①山口市立秋穂小学校 秋穂東
②山口市立大海小学校 秋穂東
③山口市立阿知須小学校 阿知須
④山口市立生雲小学校 阿東生雲中
⑤山口市立柚野木小学校 徳地柚木
⑥山口市立大歳小学校 大字矢原
⑦山口市立陶小学校 陶
⑧山口市立鋳銭司小学校 鋳銭司
⑨下関市立垢田小学校 新垢田西町1丁目
⑩下関市立内日小学校 内日下
読みなど
① あいお 明治22年4月,吉敷郡秋穂東本郷村と秋穂西本郷村が合併し秋穂村成立(~昭和15町制~平成17)。『東寺百合文書』文永2年(1265)に秋穂二島庄とみえる。はじめ「アキホ」と称し,荘園地名として佳名を用いたが,「アイホ(aiho)」の「h」が脱落し「アイオ(aio)」に変化したとみられる。秋穂庄の名は,昔この地の領主が「秋の穂の満ち渡りたる郷なり」といったという伝承に因むともいう。なお,「秋」を「あい」と読む地名には島根県松江市秋鹿(あいか)町があるが,その例は少ないようである。
② おおうみ 明治25年開校。『防長風土注進案』(『防長風土記』ともいう。1841年)に大海,青海の2村がみえる。「この村は,昔はすべて青海で山際まで潮が満ちてくるので,大いなる青海という意味で大海とも,また青海ともいった」とある。現在,湾名の大海湾はあるが,地名はないようである。校名は湾名に因むのか。
③ あじす 昭和15年11月,吉敷郡井関村が単独町制施行し阿知須町と名称変更。町名は阿知須浦に因む。『防長風土注進案』に「当浦に長さ600間,幅1間半の洲が海中に出てきているが,この洲に小鴨(アチという)がいつも遊んでいるので,浦の名を阿知須という」とある。
④ いくも 明治22年4月,阿武郡生雲中・生雲西分・蔵目喜の3村が合併し生雲村成立(~昭和30)。須佐八幡宮所蔵の『大井八幡宮祭礼宮座』(文和元年=1352)に生雲郷の名がみえる。出雲の誤記説もあり,由来は不詳。
⑤ ゆのき 豊かな自然に囲まれた山の中にある学校。地名は柚(ゆず)の木が生えていたことに因むのか。校名も読みも3字。
⑥ おおとし 明治31年7月,矢原朝田村が大歳村と名称変更(~昭和19)。村名は,地内にあった小さな祠(ほこら)を「大歳さま」と呼んでいたことに因む。大歳の地名は消滅したが,学校名のほか,駅名(JR山口線),郵便局名などにその名を残す。
⑦ すえ 明治22年4月,吉敷郡陶村が単独村制施行。村名は,往古,朝鮮から陶器を作る技術を有する者が渡来し,この地に定着して土器を焼き,陶部(すえべ)といったことに因むという。
⑧ すぜんじ 明治22年4月,吉敷郡鋳銭司村が単独村制施行。村名は,昔鋳銭司が置かれ,白銀銭,銅銭が鋳造された所に因むという。鋳(シュ)は呉音。なお,福岡市西区に周船司(すせんじ)の地名があるが,鋳銭所があった所ではないかともいう。
⑨ あかだ 赤田村が垢田村に改名されたという。『下関市史』に「この地区は赤土で形成される地層が多いので赤田村と呼ばれるようになったのであろう」とある。アガタ(吾の田)の説もある。なお,垢を冠した小学校は極めて珍しいが,当校のほかに大分県津久見市の無垢島(むくしま)小学校(休校中)がある。
⑩ うつい 明治22年4月,豊浦郡内日下・内日上・植田の3村が合併し内日村成立(~昭和30)。村名は15世紀初頭の文書に「内日郷」「内日村」とみえる。この地は東西南北ともに山に囲まれ,その内を陽が照らすことから名付けられたともいう。
