菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

『大工調べ』 道具箱を質物(かた)に

2011-09-22 22:30:00 | 落語と法律
新・落語で読む法律講座 第10講

 腕はいいが少し頭の弱い大工の与太郎が仕事場に出てこない。
 心配した棟梁(とうりょう)の政五郎が長屋を訪ねてくる。
 話を聞けば、1両2分800文(4ヵ月分)ためた店賃の「かた」に道具箱を家主に持っていかれたという。
 政五郎は持ち合わせた1両2分だけを与太郎に用立て、「1両2分なら御(おん)の字だ。800ぐらいの不足はあたぼうだ」と家主のところへ道具箱を取りにやらせた。
 ところが、因業(いんごう)な家主に800文足りないと言われた与太郎、政五郎に教えられたとおり、「1両2分なら御の字」、「800ぐらいの不足はあたぼう」と内緒話もそっくりと復唱。
 これに怒った家主は、持参した1両2分を取り上げ、「残らず金を持ってこないと、道具箱は渡さない」と追い返してしまう。
 そこで今度は、政五郎が与太郎を連れて家主の家へ行き、下手(したで)に出て「道具箱を渡してほしい」と頼むが、感情的になっている家主は返してくれず、口論の末、訴訟沙汰に。訴えはさっそく取り上げられて、両者出頭しての裁きになるが……。



 この噺『大工調べ』の一番の見せ場は、はじめ下手に出ていた棟梁の政五郎が、ケツをまくって因業な家主に啖呵(たんか)を浴びせるところだろう。
 歯切れのいい江戸っ子のべらんめい口調には胸がスッとする。
 ところで、噺に出てくる「あたぼう」というのは、「当たりめえだ、べらぼうめ」を縮めたもの。江戸っ子特有のイディオムである。
 
 さて、契約関係に入れば、一方は他方に何かをすべき義務を負う。賃貸借の場合、貸主に目的物(ここでは長屋)を貸し渡す義務があり、借主の方では賃料(店賃)を支払わなければならない(民法601条)。
 契約によって負担した義務を果たさないことを「債務不履行」という。要するに約束違反のことだ。
 店賃を4ヵ月もためた与太郎の場合も、この債務不履行にあたる。たしかに与太郎も悪い。家主としては、当然これを取り立てることとなる。
 
 家主が道具箱をかたに取るのは、今様にいえば「質権(しちけん)」の設定である(同法432条)。
 借金しようとするとき、何かを担保にして、これを貸主に引き渡す。貸主は金を返してもらうまではこれを手元におき、期日に返済がなければ、競売したり、それを自分のものにしたりすることによって、貸金を回収するのである。
 店賃をためたのは、その分家主に借金しているのと同じことだ(より法律的には、延滞賃料支払債務を確認したうえで、準消費貸借契約を締結したということか)。
 そのかたに道具箱を質物として取り上げたということなのだろう。
 
 その後、1両2分800文のうち、1両2分を返済している。これをざっと計算すれば、債務全体の約92%まで弁済したことを意味する。ためた店賃の9割以上も支払ったのだから、道具箱を返してくれてもよさそうなものだ。
 ところが法律では、質権者(家主)は、債権(店賃)全部の弁済を受けるまで、質物(道具箱)の全部について、その権利を行使できるとされている(同法350・296条)。
 これを「担保物権の不可分性」という。道具箱を返さない家主にも理由があるのだ。

     *  *  *

 さて、この一件、時の南町奉行大岡越前守の裁きはいかに……。
 奉行は、与太郎に対して、店賃の早急な支払いを命じた。
 
 これは家主の全面勝訴と思いきや、「質屋の鑑札を持たずに道具箱を質物(かた)に取ったのは不届き」と、道具箱を取り上げていた20日間に相当する手間賃として、与太郎に銀300匁(=5両)を支払うよう申しつけられ、一件落着。
 
 奉行は「政五郎、銀300匁とはちと儲(もう)かったな。しかし、徒弟の世話をするのは感服。さすが大工は棟梁(細工は流々)」、「へえ、調べ(仕上げ)をごろうじろ」 。





【楽屋帳】
 現在もよく高座にかけられる噺だが、途中で切り上げ、「『大工調べ』の序でございます」といって高座を下りてくる例も多い。ちなみに、江戸時代の長屋の家賃の相場は、ピンからキリまであるが、だいたい半年で1両くらいであった。
 今も昔も、質物には、盗品や禁制品が質物に紛れ込みやすい。このように犯罪の温床になることから、旧幕時代の質屋に対する統制は厳しかった。
 質屋の営業について、元禄5年(1692)に惣代会所への登録が義務づけられ、享保の改革以降は、奉行に対する帳簿の提出が求められた。明和年間(1764-72)には株売買による許可制となっている。当時は、本質(規模の大きな、正規の質屋)と脇質に分かれており、また、質入れには、本人のほかに請け人(連帯保証人)の判が必要だったようである。
 この点、現代の質屋営業法によれば、質屋でない者は質屋営業を営んではならず(5条)質屋となるために許可が必要なのであることも(2条1項)、江戸時代と同様である。なお、許可手続は都道府県公安委員会(所管の警察署)で行われている。




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