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地名アラカルト

各地の難読地名や珍しい地名についての由来やエピソードなどについて調べてみたいと思います。

沖縄県の難読小学校名 何と読みますか ⑩

2019年07月17日 15時38分46秒 | Weblog
①島尻郡伊是名村立伊是名小学校 仲田   
②島尻郡久米島町立比屋定小学校 宇江城(うえぐすく)
③島尻郡八重瀬町立具志頭小学校 字具志頭(ぐしちゃん)
④島尻郡八重瀬町立新城小学校 字新城(あらぐすく)   
⑤島尻郡八重瀬町立東風平小学校 字東風平  
⑥宮古郡多良間村立多良間小学校 仲筋(なかすじ)    
⑦八重山郡竹富町立西表小学校 西表
⑧八重山郡竹富町立船浮小学校 西表
⑨八重山郡竹富町立波照間小学校 波照間
⑩八重山郡与那国町立久部良小学校 字与那国  

読みなど

① いぜな 那覇市より西方95㎞にある伊是名島(1,542ha)を主島とする村。昭和14年7月,伊平屋村の一部(字伊是名・仲田など)が分立し伊是名成立。村名は,「いじへな」「いざな」などと記され,砂礫の意という(『日本地名基礎辞典』)。校名も読みも3字。標高36m。
② ひやじょう 久米島町(平成14年4月,仲里・具志川2村が合併)は那覇市の西方98㎞の東シナ海にある久米島(5953ha,県下では5番目の大きさ)からなる。比屋定(方言ではハージョーという)は王府時代~明治41年の村名。標高114m。
③ ぐしかみ 八重瀬町は平成18年1月,東風平(こちんだ)町と具志頭村が合併して誕生。具志頭は町の南部に位置。方音グシチャン。グシは後の義で,チャンは極め(果て)のことという説がある(『日本地名基礎辞典』)。校名は「ぐしちゃん」ではなく「ぐしかみ」と読む。標高58m。校名と所在地名の読みが異なる校名。
④ あらしろ 町の北部に位置。標高57m。校名と所在地名の読みが異なる校名。
⑤ こちんだ 町の北部に位置。標高39m。常に東の風受ける地域という説があるが不明(『日本地名基礎辞典』)。菅原道真の和歌に「東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」があり,東風を「コチ」と読むのは古くからあったようだ。千葉県富津市東風谷は「こちゃやつ」と読む。
⑥ たらま 宮古島と石垣島の中間に位置する多良間島(1,975ha)と水納島(みんなじま)からなる村。マは島の義。タラは平坦な地の意かという(『日本地名基礎辞典』)。明治24年開校。標高15m。
⑦ いりおもて 石垣島の南西にある西表島(面積28,962ha,県内では沖縄本島に次いで第2位)を中心に竹富島(543ha)・波照間島(1,273ha)などからなる町。 西表の「表」は石垣島の於茂登岳(おもとだけ,526m)を指し,於茂登岳の「西」(太陽の入る方向)にある山の意ともいう。標高2m。
⑧ ふなうき 船浮は西表島の西部,船浮湾に面する地域で,他の集落との間には道路が通じておらず,船舶が唯一の交通手段となっている。標高4m。
⑨ はてるま 波照間は八重山群島中最南の島で果(ハテ)の義であろう(『沖縄地名考』)。日本最南端の小学校。標高40m。
⑩ くぶら 琉球諸島最西端,沖縄本島から520㎞,石垣島127㎞にある与那国島(2,852ha)からなる町。大正3年4月,八重山村の字与那国を分離し村制施行(~昭和23町制)。村名はユナグニといい,米国(ヨネクニ)で産物をもって命名されたという(『沖縄地名考』)。当校は島の西端にあり,校名は久部良岳(195m)に因む小字名によるか。大正15年開校。校名も読みも3字。標高18m。