②山口市立大海小学校 秋穂東
③山口市立阿知須小学校 阿知須
④山口市立生雲小学校 阿東生雲中
⑤山口市立柚野木小学校 徳地柚木
⑥山口市立大歳小学校 大字矢原
⑦山口市立陶小学校 陶
⑧山口市立鋳銭司小学校 鋳銭司
⑨下関市立垢田小学校 新垢田西町1丁目
⑩下関市立内日小学校 内日下
読みなど
① あいお 明治22年4月,吉敷郡秋穂東本郷村と秋穂西本郷村が合併し秋穂村成立(~昭和15町制~平成17)。『東寺百合文書』文永2年(1265)に秋穂二島庄とみえる。はじめ「アキホ」と称し,荘園地名として佳名を用いたが,「アイホ(aiho)」の「h」が脱落し「アイオ(aio)」に変化したとみられる。秋穂庄の名は,昔この地の領主が「秋の穂の満ち渡りたる郷なり」といったという伝承に因むともいう。なお,「秋」を「あい」と読む地名には島根県松江市秋鹿(あいか)町があるが,その例は少ないようである。
② おおうみ 明治25年開校。『防長風土注進案』(『防長風土記』ともいう。1841年)に大海,青海の2村がみえる。「この村は,昔はすべて青海で山際まで潮が満ちてくるので,大いなる青海という意味で大海とも,また青海ともいった」とある。現在,湾名の大海湾はあるが,地名はないようである。校名は湾名に因むのか。
③ あじす 昭和15年11月,吉敷郡井関村が単独町制施行し阿知須町と名称変更。町名は阿知須浦に因む。『防長風土注進案』に「当浦に長さ600間,幅1間半の洲が海中に出てきているが,この洲に小鴨(アチという)がいつも遊んでいるので,浦の名を阿知須という」とある。
④ いくも 明治22年4月,阿武郡生雲中・生雲西分・蔵目喜の3村が合併し生雲村成立(~昭和30)。須佐八幡宮所蔵の『大井八幡宮祭礼宮座』(文和元年=1352)に生雲郷の名がみえる。出雲の誤記説もあり,由来は不詳。
⑤ ゆのき 豊かな自然に囲まれた山の中にある学校。地名は柚(ゆず)の木が生えていたことに因むのか。校名も読みも3字。
⑥ おおとし 明治31年7月,矢原朝田村が大歳村と名称変更(~昭和19)。村名は,地内にあった小さな祠(ほこら)を「大歳さま」と呼んでいたことに因む。大歳の地名は消滅したが,学校名のほか,駅名(JR山口線),郵便局名などにその名を残す。
⑦ すえ 明治22年4月,吉敷郡陶村が単独村制施行。村名は,往古,朝鮮から陶器を作る技術を有する者が渡来し,この地に定着して土器を焼き,陶部(すえべ)といったことに因むという。
⑧ すぜんじ 明治22年4月,吉敷郡鋳銭司村が単独村制施行。村名は,昔鋳銭司が置かれ,白銀銭,銅銭が鋳造された所に因むという。鋳(シュ)は呉音。なお,福岡市西区に周船司(すせんじ)の地名があるが,鋳銭所があった所ではないかともいう。
⑨ あかだ 赤田村が垢田村に改名されたという。『下関市史』に「この地区は赤土で形成される地層が多いので赤田村と呼ばれるようになったのであろう」とある。アガタ(吾の田)の説もある。なお,垢を冠した小学校は極めて珍しいが,当校のほかに大分県津久見市の無垢島(むくしま)小学校(休校中)がある。
⑩ うつい 明治22年4月,豊浦郡内日下・内日上・植田の3村が合併し内日村成立(~昭和30)。村名は15世紀初頭の文書に「内日郷」「内日村」とみえる。この地は東西南北ともに山に囲まれ,その内を陽が照らすことから名付けられたともいう。