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地名アラカルト

各地の難読地名や珍しい地名についての由来やエピソードなどについて調べてみたいと思います。

兵庫県の難読小学校名 いくつ読めますか ⑫

2018年12月30日 21時58分44秒 | Weblog
①神崎郡神河(かみかわ)町立神崎小学校  粟賀町   
②揖保郡太子町立石海小学校 福地
③揖保郡太子町立斑鳩小学校 鵤(いかるが)
④佐用郡佐用町立利神小学校 口長谷(くちながたに)
⑤佐用郡佐用町立久崎小学校 佐用郡佐用町久崎
⑥美方郡香美町立小代小学校  小代区實山
⑦美方郡香美町立香住小学校  香住区香住
⑧美方郡香美町立射添小学校 岡区川会
⑨美方郡香美町立余部小学校  香住区余部
⑩美方郡新温泉町立照来小学校 桐岡

 読みなど

① かんざき 昭和30年3月,神崎郡粟賀・大山・越知山の3村が合併し神崎町成立。町名は郡名から。郡名はこの郡の奥に伊和の大社があり,「大社の前」の地の意の神前(かむざき)が神崎になったという。「神」の付く校名。
② せっかい 昭和26年4月,斑鳩町・石海村・大田村が合併し太子町成立。石海村は『播磨風土記』にみえる石海(いわみ)に因むと思われる。石海はこの地を石見国(現・島根県西部)の農民が開墾したことから,石見が変化したともいわれる。
③ いかるが 明治22年4月,鵤,馬場,阿曽,下阿曽の4村が合併し斑鳩村成立(昭和6年4月町制→26年4月太子町)。村名は聖徳太子開基の天台宗寺院「斑鳩寺」に因む。当地は法隆寺の荘園「鵤荘」(いかるがのしょう)があった所で,法隆寺創建から,一千年弱にわたり,法隆寺を経済的に支えてきた。
④ りかん 校名は朝霧の名所と知られる利神城に因む。
⑤ くざき 平成27年閉校。明治22年4月,久崎,家内(けない),上秋里など8村が合併し久崎村成立(昭和33年6月上月町→平成17年10月佐用町)。村名は千種川の支流,佐用川の曲流の先端(く・さき)に開けた土地に因むともいう。
⑥ おじろ 明治22年4月,大谷・実山・平野など19村が合併し小代村成立(昭和30年4月美方町→平成17年4月香美町)。村名は『和名抄』但馬国七美郡にみえる郷名,小代郷に因む。小代は小さな田代(田地)の意という。
⑦ かすみ 『和名抄』但馬国美含郡に「香住郷」とみえる。「カスミ(淅)」の意で,水の潤う地を指すともいう。
⑧ いそう 明治22年4月,川会・熊波(くまなみ),柤岡(けびおか)など14村が合併し射添村成立(昭和30年4月美方町→平成17年4月香美町)。当地が俵石を産していたから「石生」といい,これが変化したとする説や,水さび,鉄分で水が濁っている意からきた説などがある。
⑨ あまるべ 律令制下で50戸を郷(里)としたが,これに満たない小集落を余戸(あまるべ)といったことに因むという。JR山陰本線の餘部駅は「余部」にあるが,駅名が「餘部」となっているのは,JR姫新線の余部(よべ)駅との混乱を避けるためである。駅の近くにある余部鉄橋は高さ41m,長さ309mの日本一の橋脚の橋梁。
⑩ てらぎ 明治22年4月,二方郡桐岡・丹土(たんど)など7村が合併し照来村成立(~昭和29)。村名は,地内を貫流する照来川に因む。

兵庫県の難読小学校名 いくつ読めますか ⑪

2018年12月30日 12時51分34秒 | Weblog
①宍粟市立都多小学校  山崎町中野       
②たつの市立小宅小学校  龍野町日飼(ひがい)
③たつの市立神部小学校 揖保川町黍田(きびた)   
④たつの市立揖西西小学校 揖西町住吉
⑤たつの市立揖保小学校 揖保町西構(にしがまえ)     
⑥たつの市立誉田小学校  誉田町広山
⑦猪名川町立楊津小学校 木津茶垣内  
⑧稲美町立母里小学校 野寺      
⑨市川町立川辺小学校  川辺
⑩福崎町立八千種小学校  八千種