沖縄県の難読小学校名 何と読みますか ⑨

2019年07月16日 12時20分16秒 | Weblog
①中頭郡嘉手納町立嘉手納小学校 嘉手納
②中頭郡嘉手納町立屋良小学校 屋良1丁目    
③中頭郡中城村立中城小学校 屋宜(やぎ)     
④島尻郡与那原町立与那原小学校 与那原     
⑤島尻郡南風原町立南風原小学校 兼城(かねぐすく)
⑥島尻郡南風原町立津嘉山小学校 津嘉山
⑦島尻郡渡嘉敷村立渡嘉敷小学校 渡嘉敷
⑧島尻郡粟国村立粟国小学校 東
⑨島尻郡渡名喜村立渡名喜小学校 渡名喜村     
⑩島尻郡伊平屋村立伊平屋小学校 我喜屋(がきや)  


読みなど

① かでな 昭和43年現校名に改称。東シナ海に注ぐ比謝川左岸に位置。校名も読みも3字。標高17m。嘉手納町は昭和23年12月,中頭郡北谷(ちゃたん)村の一部(字嘉手納・屋良・野国・野里の一部)が分立し嘉手納村成立(~昭和51町制)。当校近くに野国総管宮がある。野国総管は中国から沖縄に初めて甘藷を伝えた人物。
② やら 明治39年開校。比謝川左岸の平坦な団地上に位置。王府時代~明治41年の村。校名も読みも2字。標高29m。当校は嘉手納基地からわずか200mの位置にある。氏姓あり。
③ なかぐすく 沖縄本島南部東側,中城湾に臨む。明治41年4月,中城間切(屋宜・伊集<いじゅ>など23村)が中城村となる。村名は「中心となる城」の意に因むのか。標高9m。
④ よなばる 沖縄本島南部東海岸に面する。昭和24年1月,島尻郡大里村の一部(字与那原・上与那原・板良敷<いたらしき>)が分立し与那原町成立。ヨナは海浜に多い地名で,海岸の砂原の意ともいう。標高5m。
⑤ はえばる 沖縄本島南部,那覇市南東部に接する。明治41年4月,島尻郡の南風原間切(兼城・津嘉山など11村)が
南風原村(~昭和55町制)となる。琉球語で南や南風を「ハエ」といい,原を「バル」と読み,北を「ニシ」というので北原(ニシバル)という地名に相対した地名という(『山中・語源』)。首里の中心から南の地に当たるからともいう。標高18m。
⑥ つかざん 町の西方に位置。王府時代~明治41年の村名。村名は高津嘉山(87m)に因むか。標高26m。
⑦ とかしき 村は慶良間諸島の渡嘉敷島ほかの島々からなる。大半が山がちな島。明治29年開校。標高8m。シキは岩場を示す地形語か(『日本地名基礎辞典』)。姓氏あり。*1945年3月27日,米軍が渡嘉志久(とかしく)・阿波連(あはれん)など南西海岸より上陸。翌28日午前10時住民329人北山にて集団自決する(同村HP)。
⑧ あぐに 那覇市の北西約60kmにある粟国島(762ha)一島からなる村。村名は,粟を多く産したことに因むという。標高26m。
⑨ となき 那覇市の北西約60kmにある渡名喜島(374ha)と無人島(入砂島)の2島からなる村。標高7m。校名も読みも3字。
⑩ いへや 沖縄県の有人島としては最も北にある伊平屋島(2066ha)を主島とする村。標高9m。校名も読みも3字。

沖縄県の難読小学校名 何と読みますか ⑧

2019年07月14日 21時39分47秒 | Weblog
①国頭郡本部町立本部小学校 東
②国頭郡本部町立水納小学校 瀬底(せそこ)       
③国頭郡本部町立伊豆味小学校 伊豆味    
④国頭郡恩納村立安富祖小学校 安富祖    
⑤国頭郡恩納村立喜瀬武原小学校 喜瀬武原  
⑥国頭郡宜野座村立宜野座小学校 宜野座   
⑦国頭郡金武町立金武小学校 金武         
⑧中頭郡読谷村立読谷小学校 高志保(たかしほ)      
⑨中頭郡読谷村立古堅小学校 楚辺(そべ)
⑩中頭郡読谷村立渡慶次小学校 瀬名波(せなは)     
    
