NSPの中村さんが亡くなられたと知り、ああ、これでNSPも一人になっちゃったかと・・・。
私の年代はフォークソングと言えば青春と重なります、
いろんな好きな歌があり、曲はもちろん、詞に共感したり。時には涙したりと、あの頃は感情も豊かだっただろうし、自分のことに重ねている部分もあったのかもしれません。
コンサートに行くほどファンだったのは『ふきのとう』でしたが、NSPも好きでよく聴いてました。
たまたま読んでいたシニアのブログの方が今でも大ファンらしく、その悲しみようと言ったら。。。
今でもコンサートに行くのが心の支えだったとか。
お気持ちお察しします。
そんななか、今朝は窓を打ち付ける激しい雨のせいか、早朝より目が冴えてしまいました。
いつも目が覚めるとまずはスマホを手に取り、Yahoo!ニュースを見ます。
目に飛び込んだのは、作詞家喜多條忠さんの訃報。
かぐや姫の神田川とか妹、昭和の名曲です。
あなたはもう忘れたかしら♪と歌い始める神田川。
切なく、心に染み入る歌です。
3畳一間の下宿で 同棲 する二人のささやかな日常のひとこま。
小さな 石鹸せっけん カタカタ鳴った♪
詞のひとつひとつが、映画のシーンのように頭に思い浮かびます。
東京で過ごした私の学生時代も銭湯でした。
そして、下宿生活。階下に大家さん家族がいて、2階に女子ばかりの下宿人がいました。今は下宿なんてなくなってるよね。
小さな流し台とガス台があるだけでキッチンと呼べるようなものではなかったけど自炊できました。トイレは共同。
5部屋あり、その一つに3畳間の部屋があったと記憶してます。
夫の友人も3畳に住んでる人もいた。
そんな時代でした。
銭湯の思い出は、当時片思いしてる人がいて、よく銭湯帰りに公衆電話で彼に電話してました。
当時は、電話も呼び出しが多く、部屋に電話がある人は少なかったです。
大家さんに、○○さんお願いしますと言うのがイヤでイヤで(笑)
彼が電話口に出れば出たで、用事がないのに電話してるので、しどろもどろ。
ましてや片思いの彼、ドキドキしながら支離滅裂な話をしてたと思います。
留守が多く、声を聞けるのは何回かに一度であり、それでも銭湯の帰りには公衆電話に立ち寄ることが多かったです。
かぐや姫はの歌は大好きでアルバムもよく聴いてました。
解散してからの南こうせつさんのコンサートに行ったことがあります。
公衆電話の片思いの彼を思い切って誘ってみたのです。
当時、卒業したら実家に戻ることになっていた私は彼とは物理的に遠くなってしまいます。
想いを伝えてるだけでもと迷いに迷い、最後のチャンスと言い聞かせて。
意を決して電話するも、その日は家庭教師のバイトがあるからダメとあっさり断られてしまいました。
もしかして、それは口実だったのかも。多分そうだね。
コンサートに行き、帰りにはお酒でも飲んで楽しいひとときをなどと妄想していた私、それは叶うことなく終わりました。
女友だちを誘いコンサートに行き、武道館を出たその帰りには雪がチラついてました。
彼と一緒だったらロマンチックだっただろうなとまた妄想(笑)
そんな彼がいまどこで何をしてるのかは全くわかりません。
こうせつさんが、喜多條さんを見舞ったとき、神田川の次は三途の川ではないからねと冗談めかして元気づけたみたいですが、帰らぬ人となってしまいました。
74歳、まだまだ活躍できただろうにと思うと残念でなりません。
ご冥福を祈ると共に、ほんとうにいい歌をありがとうございました。
もちろん、こらからも歌い継がれるけど、何だか昭和の時代がまた遠くなります・・・。
私の年代はフォークソングと言えば青春と重なります、
いろんな好きな歌があり、曲はもちろん、詞に共感したり。時には涙したりと、あの頃は感情も豊かだっただろうし、自分のことに重ねている部分もあったのかもしれません。
コンサートに行くほどファンだったのは『ふきのとう』でしたが、NSPも好きでよく聴いてました。