読みなど

① つた 藩政村。明治20年設立。校名も読みも2字。
② おやけ 明治22年4月,揖東(いっとう)郡日飼・北など11村が合併し小宅村成立(~昭和23)。村名の由来は不明。村名は龍野町小宅北として残る。
③ かんべ 明治22年4月,揖保郡神部・半田・河内の3村が合併し揖保川村成立。神部の村名は神社に奉仕する民戸に由来すると思われる。「神」の付く校名。
④ いっさいにし 揖西は揖保川の西にあることに由来する。
⑤ いぼ 明治22年4月,揖西郡揖保上・揖保中・西構など12村が合併し揖保村成立(~昭和26)。村名は『播磨風土記』に「イヒボ(粒)」の形をした山があったためとし,後に「イボ」と呼ぶようになったという。校名も読みも2字。
⑥ ほんだ 明治22年4月,古くからの広山庄の広山・長真(ながざね)・井ノ上(いのかみ)など10村が合併し誉田村成立(昭和26年4月龍野市→平成17年10月たつの市)。村名を広山村としなかったのは,新しい村の発展を祈願して,縁起の良い村名にしたからとも伝えられる。なお,千葉市緑区誉田町も「ほんだ」(当地の鎮守八幡神社の祭神・誉田別命<わけのみこと>に由来)と読むが,大阪府羽曳野市誉田は「こんだ」と読む。
⑦ ようしん 明治17年設立。『播磨風土記』に「養老2年(718),行基,楊津村に楊津寺を建立すると伝える」とあり,歴史を感じさせる校名である。津(シン)が冒頭に付いた地名はないようである。
⑧ もり 明治8年,現校名に改称。明治22年4月,加古郡野寺・草谷など6村が合併し母里村成立(~昭和30)。村名は,『播磨風土記』にみえる「望理郷」に由来するといわれるが,小学校が先行して母里と命名されていたので,これに準じたものと思われる。校名も読みも2字。
⑨ かわなべ 明治22年4月,西川辺・屋形・保喜(ほき)など9村が合併し川辺村成立(昭和30年7月市川町と合併)。村名は「播磨風土記」にみえる「川辺里」の地に由来するという。
⑩ やちくさ 明治22年4月,八千種村と大貫村が合併し八千種村成立(昭和31年5月福崎町と合併)。村名の由来は不明。

兵庫県の難読小学校名  いくつ読めますか ⑩

2018年12月28日 19時06分36秒 | Weblog
①南あわじ市立榎列小学校 榎列大(おお)榎列
②朝来市立東河小学校 和田山町東和田    
③朝来市立枚田小学校  和田山町和田山
④淡路市立北淡小学校 浅野神田  
⑤淡路市立志筑小学校  志筑
⑥淡路市立育波小学校  育波
⑦宍粟市立神戸小学校 一宮町東市場(いちば)
⑧宍粟市立染河内小学校 一宮町能倉
⑨宍粟市立神野小学校 山崎町田井      
⑩宍粟市立城下小学校 山崎町御名(ごみょう)