読みなど

① もとぶ 沖縄本島北部,本部半島北西部に位置。明治41年4月,国頭郡の本部間切(崎本部・瀬底など13村)が本部村(~昭和15町制)となる。標高9m。
② みんな 本部町の渡久地(とぐち)港から南西約8kmの地点に浮かぶ水納島(470ha)に所在。同島は,三日月型の島なので,「クロワッサンアイランド」と呼ばれている。標高9m。なお,同名の水納島(215ha)が宮古列島の多良間村水納にある。「水」を「みん」と読む地名は他にないようである。
③ いずみ 明治38年開校。本部半島のほぼ中央部,大井川上流の盆地に位置。校名も読みも3字。標高80m。
④ あふそ 沖縄本島の中央部に位置,西は東シナ海に臨む。王府時代~明治41年の村。校名も読みも3字。標高2m。*恩納は方言でウンナという。これに文字を当てたのか。明治41年4月,国頭郡恩納間切が村制施行。
⑤ きせんばる 恩納岳(363m)山麓に位置。恩納村唯一の内陸字。4字校名。原を「ばる」と読む。標高56m。
⑥ ぎのざ 沖縄本島中央部東海岸に位置。明治33年現校名に改称。昭和21年4月,国頭郡金武村の一部(字宜野座・惣慶(そけい)・漢那・古知屋)が分立し宜野座村成立。方言でギヌザといい,これに文字を当てはめたという。校名も読みも3字。標高33m。
⑦ きん 沖縄本島中央部東海岸に位置。明治15年開校。明治41年4月,国頭郡の金武間切(金武・伊芸など7村)が金武村(~昭和55町制)となる。方言でチンといい,これに文字を当てたという。山脈の義とする説もあるという(『日本地名基礎辞典』)。校名も読みも2字。標高46m。
⑧ よみたん 沖縄本島中央部西海岸に位置。昭和21年12月,読谷山(よみたんだ)村が名称変更。村名は,かつて読谷按司が長浜の港で南蛮貿易を行い,一大勢力圏を形成したことに因むとも,古くは読谷山(ゆたんざ)といい,サキヨタと呼ばれ,半島の地の意ともいう。谷を「たん」と読む地名は珍しい。標高82m。
⑨ ふるげん 古堅は村の南部,東シナ海に注ぐ日謝川右岸に位置。当校は楚辺に近接して所在。標高34m。
⑩ とけし 渡慶次は村の西北部,残波(ざんば)岬につながる半島状の地に位置。王府時代~明治41年の村名。地名は,開拓者に因むとも,トゥクシという岩に因むともいう。標高56m。

沖縄県の難読小学校名 何と読みますか ⑦

2019年07月13日 20時58分39秒 | Weblog
①石垣市立富野小学校 桴海(ふかい)
②石垣市立宮良小学校 宮良
③石垣市立川平小学校 川平         
④国頭(くにがみ)郡国頭村立安田小学校 字安田        
⑤国頭郡国頭村立辺土名小学校 辺土名
⑥国頭郡国頭村立安波小学校 字安波        
⑦国頭郡大宜味村立大宜味小学校 字塩屋
⑧国頭郡今帰仁村立今帰仁小学校 越地(こえち)
⑨国頭郡今帰仁村立兼次小学校 今泊(いまどまり)
⑩国頭郡今帰仁村立天底小学校 天底       


読みなど

① とみの 市の北部,桴海於茂登(おもと)岳(477m)の山麓に位置。標高24m。所在地の桴海は珍しい地名で,桴の付いた地名は,当地と愛知県弥富市桴場(いかだば)しかないようである。
② みやら 市の南東部,宮良湾に面し,琉球石灰岩段丘上に位置。標高27m。
③ かびら 市の西部,東は川平湾に臨む。琉球石灰岩段丘上に位置。標高15m。
④ あだ 国頭村は沖縄本島最北端の自治体。安田は太平洋に臨む。王府時代~明治41年の村名。校名も読みも2字。標高8m。
⑤ へんとな 村の南西部,北は東シナ海に面し,村役場が所在。王府時代~明治41年の村名。標高3m。なお,一時期(昭和20年9月~21年1月),国頭村・大宜味村・東村の3村が合併し「辺土名市」であった。
⑥ あは 明治26年開校。村の東部,太平洋に面する。校名も読みも2字。標高5m。
⑦ おおぎみ 沖縄本島北部,国頭半島西部に位置。明治41年4月,国頭郡の大宜味間切(大宜味・塩屋など10村)が大宜味村となる。村名の由来は不明。標高6m。
⑧ なきじん 沖縄本島北部,本部半島北東部に位置。明治41年4月,国頭郡の今帰仁間切(兼次・天底など16村)が今帰仁村となる。語源は「魚来住(ナキミズ)」で,「魚の多く集まる所」の意ともいう。標高20m。
⑨ かねし 村の北部に位置。当校は,兼次ではなく隣の今泊にある。今泊は,かつては兼次の地であったのか。標高9m。
⑩ あめそこ 村の東部に位置。明治21年開校。標高52m。天を「あめ」と読む地名は極めて少ない。那覇市天久(あめく),静岡県周智郡森町天宮(あめのみや)。

