①鳥取県倉吉市立灘手小学校 尾原(おわら)
②倉吉市立社小学校 国分寺
③境港市立上道小学校 上道町
④境港市立余子小学校 竹内町
⑤境港市立外江小学校 外江町
⑥若桜町立若桜学園若桜小学校 浅井
⑦智頭町立智頭小学校 智頭
⑧八頭町立郡家西小学校 郡家
⑨八頭町立丹比小学校 北山
⑩八頭町立隼小学校 見槻中(みづきなか)
読みなど
① なだて 明治22年10月,久米郡尾原・寺谷(てらだに)など9村が合併し灘手村成立(~昭和30)。村名は灘手神社に因む。
② やしろ この地は,かつては『和名抄』にみえる久米郡八代郷。社は八代の異字か。
③ あがりみち 明治22年10月,会見郡上道村が単独村制施行(~昭和29)。村名は,当地が境港で下船した人々の南進路(上方)の出発地点(進路)に当たっていたことに因むという。
④ あまりこ 明治22年12月,会見郡下浜村が余子村と名称変更(~昭和29)。村名は,古くから産土神・余子神社に因む。
⑤ とのえ 明治22年10月,会見郡外江村が単独村制施行(~昭和22町制~29)。村名は『出雲風土記』にみえる戸江剗(とえのせき)の対岸にあたるため,古くから「とのえ」と呼ばれていたことに因む(『角川・鳥取』)。
⑥ わかさ 明治22年10月,八東郡若桜宿・三倉村・高野村が合併し若桜村成立(~42町制)。村名は,後醍醐天皇(在位1318~1339)が当地に来られた際,若木の桜をご覧になったという故事に因むとも,履中天皇(在位は5世紀前半ごろ)の時に当地を領した若桜部ノ造の姓氏に因むともいう
⑦ ちづ 明治22年10月,智頭郡智頭・南方(みなみがた)・市瀬の3村が合併し智頭村成立(~大正3町制)。村名の由来には,チは「道」,ズ(ヅ)は「頭」の意で,都から因幡の国府へ入る最初の道とする説やツツ状の地形説などがある。なお,JR因美線・智頭急行の駅名は,町名の「ちづ」ではなく,「ちず」である。
⑧ こおげにし 昭和26年4月,八頭郡賀茂村が単独町制施行し郡家町に名称変更(~平成17)。町名は,古代に郡司の館跡があったことに由来するというが,異説がある。
⑨ たんぴ 明治38年3月,八頭郡登米村と逢郷村が合併し丹比村成立(~昭和34)。村名の由来は未詳だが,古代の豪族多治比氏に因むのかもかもしれない。
⑩ はやぶさ 明治22年10月,見槻中・家村など7村が合併し隼村成立。村名は見槻中にある隼神社に因む。武内宿禰(たけのうちのすくね)の居住跡との伝承がある。同神社は京都隼神社と関係があるのではないかという。
②倉吉市立社小学校 国分寺
③境港市立上道小学校 上道町
④境港市立余子小学校 竹内町
⑤境港市立外江小学校 外江町
⑥若桜町立若桜学園若桜小学校 浅井
⑦智頭町立智頭小学校 智頭
⑧八頭町立郡家西小学校 郡家
⑨八頭町立丹比小学校 北山
⑩八頭町立隼小学校 見槻中(みづきなか)
読みなど
① なだて 明治22年10月,久米郡尾原・寺谷(てらだに)など9村が合併し灘手村成立(~昭和30)。村名は灘手神社に因む。
② やしろ この地は,かつては『和名抄』にみえる久米郡八代郷。社は八代の異字か。
③ あがりみち 明治22年10月,会見郡上道村が単独村制施行(~昭和29)。村名は,当地が境港で下船した人々の南進路(上方)の出発地点(進路)に当たっていたことに因むという。
④ あまりこ 明治22年12月,会見郡下浜村が余子村と名称変更(~昭和29)。村名は,古くから産土神・余子神社に因む。
⑤ とのえ 明治22年10月,会見郡外江村が単独村制施行(~昭和22町制~29)。村名は『出雲風土記』にみえる戸江剗(とえのせき)の対岸にあたるため,古くから「とのえ」と呼ばれていたことに因む(『角川・鳥取』)。
⑥ わかさ 明治22年10月,八東郡若桜宿・三倉村・高野村が合併し若桜村成立(~42町制)。村名は,後醍醐天皇(在位1318~1339)が当地に来られた際,若木の桜をご覧になったという故事に因むとも,履中天皇(在位は5世紀前半ごろ)の時に当地を領した若桜部ノ造の姓氏に因むともいう
⑦ ちづ 明治22年10月,智頭郡智頭・南方(みなみがた)・市瀬の3村が合併し智頭村成立(~大正3町制)。村名の由来には,チは「道」,ズ(ヅ)は「頭」の意で,都から因幡の国府へ入る最初の道とする説やツツ状の地形説などがある。なお,JR因美線・智頭急行の駅名は,町名の「ちづ」ではなく,「ちず」である。
⑧ こおげにし 昭和26年4月,八頭郡賀茂村が単独町制施行し郡家町に名称変更(~平成17)。町名は,古代に郡司の館跡があったことに由来するというが,異説がある。
⑨ たんぴ 明治38年3月,八頭郡登米村と逢郷村が合併し丹比村成立(~昭和34)。村名の由来は未詳だが,古代の豪族多治比氏に因むのかもかもしれない。
⑩ はやぶさ 明治22年10月,見槻中・家村など7村が合併し隼村成立。村名は見槻中にある隼神社に因む。武内宿禰(たけのうちのすくね)の居住跡との伝承がある。同神社は京都隼神社と関係があるのではないかという。