読みなど

① えなみ 明治22年4月,榎列・幡多・掃守(かもり)の3村が合併し榎列村成立(昭和30年4月三原町→平成17年1月南あわじ市)。村名の由来には,古代,この地が入江であったことから江南(えなみ)と呼んだとする説や,榎が繁茂していたとする説,灌漑用水路の「エ」が並列していからとするなど諸説がある(『兵庫難読』)。
② とが 明治22年4月,朝来(あさご)郡和田・岡田など8村が合併し東河村成立。村名の由来は不明。校名も読みも2字。
③ ひらた 明治22年4月,牧田・和田山など7村が合併し牧田村成立。村名は,古代は「牧田」とも書き,牧場にも水田にも恵まれた土地の意に由来するという(『兵庫難読』)。牧田が誤って枚田となったのかもしれない。
枚を「ひら」と読む地名は他に大阪府枚方市があるに過ぎないようだ。枚は「ひら」となかなか読めないが,一枚(ひら)の雲,一枚(ひら)の花びら等に使用する。
④ ほくだん 淡は呉音。
⑤ しづき 明治22年4月,津名郡志筑村が単独町名施行(昭和30年4月津名町→平成17年4月淡路市)。町名は,菅原道真が筑紫への途中に立ち寄り「筑紫を志す」の意に因む説や,名物の塩辛(味地草)に因む説などがある。
⑥ いくは 明治22年4月,育波・生田(いくた)・黒谷(くろだに)の3村が合併し育波村成立(昭和30年3月北淡町→平成17年4月淡路市)。村名は古代,的(いくは)氏という,軍事で朝廷に仕えていた豪族が部民を従えて居住していたことに因むという。
⑦ かんべ 平成30年3月閉校。明治22年4月,宍粟郡安積(あづみ)・東市場など9村が合併し神戸村成立。村名は,この地に鎮座する播磨三大社の一社・伊和神社に由来する。
⑧ そめごうち 平成30年3月閉校。明治22年4月,能倉・下野田など4村が合併し染河内村成立。村名の由来は,鎌倉期~南北朝期にみえる荘園「染河内荘」に由来する染河内川の流域に位置することによる。
⑨ かんの 明治22年4月,田井・五十波(いかば)など9村が合併し神野村成立(~昭和30)。村名は,地内の大社(おおやしろ)神社に因むのではないか。
⑩ じょうした 明治22年4月,御名・千本屋など13村が合併し城下村成立(~昭和30)。村名は,山崎城の城下町に因むと思われる。
                                

兵庫県の難読小学校名  いくつ読めますか ⑨

2018年12月28日 13時26分03秒 | Weblog
①養父市立宿南小学校  八鹿町宿南
②養父市立関宮小学校  吉井           
③丹波市立神楽小学校 青垣町文室(ふむろ)
④丹波市立鴨庄小学校  市島町上牧     
⑤丹波市立崇広小学校 柏原(かいばら)町柏原
⑥丹波市立久下小学校 山南(さんなん)町谷川       
⑦南あわじ市立西淡志知小学校 志知南  
⑧南あわじ市立阿万小学校 阿万下町    
⑨南あわじ市立沼島小学校 沼島
⑩南あわじ市立倭文小学校 倭文庄田(しょうだ)  
 
読みなど

① しゅくなみ 明治22年4月,養父郡宿南・青山など5村が合併し宿南村成立(~昭和30)。村名の由来は不明。
② せきのみや 明治22年4月,養父郡関宮・尾崎など7村が合併し関宮村成立(~昭和30)。村名の由来は旧山陰街道の関所のあった宿場で,関と宮の2集落の合成による。漢字と漢字の間に「の」が入る校名。
③ しぐら 平成29年3月末に学校統廃合により廃校。明治22年4月,氷上郡文室・檜倉など7村が合併し神楽村成立(~昭和30)。「かぐら」ではない。村名の由来は不明。
④ かものしょう 明治22年4月,氷上郡上牧(うえまき)・喜多など6村が合併し鴨庄村成立(~昭和30)。村名は地内を流れる鴨庄川に因む。漢字と漢字の間に「の」が入る校名。
⑤ そうこう 明治6年2月,藩学校崇広館として開校。10月崇広小学校と改称。
⑥ くげ 明治22年4月,氷上郡谷川・大河(おおか)など10村と岩屋村の一部が合併し久下村成立(~昭和30)。村名は,かつてこの地方の領家職であった久下氏に由来する。村名は消滅したが,JR加古川線に村名の付いた珍しい駅名・久下村駅を残す。校名も読みも2字。
⑦ せいだんしち 明治22年4月,三原郡志知・片田・高島・河内の4村が合併し志知村成立。村名は大日川下流域の地域名による。淡は呉音。
⑧ あま 藩政村。明治7年開校。明治22年4月,阿万・阿万浦・本庄の8村が合併し阿万村成立(昭和9年1月町制→30年4月南淡町→平成17年1月南あわじ市)。村名は,『日本書紀』『万葉集』に見える「淡路の御原の海人」が多く住んでいたことに因むという。何時の頃からか「海人」が「阿万」に変わった。校名も読みも2字。
⑨ ぬしま 淡路島の南4.6キロにある周囲約10キロの島。江戸期まで「沼島千間」と呼ばれるほど漁業で栄えた。「ぬ」の文字には,玉の意があり,島が勾玉(まがたま)の形をしているため,沼島と呼ばれるようになったともいわれている。沼を「ぬ」と読む地名は少ない(岡山県赤磐市沼田<ぬた>,広島県三原市沼田町)。
⑩ しとおり 明治22年4月,倭文・庄田・長田・高堂の4村が合併し倭文村成立(昭和32年6月三原町→平成17年1月南あわじ市)。村名は,古代,織物を織っていた部民が住んでいたことに因むという。なお,同字の鳥取市倭文は「しとり」と読む。