沖縄県の難読小学校名 何と読みますか ⑥

2019年07月12日 15時12分08秒 | Weblog
①宮古島市立西城小学校 城辺西里添(にしざとそえ)
②宮古島市立平良第一小学校 平良下里
③宮古島市立福嶺小学校 城辺新城(あらぐすく)
④宮古島市立伊良部小学校 伊良部長浜       
⑤石垣市立明石小学校 伊原間(いばるま) 
⑥石垣市立新川小学校 新栄町       
⑦石垣市立登野城小学校 登野城
⑧石垣市立真喜良小学校 新川(あらかわ)        
⑨石垣市立崎枝小学校 崎枝
⑩石垣市立八島小学校 八島町2丁目             
 
読みなど

① せいじょう 西城は旧城辺町の北西部に当たる地域の総称。明治42年現校名に改称。標高64m。なお,同地のバス停に,西西(にしにし)・西中(にしなか)・西東(にしとう)がある。
② ひららだいいち 宮古島北西部に位置。明治41年4月,平良間切の一部・砂川間切の一部・下地間切の一部が合併し平良村成立(~大正13町制~昭和22年市制~平成17)。村名は平地を意味するという。標高19m。姓氏あり。
③ ふくみね 福嶺は小字名。宮古島東側端の琉球石灰岩の上に位置。標高49m。姓氏あり。
④ いらぶ 平成31年3月閉校。伊良部島(2,906ha)に所在。明治41年4月,宮古郡の下地間切の一部(伊良部・長浜など5村)と平良間切の一部(前里添村と池間添村)が合併し伊良部村成立(~昭和57町制~平成17)。村名は奄美群島の永良部と同音で,隆起サンゴ礁の断崖を示す語かという(『日本地名基礎辞典』)。島名も読みも3字。伊良部島と宮古島島を結ぶ伊良部大橋は平成27年1月31日供用開始(橋長3,540 m,離島どうしを結ぶ橋としては日本最長で,無料橋としても日本最長)。氏姓あり。
⑤ あかいし 昭和32年開校。石垣島北部の平久保半島の中央部に位置し,校区は,昭和30年琉球政府の計画移民によってできた明石集落。標高8m。*石垣島の面積(22,254ha)は沖縄県内では沖縄本島・西表島に次いで3番目。 
⑥ あらかわ 昭和45年開校。石垣島南西部に位置。石垣漁港に近接。王府時代~明治41年の村名。標高3m。同名校が千葉市流山市にある。氏姓あり。
⑦ とのしろ 石垣島南部に位置。地名はトゥン(殿)とグスク(石垣)に因むかともいう(『角川・沖縄』)。標高18m。氏姓あり。
⑧ まきら 石垣市の市街地西側に位置。真喜良は小字名か。校名も読みも3字。標高6m。同名の真喜良郵便局がある。
⑨ さきえだ 昭和32年開校。石垣島西部,屋良部半島の基部に位置。地名は,半島が海に枝のように突き出している地形に因むともいう。標高29m。
⑩ やしま 石垣島最南端に位置。標高3m。

沖縄県の難読小学校名 何と読みますか ⑤

2019年07月10日 13時05分18秒 | Weblog
①浦添市立牧港小学校 牧港2丁目
②豊見城市立豊見城小学校 字高嶺    
③豊見城市立上田小学校 宜保(ぎぼ)
④豊見城市立座安小学校 座安
⑤南城市立馬天小学校 佐敷津波古(さしきつはこ)        
⑥南城市立玉城小学校 玉城屋嘉部(やかぶ)
⑦糸満市立喜屋武小学校 喜屋武   
⑧糸満市立兼城小学校 賀数(かかず)
⑨糸満市立米須小学校 米須
⑩宮古島市立城辺小学校 城辺福里(ふくざと)           
 
