門は平安古地区に接していることから、平安古の総門と呼ばれていた。他に、見張り小屋がおかれていた。暮れ六ツ時(午後6時)から明け六ツ時(午前6時)の間は閉められ、通行手形を持つものだけがこの時間の通行を許された。 説明板より
  

 ▼旧児玉家長屋

萩城三の丸の平安古総門に隣接していた児玉家は、萩藩寄組に属し2243石余の大身武士であった。幕末の萩城下町絵図によると同家の表門は平安古総門に面して南向きであったとみられ、この長屋は屋敷の西側道路に沿って建てられたものである。建物は木造平屋建て、桁行32.67m、梁間4.59m、屋根は桟瓦葺きで、入母屋造り、道路沿いの外廻り壁は白壁、腰はなまこ壁とし、出格子を一ヶ所設けている。

▼春日神社

  

▼萩博物館

萩博物館は、旧萩城内にあたる堀内地区重要伝統建造物群保存地区内の大野毛利家上屋敷跡にあり、博物館本体は鉄筋コンクリート造りですが、瓦屋根を設け、木材を多く用い、武家屋敷の構成や外観の特徴にならっています。

▲右下 三の丸隅櫓(復元) 

 ▼北の総門

北の総門は、藩政時代に城下から三の丸(堀内地区)に入るために設けられた総門の一つであり、他に中の総門、平安古の総門がありました。かつては門番が常駐して人の出入りを監視しており、門は暮れ六ツ(酉の刻)から明け六ツ(卯の刻)までは閉じられ、鑑札を持った者以外の通行を禁止していました。復元

▼ 旧益田家物見矢倉

旧周布家長屋門の並び、旧三の丸北の総門跡脇に立つ、萩藩の永代家老益田家屋敷の一部。高さ1.8mの石塁の上に立つ平屋建ての建物で、総門から入る人々を見張った。るるぶ
    

▼旧繁沢家長屋門

繁沢家は阿川毛利家(7391石)の分家で萩藩寄組(1094石余)に属し、給領地を大津郡三隅村と阿武郡小川村(現在の萩市)に持っていた。建物は桟瓦葺き切妻造、桁行35.5m、梁間4.9m、中央から左寄りに門をあけている。同家藩政初期の当主繁沢就充(なりみつ)は藩要職として活躍した。 説明板
   

▼旧周布家長屋門

周布家は萩藩の大組で、1530石取りの上級武士。旧三の丸北の総門筋に立つ長屋門は桁行約25m、梁間約4mという大きなもの。石積みの上に下見板張り、白漆喰、本瓦葺きのがっしりとした建物が立ち、出窓の飾り金具や懸魚[げきょ]などの意匠も格調高い。 るるぶ
     

 ▼旧毛利家別邸表門

建築年代は明治時代、14代藩主・毛利元徳が鎌倉材木座に建てた表門。大正10(1921)年、別邸とともに毛利家萩別邸として市内東田町に移築され、昭和49(1974)年現在地に移築された。桁行10.9メートル、梁間3.8メートル、棟高5.2メートルの雄大な規模を誇っている。屋根の両端には鯱の原型と言われる鴟尾(しび)を乗せた桟瓦葺寄棟造。門の左側は潜門で、更に両脇には内側に向かって覗格子を持たせた10平方メートルの広さを持つ土間が付属する。萩の門の形式としては異色のものである。  ぶらり萩あるき
    

▼旧梨羽家書院

 桁行13.75m、梁間8.02m面積107.7㎡の平屋建てで、西端を寄棟造り、東端を切妻造りとする桟瓦葺の建物です。
幕末の古地図によると、梨羽又次郎(大組683石)の屋敷になっています。敷地面積の大きさから他に建物があったと思われるが、現在はこれしか残っていません。おいでまっせ山口より
 

どうやら、非公開らしい

▲おいでまっせ山口より転写
 

 ▼口羽家住宅 重要文化財

萩市堀内にある武家住宅です。口羽家は、萩毛利藩の藩士で、この住宅のある堀内地区は、藩内でも大身の武士が住んでいた場所です。 じゃらん

 

▼旧二宮家長屋門

 二宮家は、萩藩大組(891石)で、美祢郡嘉万村(現在の美祢)に領地を持っていました。建物は、本瓦葺き入母屋造、桁行14.5m、梁間2間です。中央から左寄りに3.6m幅の門をあけている。右手片潜門の西側には4畳2間の門番所を置き、表と門の内側に向かって出格子の窓を設けています。説明板より

  

 

 

2016-10-03 05:44:59

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