兵庫県の難読小学校名  いくつ読めますか ⑧

2018年12月27日 16時04分49秒 | Weblog
①川西市立久代小学校 久代3丁目
②小野市立大部小学校 敷地(しきじ)町
③小野市立来住小学校  下来住町
④三田市立三田小学校  屋敷町
⑤三田市立母子小学校 母子
⑥加西市立西在田小学校 上道山町 
⑦加西市立九会小学校  中野町      
⑧篠山市立篠山小学校 北新町
⑨養父市立養父小学校 養父市場(いちば)    
⑩養父市立建屋小学校  建屋            

 読みなど

① くしろ 摂津国皇別大彦命(おおひこのみこと)の後裔と伝えられる久々智(くくち)氏のゆかりの地とする説や,釧(くしろ,ひじに巻く輪形の装身具)を作った地とする説などがある。
② おおべ 明治25年開校。明治22年4月,河東郡敷地・王子など5村が合併し大部村成立。村名の由来は不明。
③ きし 明治22年4月,河東郡来住・西脇など6村が合併し来住村成立。村名は『播磨風土記』に見える「伎須美野」の転訛で,すでに開発された絹布のように美しい良田のある所に由来するという。一方,朝鮮系渡来人「阿知吉師(あちきし)」が開拓した土地とも考えられるとの説もある。
④ さんだ 明治22年4月,有馬郡三田町・三田屋敷町・三田村・寺村・下深田村の一部が合併し三田町成立(~昭和33市制)。町名の由来には諸説がある。①金心寺(こんしん)本尊の胎内から「当地は松山庄と言うが,これを金心寺三福田により三田と改める」の文字に由来。②金心寺の恩田・悲田・敬田(きょうでん)の三田に由来。③三輪神社の神田に由来。④荘園集落の散田に由来。
⑤ もうし 藩政村。明治22年4月,有馬郡小野・母子など5村が合併し小野村成立(~昭和31三田町と合併)。母子は,古くは毛志と書いたが,江戸期頃から母子になったという。なお,千葉県山武郡横芝光町に母子(ははこ)という地名がある。
⑥ にしありた 明治22年4月,上道山・下道山など6村が合併し西在田村成立。村名の由来は不明。
⑦ くえ 明治22年4月,中野・桑原田・繁昌など9村が合併し九会村成立(昭和30年3月加西町→52年4月市制)。村名は9村が合併したことからか。校名も読みも2字。
⑧ ささやま 明治22年4月,篠山13町(旧篠山城下町),黒岡町が合併し篠山町成立(平成11年4月市制)。町名の由来は地内の小山を聖聖(ささ)山,聖なる山と称したことによるという。丹波杜氏の出身地。「丹波篠山山野の猿が」の「デカンショ節」で知られる。
⑨ やぶ 明治22年4月,養父郡養父市場・大藪など8村が合併し養父市場村成立(昭和15年町制施行し養父町に町名変更→平成16年市制)。養父の由来は,川原の近くで竹や小木が密生する土地に由来するという。校名も読みも2字。
⑩ たきのや 明治22年4月,養父郡町・船谷(ふねだに)・三谷(みたに)など7村が合併し建屋村成立(昭和31年9月明神町→32年3月養父町→平成16年4月市制)。村名は,古代この地に楯縫部(たてぬいべ,楯を作って朝廷に仕えた集団)が置かれ,楯の屋があったことに因むという。なお,尼崎市建屋町は「たてや」と読む。漢字と漢字の間に読みの「の」が入る校名。