読みなど

① まきみなと 牧港川下流左岸に位置。牧港は古琉球の重要な港。沖縄に漂着した源為朝(1139~70)がここから帰国,妻子の再来を待ってここに住んだので,牧港というようになったという伝承がある。為朝は琉球王朝の祖になったという伝承もある。標高19m。
② とみしろ 昭和50年開校。校名が市名の読みと異なる。校名は近くに造成された「豊見城(とみしろ)団地」に因む。トミは瑞祥。標高69m。
③ うえた 宜保の南隣に上田がある。方言では「イータ」という。これに文字を当てたのか。豊見城丘陵域に囲まれた小盆地に位置。「うえだ」と濁音ではない。標高26m。
④ ざやす 王府時代~明治36年の村名。明治41年開校。方言では「ザア」という。これに文字を当てたのか。標高10m。
⑤ ばてん 昭和57年開校。中城湾を見下ろす加奈堂原丘陵地に立地。標高22m。馬天は仲伊保(なかいほ)から津波古にいたる湾入を指し,馬天港がある。*南城市は平成18年1月,佐敷町・知念村・玉城村・大里(おおざと)村が合併して成立。
⑥ たまぐすく 明治15年開校。明治41年4月,島尻郡の玉城間切(玉城・屋嘉部など13村)が玉城村となる(~平成18)。玉は美称辞で,グスクは城または聖地の意という。標高98m。
⑦ きゃん 明治13年開校。明治41年4月,島尻郡の喜屋武間切(喜屋武・山城など4村)が喜屋武村(~昭和21)となる。村名はキャメ(極),ツマリ(詰)のことで沖縄本島の南端部の意という。校名も読みも3字。標高39m。氏姓あり。
⑧ かねぐすく 明治13年開校。明治41年4月,島尻郡の兼城間切の一部(兼城・賀数など8村)が兼城村(~昭和36)となる。標高43m。同地名が島尻郡南風原町や島尻郡久米島町(旧具志川村)にもある。
⑨ こめす 昭和27年現校名に改称。当地は昭和20年(1945)の沖縄戦で6月以降に戦場となった場所。慰霊碑・慰霊塔の「魂魄の塔(こんぱくのとう)」がある。近くの伊原には「ひめゆりの塔」がある。標高33m。
⑩ ぐすくべ 昭和16年現校名に改称。宮古島南東部に位置。明治41年4月,宮古郡の砂川間切の一部(砂川・福里など7村)と平良間切の一部(比嘉村・長間村)が合併し城辺村成立(~平成17)となる。村名は,この地が王府時代,もと4か村といわれ,聖域のあるところといわれていたことに因むともいう。標高80m。

沖縄県の難読小学校名 何と読みますか ④

2019年07月08日 17時55分40秒 | Weblog
①沖縄市立北美小学校 登川     
②沖縄市立美里小学校 美里4丁目   
③沖縄市立泡瀬小学校 泡瀬2丁目
④沖縄市立安慶田小学校 安慶田2丁目   
⑤中頭郡北谷町立北谷小学校 沖縄市南桃原4丁目
⑥宜野湾市立嘉数小学校 真栄原(まえはら)1丁目
⑦宜野湾市立大謝名小学校 大謝名5丁目
⑧宜野湾市立志真志小学校 宜野湾3丁目      
⑨浦添市立沢岻小学校 沢岻         
⑩浦添市立当山小学校 当山 
                      