たまたま読んでいたシニアのブログの方が今でも大ファンらしく、その悲しみようと言ったら。。。
今でもコンサートに行くのが心の支えだったとか。
お気持ちお察しします。
そんななか、今朝は窓を打ち付ける激しい雨のせいか、早朝より目が冴えてしまいました。
いつも目が覚めるとまずはスマホを手に取り、Yahoo!ニュースを見ます。
目に飛び込んだのは、作詞家喜多條忠さんの訃報。
かぐや姫の神田川とか妹、昭和の名曲です。
あなたはもう忘れたかしら♪と歌い始める神田川。
切なく、心に染み入る歌です。
3畳一間の下宿で 同棲 する二人のささやかな日常のひとこま。
小さな 石鹸せっけん カタカタ鳴った♪
詞のひとつひとつが、映画のシーンのように頭に思い浮かびます。
東京で過ごした私の学生時代も銭湯でした。
そして、下宿生活。階下に大家さん家族がいて、2階に女子ばかりの下宿人がいました。今は下宿なんてなくなってるよね。
小さな流し台とガス台があるだけでキッチンと呼べるようなものではなかったけど自炊できました。トイレは共同。
5部屋あり、その一つに3畳間の部屋があったと記憶してます。
夫の友人も3畳に住んでる人もいた。
そんな時代でした。
銭湯の思い出は、当時片思いしてる人がいて、よく銭湯帰りに公衆電話で彼に電話してました。
当時は、電話も呼び出しが多く、部屋に電話がある人は少なかったです。
大家さんに、○○さんお願いしますと言うのがイヤでイヤで(笑)
彼が電話口に出れば出たで、用事がないのに電話してるので、しどろもどろ。
ましてや片思いの彼、ドキドキしながら支離滅裂な話をしてたと思います。
留守が多く、声を聞けるのは何回かに一度であり、それでも銭湯の帰りには公衆電話に立ち寄ることが多かったです。
かぐや姫はの歌は大好きでアルバムもよく聴いてました。
解散してからの南こうせつさんのコンサートに行ったことがあります。
公衆電話の片思いの彼を思い切って誘ってみたのです。
当時、卒業したら実家に戻ることになっていた私は彼とは物理的に遠くなってしまいます。
想いを伝えてるだけでもと迷いに迷い、最後のチャンスと言い聞かせて。
意を決して電話するも、その日は家庭教師のバイトがあるからダメとあっさり断られてしまいました。
もしかして、それは口実だったのかも。多分そうだね。
コンサートに行き、帰りにはお酒でも飲んで楽しいひとときをなどと妄想していた私、それは叶うことなく終わりました。
女友だちを誘いコンサートに行き、武道館を出たその帰りには雪がチラついてました。
彼と一緒だったらロマンチックだっただろうなとまた妄想(笑)
そんな彼がいまどこで何をしてるのかは全くわかりません。
こうせつさんが、喜多條さんを見舞ったとき、神田川の次は三途の川ではないからねと冗談めかして元気づけたみたいですが、帰らぬ人となってしまいました。
74歳、まだまだ活躍できただろうにと思うと残念でなりません。
ご冥福を祈ると共に、ほんとうにいい歌をありがとうございました。
もちろん、こらからも歌い継がれるけど、何だか昭和の時代がまた遠くなります・・・。
フォーク好きのおじさんです。
過去のブログなども読みたいと思いフォローさせていただきます。
今後ともよろしくお願いします。
コメント&フォローありがとうございます。
初めまして〜(^^)
ブログ覗かせて頂きましたよ。
興味深いタイトルが並んでましたので、少しずつ読ませてもらいますね。
財津さんのトーク&歌のボランティアスタッフをやられるのですね。
報告記事、楽しみにしてますね!
チューリップも好きです。
心の旅、サボテンの花、虹とスニーカーの頃、魔法の黄色い靴など、いい歌がいっばいですね。
一番好きなのは青春の影かな。泣けてきます。
少し前になりますが、2016年3月に財津さん、姫野くんのコンサート行き、久々に生歌聴き感激しました。
いつまでもお元気で歌い続けて欲しいですね。