兵庫県の難読小学校名  いくつ読めますか ⑦

2018年12月27日 12時25分43秒 | Weblog
①赤穂市立有年小学校  西有年           
②西脇市立比延小学校  比延町           
③宝塚市立安倉小学校  安倉中6丁目
④宝塚市立仁川小学校 仁川宮西町
⑤宝塚市立逆瀬台小学校 逆瀬台6丁目
⑥宝塚市立売布小学校 売布ガ丘         
⑦三木市立志染小学校 志染町御坂
⑧三木市立三樹小学校  末広1丁目
⑨三木市立口吉川小学校 口吉川町殿畑
⑩三木市立中吉川小学校 吉川町大畑

読みなど

① うね 播磨国赤穂郡の荘園・有年荘に由来か。語源は畝(うね)とみられるという。有は有頂天(うちょうてん)・有無(うむ)を言わせず・有為転変(ういてんぺん)などの有(う)(呉音)。姓氏あり。校名も読みも2字。
② ひえ 藩政村。明治22年4月,比延・上比延・下比延・中畑・奥畑・塚口・高島・堀の8村が合併し比延庄(ひえしょう)村成立(昭和27年4月西脇市と合併)。比延の由来については,応神天皇がこの地で狩りをした時,鹿が天皇の前に立って「ヒヒと鳴いたため,天皇は鹿を射るのを止めさせた。この山を比也山(ひややま),野を比也野(ひやの)と名付け,その後「ひや」から「ひえ」に転訛したと伝えられる(『角川・兵庫』)。また,ヒエル意味のヒエ(冷)や穀物のヒエ(稗)と関係があるかもしれないという。校名も読みも2字。
③ あくら 巡遊中の聖徳太子がこの地に馬をとどめ,鞍を休めたという伝承に因むという。
④ にがわ 地内を流れる仁川(六甲山の東麓が源流)から。
⑤ さかせだい 逆瀬川の河岸段丘に位置するからか。
⑥ めふ 地内にある延喜式内社の売布神社による。校名も読みも2字。
⑦ しじみ 明治22年4月,美嚢郡志染中・御坂など9村と広野新開が合併し志染村成立。村名の由来に諸説がある。①当地を流れる志染川で淡水のシジミ貝がとれたことに因む。②志染川の清い水流から清水(しみず)の意に由来。③履中<りちゅう>天皇(仁徳天皇の第1皇子)がこの地で食事をした際,シジミ貝が食器の縁に上がってきたという伝承説。
⑧ さんじゅ 校名の由来は不明。
⑨ くちよかわ 明治22年4月,殿畑・桾原(くぬぎはら)・吉祥寺など17村が合併し口吉川村成立(昭和29年6月三木市と合併)。村名は当地を流れる美嚢川と関係があるのかもしれない。口吉川町は酒造好適米の山田錦が盛んな地域である。
⑩ なかよかわ 明治22年4月,大畑,貸潮(かしお),吉安(きちやす)など14村が合併し中吉川村成立(昭和30年7月吉川町→平成17年10月吉川市に編入)。村名の由来は不明だが,当地を流れる美嚢川の中流に当たるからか。

兵庫県の難読小学校名  いくつ読めますか ⑥

2018年12月26日 18時40分03秒 | Weblog
①伊丹市立神津小学校  森本1丁目
②伊丹市立昆陽里小学校 山田2丁目
③相生市立那波小学校 那波本町       
④豊岡市立城崎小学校  城崎町湯島
⑤豊岡市立神美小学校  三宅
⑥豊岡市立五荘小学校 中陰
⑦加古川市立神野小学校 神野町石守      
⑧加古川市立氷丘小学校  加古川町中津
⑨加古川市立東神吉小学校  東神吉町神吉
⑩加古川市立上荘小学校 上荘町都染(つそめ)