読みなど

① きたみ 昭和26年現校名に改名。校名は旧美里村の北に当たることに因むか。標高37m。美は呉音。
② みさと 沖縄本島中部,比謝川上流に位置。明治41年4月,中頭(なかがみ)郡の美里間切(東恩名・比屋根など19村)が美里村となる。標高53m。*中頭は本島中央部の総称。北を国頭,南を島尻というのに対する。同名校が秋田県男鹿市にある。
③ あわせ 平成5年開校。沖縄本島中部,中城(なかぐすく)湾に突出する半島に位置。標高3m。
④ あげだ 王府時代~明治41年の村名。市の中心部に位置。校名も読みも3字。標高59m。
⑤ ちゃたん 同校は北谷町に近接した沖縄市南桃原4丁目にある。当地はかつて北谷町であったのか。北谷は『おもろそうし(歌謡集)』にキタタンとみえ,キタは風の義で,キチャタンからチャタンになったという(『日本地名基礎辞典』)。*北谷第二小学校は北谷町桑江にある。
⑥ かかず 大正8年開校。真栄原1丁目の西隣りに嘉数1丁目がある。真栄原1丁目は,かつては嘉数の一部であったのか。標高72m。姓氏あり。
⑦ おおじゃな 昭和51年開校。方言でもオオジャナというが,近隣からジャナと呼ばれる。ジャナは砂地を意味するという(『角川・沖縄』)。標高6m。
⑧ しまし 宜野湾3丁目の東隣に志真志1丁目があり,かつては志真志の一部であったのか。校名も読みも3字。標高95m。
⑨ たくし 王府時代~明治41年の村名。首里の北に位置し,石灰岩丘陵地にある。沢岻は高岩の義であろうという(『沖縄地名考』)。標高80m。姓氏あり。
⑩ とうやま 昭和51年開校。児童数1000余人を数える県下有数の大規模校。市の北東部,浦添丘陵に位置。沖縄戦での激戦地。標高104m。姓氏あり。

沖縄県の難読小学校名 何と読みますか ③

2019年07月06日 17時24分02秒 | Weblog
①名護市立大北小学校 大北4丁目
②うるま市立彩橋小学校 与那城平安座(よなしろへんざ)
③うるま市立平敷屋小学校 勝連平敷屋
④うるま市立城前小学校 石川
⑤うるま市立高江洲小学校 高江洲
⑥うるま市立赤道小学校 赤道      
⑦沖縄市立越来小学校 越来1丁目  
⑧沖縄市立諸見小学校 胡屋(こや)2丁目
⑨沖縄市立美原小学校 美原4丁目
⑩沖縄市立比屋根小学校 比屋根6丁目 
 
読みなど

① おおきた 昭和60年開校。名護城跡の北に位置。標高20m。
② あやはし 当校は平成24年,4島(伊計島・宮城(みやぎ)島・平安座島・浜比嘉(はまひが)島)の小学校が統合して発足。4島は橋でつながっている。標高2m。*うるま市は平成17年4月,石川・具志川(ぐしかわ)2市と中頭(なかがみ)郡与那城・勝連2町が合併し成立。
③ へしきや 王府時代~明治41年の村名。沖縄本島中部東海岸から太平洋に突き出した与勝半島の東端に位置。標高27m。
④ しろまえ 昭和20年5月7日創立(同校HP)。標高5m。
⑤ たかえす 大正2年設立。標高12m。沖縄本島中部の東海岸,天願川支流のヌーリ川右岸に位置。「タケーシ」と呼び,集落の位置が江洲より高い場所にあることによるとも,高岩の義ともいう。
⑥ あかみち 方言ではアカミチーといい,琉球石灰岩を母岩とする土の色に因み,これに漢字を当てたのか。標高55m。
⑦ ごえく 沖縄本島中部,安慶田(あげた)川流域に位置。石灰岩台地を越える土地の意という(『吉田・語源』)。標高74m。
⑧ もろみ 王府時代~明治41年の村名。諸見里は越来城跡の南西方の丘陵地に位置し,始祖は胡屋村から移住したと伝えられる(『角川・沖縄』)。昭和21年開校。標高98m。
⑨ みはら 平成2年開校。標高49m。
⑩ ひやごん 平成20年開校。市の南東部に位置。標高11m。姓氏あり。

沖縄県の難読小学校名 何と読みますか ②

2019年07月05日 14時40分11秒 | Weblog
①那覇市立天妃小学校 久米1丁目     
②那覇市立大名小学校 首里大名町1丁目   
③那覇市立上間小学校 長田2丁目     
④那覇市立古蔵小学校 古波蔵(こはぐら)1丁目     
⑤名護市立真喜屋小学校 真喜屋     
⑥名護市立瀬喜田小学校幸喜      
⑦名護市立東江小学校 東江1丁目   
⑧名護市立羽地小学校 田井等(たいら)
⑨名護市立屋我地小学校 饒平名(よへな)     
⑩名護市立安和小学校 安和        