読みなど

① かみつ 明治24年,現校名に改称。明治22年4月,森本・西桑津・東桑津など8村が合併し神津村成立(~昭和22)。村名は「神国の日本は摂津にある」に由来するという。神津の地名は消滅した。
② こやさと 昆陽の由来は,領主である中臣(なかとみ)氏の祖先である天児屋根尊(あまのこやねのみこと)から「児屋」とし,その後,行基が開いた寺が「昆陽」を使うようになったという。また,荒野(こうや)を開拓した地の短縮で,「こや」の意ともいう。
③ なば 明治22年4月,那波・佐方・睦・池之内の4村が合併し那波村成立(昭和6年11月町制→14年4月相生町→17年10月市制)。この地は古来より潮待ち,風待ち港として栄え,奈良期には「縄の浦」と呼ばれた。村名はこれが転訛したのではないかともいわれる。校名も読みも2字。
④ きのさき 城崎温泉で知られる。明治28年3月,湯島村が単独町制施行し城崎町と名称変更。町名は集落が柵の前方にたあったことに由来するのではないかともいう。
⑤ かみよし 明治22年4月,三宅・奥野・穴見市場など17村が合併し神美村成立(昭和32年9月豊岡市に編入)。村名は往古属した神部荘と安美荘の一字ずつとった合成。神美の地名は消滅したが,豊岡中核工業団地の造成地が完成したので,昭和60年,旧村名を生かした「神美台」の地名が誕生した。
⑥ ごのしょう 明治22年4月,城崎郡中陰・上陰・下陰など14村が合併し五荘村成立(~昭和25)。村名はかつての荘園名に由来するのか。
⑦ かんの 藩政村。明治22年4月,神野・石守・福留など5村が合併し神野村成立。村名は,神武天皇の東征の時,荒振神(あらぶるがみ,暴悪の神)がこの野にいたという伝承に因むという。「神」の付く校名。
⑧ ひおか 明治22年4月,中津・河原・大野など6村が合併し氷丘村成立(~昭和12)。村名は, 原野を走り回っていた鹿が「ヒー」と鳴いて丘へ登ったこと(『播磨国風土記』)に因む「日岡」に,同音の「氷丘」を付けたともいわれる。
⑨ ひがしかんき 明治22年4月,印南郡神吉・升田など6村が合併し東神吉成立。村名は,『播磨国風土記』にみえる私部の祖先がこの地で馬上から誤って酒の瓶を落としたので,「瓶落」と名付けられ,それが「含芸(かむき)」となり,さらに「神吉」に転訛したといもいわれる。
⑩ かみそう 明治22年4月,都染・見土路など7村が合併し上荘村成立。村名は,平荘(へいそう)村(明治22~昭和30)の上流に位置することに由来する。


                          

兵庫県の難読小学校名  いくつ読めますか ⑤

2018年12月26日 12時55分49秒 | Weblog
尼崎市立小園小学校 若王寺3丁目
②明石市立江井島小学校 大久保町西島
③西宮市立香櫨園小学校 中浜町
④西宮市立夙川小学校  久出ケ谷町
⑤西宮市立用海小学校  用海町
⑥西宮市立生瀬小学校  生瀬町2丁目
⑦西宮市立神原小学校 神原
⑧洲本市立鮎原小学校 五色町鮎原
⑨洲本市立都志小学校  五色町都志万歳 
⑩洲本市立安乎小学校  安乎町平安浦

読みなど

① おぞの 昭和43年開校。旧小字名か。
② えいがしま 明治25年,現校名に改称。旧小字名か。郵便局名は明石江井ヶ島郵便局。
③ こうろえん 大阪の商人・香野蔵治と櫨山(はぜやま)慶次郎の両氏が明治40年に2人の名前をとって造園した遊園地「香櫨園」に由来。
④ しゅくがわ 夙川は地名ではなく,市の西部を南流する河川名。宿川とも書き,この川原を宿河原といった。昔,風来僧が野宿して念仏を唱えたという(『河川辞典』)。夙は呉音読み。石刎(いしばね)町に北夙川小学校がある。
⑤ ようがい 昭和5年,現校名に改称。この地は,通称「ようがい」と呼ばれていたが,大正14年,「用海町」と命名された。海岸に近く,「護岸工事の難しい地」「用心」という意の用害が語源になったともいう(西宮市HP)
⑥ なまぜ 有馬温泉に向かう人が武庫川を渡る際に,川の中に滑らかな瀬が多かったために,「滑瀬(なめせ)」と呼んでいたのが転訛したという。また,川曲地の隠れた浅瀬や早瀬のある「ナバセ(隠瀬)」の転訛説もある。
⑦ かんばら 近くにある廣田神社と関係がある地名か。
⑧ あいはら 菅原道真が大宰府へ下向の途中,都志(とし)浦に着き都志川をさかのぼると,鮎がたくさんいたことに因むという。
⑨ つし 明治6年開校。藩政村。明治22年4月,津名郡都志村と万歳村が合併し都志万歳村成立(~大正13町制~昭和31)。村名は,出石の豆之(ずし)伝説や菅原道真の「都志」伝説に由来するといわれているが,「つし」は「土」「地」の転訛で,都志川の砂州から形成された平野であることも関係しているかもしれないという(『兵庫難読』)。
⑩ あいが 明治22年4月,津名郡平安・平安浦・豊秋の3村が合併し安乎村成立。村名は,「饗処(あえか)の意で,かつて朝廷に食料を献納していたことに因むという(『兵庫難読』)。

兵庫県の難読小学校名  いくつ読めますか ④

2018年12月25日 20時42分44秒 | Weblog
①姫路市立白鷺小学校  本町
②姫路市立手柄小学校 延末(のぶすえ)
③姫路市立砥堀小学校 砥堀
④姫路市立豊富小学校 豊富町御蔭
⑤姫路市立太市小学校 西脇
⑥姫路市立妻鹿小学校 飾磨区妻鹿       
⑦姫路市立莇野小学校 夢前町莇野
⑧尼崎市立武庫庄小学校  武庫之荘本町3丁目
⑨尼崎市立杭瀬小学校 杭瀬北新町2丁目
⑩尼崎市立大庄小学校  大庄中通4丁目
 
                                          読みなど 

① はくろ 平成21年,白鷺小学校・白鷺中学校の小中一貫として開校。姫路城の別名「白鷺城」に因むか。
② てがら 明治22年4月,栗山・延末・安田の3町と延末・西延末など5村が合併し手柄村成立(昭和11年4月姫路市に編入)。村名は手柄山による。手柄は稲を鍬ではなく手で刈ったことから命名されたという。柄は国訓。山陽電鉄本線に手柄駅がある。副駅名は手柄山中央公園。
③ とほり 明治22年4月,砥堀,仁豊野(にぶの)の2村が合併し砥堀村成立(昭和8年4月姫路市に編入)。
村名は応神天皇が行幸の際,道の雑草を切り払っていたときに刃が鈍くなったことから「砥掘り来(とほりこ,砥石を掘って持って来い)」と言った伝承にちなむという(『兵庫難読』)。
④ とよとみ 明治22年4月,豊富・御蔭(みかげ)・神谷(こだに)の3村が合併し豊富村成立(昭和31年4月神南町→33年1月姫路市に編入)。村名は,『播磨国風土記』に伊与都比古(イヨツヒコ)が宇智賀久牟豊富命(ウチカクムトヨホノミコト)と戦った時,冑がこの岡(冑岡)に落ちた」とあり,地元の神・豊富に因むという。
⑤ おおいち 明治22年4月,太市中・西脇など4村が合併し太市村成立(昭和29年姫路市に編入消滅)。村名にはこの地を訪れた応神天皇が,「狭い土地と思ったが,大内(オオウチ)ではないか」といったことから転訛したのではないかという伝承もある(『兵庫難読』)。
⑥ めが 明治22年4月,妻鹿村が単独村制施行(昭和13年4月飾磨町→15年2月市制→21年3月姫路市と合併)。村名はこの地付近で応神天皇または仁徳天皇が狩りをした際,雌雄2頭の鹿が現れ,雄鹿は対岸の男鹿(たんが)島(姫路市家島町)へ渡った。しかし,雌鹿は当地の山中に入ったという伝承にちなむという。妻は「めあわす(嫁にやる)」の略当て字か。妻を「メ」と読む地名に埼玉県熊谷市妻沼がある。鹿を「ガ」と読む地名は少ないようである。校名も読みも2字。*熊本県山鹿(やまが)市。
⑦ あぞの 藩政村。地名の由来は不明だが,莇は「くこ」「あざみ」と読み,いずれかかが繁茂していたことと関係があるのかもしれないという。
⑧ むこしょう 藩政村。明治22年4月,武庫庄・東武庫・西武庫など11村と寺本村の一部が合併し武庫村成立(~昭和17)。『和名抄』にみえる旧武庫郡は武庫川の下流域,尼崎市などから神戸市にまたがる広大な地域。神功(じんぐう)皇后が三韓遠征の帰りに武器を埋めた地という説,難波(大阪)の地から見ると大阪湾の「向こう」にある地など諸説がある。
⑨ くいせ 軟弱な低湿地の地盤を固めるため,株(くいぜ)を瀬に並べてたことに由来するという。かつては株瀬,橛(くい)瀬とも書いたが,「くい」に「杭」(国訓)の字が使用されるようになったという。阪神本線の杭瀬駅は兵庫県最東端の駅。
⑩ おおしょう 明治22年4月,東新田・西新田などの9村が合併し大庄村成立(昭和17年2月尼崎
に編入)。村名の由来は当地がかつて「大島の庄」と呼ばれていたことによるという。  