読みなど

① てんぴ 校名は,当校に隣接してある上天妃宮跡の石門に由来か。天妃は中国の媽祖(まそ)信仰に由来する航海を守護する神。標高6m。
② おおな 首里台地の北端,安謝川中流域に位置。方言ではウフナといい,広い野を意味するという。標高65m。
③ うえま 上間は王府時代~明治41年の村名。首里台地の南,識名台地南部に位置。標高45m。
④ こくら 校名は,古波蔵の短略か。那覇港に注ぐ国場川右岸に位置。標高32m。
⑤ まきや 沖縄本島北部,羽地内海(はねじないかい)に臨む。普通にはマヂャといい,地の人はマギャという。真謝(まじゃ)・真和志(しわし)と同語で,マーヂ(真土)の義だという(『沖縄地名考』)。校名も読みも3字。標高6m。
⑥ せきた 当校は,市街地の南,国道58号線沿いに位置。校名は学区域の喜瀬・幸喜・許田から一字ずつとつた合成校名。校名も読みも3字。校名も読みも3  字。標高6m。なお,幸喜は方言でホーキといい,もと砂原より成り乾地(かわきち)の義という(『沖縄地名考』)。
⑦ あがりえ 名護湾に臨む。王府時代~明治36年の村名。東は太陽が上がる方向で,アガリ,江は入江。標高4m。*西は太陽が入る方向で,イリという。
⑧ はねじ 明治41年4月,国頭郡の羽地間切(まぎり)の田井等・仲尾次など17村が合併し羽地村成立(~昭和45)。
標高9m。
⑨ やがじ 昭和21年5月,国頭郡羽地村の字屋我・我部(がぶ)・饒平名・済井出(すむいで)が分立し屋我地村成立(~昭和45)。村名は屋我地島(782ha)に因む。校名も読みも3字。標高3m。
⑩ あわ 王府時代~明治41年の村名。本部(もとぶ)半島基部に位置し,南は名護湾に臨む。校名も読みも2字。標高3m。

沖縄県の難読小学校名 何と読みますか ①

2019年07月03日 20時41分14秒 | Weblog
①那覇市立天久小学校 天久1丁目 
②那覇市立小禄小学校 小禄
③那覇市立真地小学校 真地       
④那覇市立宇栄原小学校 小禄
⑤那覇市立安謝小学校 安謝2丁目
⑥那覇市立仲井真小学校 仲井真    
⑦那覇市立真和志小学校 寄宮(よりみや)3丁目
⑧那覇市立銘苅小学校 銘苅2丁目
⑨那覇市立垣花小学校 山下町     
⑩那覇市立金城小学校 金城4丁目    

読みなど

① あめく 王府時代~明治41年の村名。沖縄本島南部,天久台地上に位置。標高33m。
② おろく 方言では「ウルク」。火の神の意という(『JR・第三セ』)。沖縄本島南部,小禄台地上に位置。標高23m。
③ まあじ まあじはサンゴ石灰岩が風化して生じた残滓土ともいう(『楠原・地名用語』)。標高17m。
④ うえばる 小禄台地上に位置。当校のすぐ近くに宇栄原4丁目がある。標高48m。
⑤ あじゃ 王府時代~明治41年の村名。天久台地の北西部,安謝川下流左岸に位置。標高8m。
⑥ なかいま 王府時代~明治41年の村名。国場川(こくばがわ)流域に位置。標高6m。姓氏あり。
⑦ まわし 明治41年4月,島尻郡の真和志間切(天久・仲井真など11村)が真和志村制施行(~昭和28市制~32)。標高22m。
⑧ めかる 沖縄本島南部,天久台地上に位置。地名は,安謝川支流の銘苅川によるという。銘苅とはわかめを苅ることという(『丹羽・難読』)。標高20m。
⑨ かきのはな 那覇港の南岸に位置。標高11m。漢字と漢字の間に読みの「の」が入る校名。
⑩ かなぐすく 王府時代~明治36年の村名。小禄台地の北東部に位置。標高32m。沖縄方言では「城」をグスクというが,本来,石垣で囲まれた防御嫡集落をいうという(『吉田・語源』)。