兵庫県の難読小学校名  いくつ読めますか ③

2018年12月25日 16時23分44秒 | Weblog
①姫路市立菅生小学校 夢前(ゆめさき)町菅生澗(だに)     
②姫路市立網干小学校 網干区新在家(しんざいけ)
③姫路市立香呂南小学校 香寺町須加院
④姫路市立置塩小学校 夢前町宮置     
⑤姫路市立坊勢小学校  家島町坊勢
⑥姫路市立英賀保小学校 飾磨区英賀清水町2丁目    
⑦姫路市立旭陽小学校  網干区坂上
⑧姫路市立飾磨小学校  飾磨区恵美酒(えびす)
⑨姫路市立四郷小学校  四郷町坂元
⑩姫路市立城乾小学校 南八代町    
 
読みなど

① すごう かつて菅(スガ)が生えていたのか。生の付く地名。
② あぼし 養老4年(720)放生会(ほうじょうえ,供養のため,捕らえられた生き物を放してやる儀式)の式日に殺生を禁じ,氏子の漁師は漁を休み,浜で網を干して祭礼に参加したことから,網干祭といい,近郷を網干と称するようになったという(『角川・兵庫』)。(JR西日本)山陽本線網干駅や山陽電鉄網干線の終着駅「山陽網干駅」がある。
③ こうろみなみ 明治22年4月,神崎郡香呂・須加院・矢田部など10村が合併し香呂村成立(~昭和29)。村名は市川の右岸にあり,川原の転訛という。また,かつて郡の中心で郡家(ぐんけ)と関係のある郡(こおり)の転訛ではないかともいう。
④ おきしお 明治22年4月,宮置・置本・塩田などの10村が合併し置塩村成立(昭和30年7月夢前町→平成18年3月姫路市に編入)。村名の由来は未詳。氏姓あり。
⑤ ぼうぜ 家島本島の南,西島の東にある島名。坊勢の由来は不明。
⑥ あがほ 明治22年4月,阿賀・山崎・付城(つけしろ)・高町の4村が合併し英賀保村成立(昭和11年4月飾磨町→15年4月市制→姫路市と合併)。村名は阿賀神社(伊和大神<いわのおおかみ>の子・英賀比古<ひこ>と英賀比売<ひめ>を祀る)に由来するとみられる。保は古代,五戸を一保とした末端組織。校名も読みも3字。
⑦ きょくよう 明治22年4月,坂上・和久など8村と新在家村の一部が合併し旭陽村成立(~昭和17)。村名は,村北端の朝日山(旭)の南側(陽)に村域がまたがることによるという。
⑧ しかま 明治22年4月,飾東郡飾磨11町と恵美酒村,細江村が合併し飾磨町成立(昭和15年2月市制→21年3月姫路市と合併)。町名は大三間津日子命(オオミマツヒコノミコト)が屋形を造っていた時,大きな鹿が鳴いたことから,「荘鹿(しか)鳴くかも」と言ったことに因むという。また,砂地や砂丘のある処の意の州処間(すかま)の転訛ともいう(『兵庫難読』)。
⑨ しごう 明治22年4月,坂元・本郷・東阿保などの8村が合併し四郷村成立(昭和32年10月姫路市に編入)。村名は東阿保村を除く全村が利用していた用水の四郷井に由来する。
⑩ じょうけん 校名は「姫路城」の乾(いぬい)(戌亥:北西)に位置していることに由来するという。乾(ケン)は漢音で,乾坤一擲(けんこんいってき)や乾隆帝(けんりゅうてい)の乾。