映画雑誌などで歴代日本映画ベストテン的な企画をやると大抵1位になるのは黒澤明監督の「七人の侍」だ。
では「七人の侍」が公開された1954年ではどう評価されてたのかと、キネマ旬報のベストテンを調べてみる。当然一位だろうと思いきや「七人の侍」は3位である。
54年度のベストワンはと言えば「二十四の瞳」なのである。
志村喬は「また負け戦だったな。勝ったのはあの子たちだ。わしらではない」と語ったとか(うそです)
だからキネ旬は信用ならんと言いたいわけではなく、「二十四の瞳」はそれくらいの力を持った映画なのだと言いたいのである。
今日での評価こそ「七人の侍」の方が上かもしれないけど、「二十四の瞳」が日本映画史に残る珠玉の名作であることは変わりない。
余談だけど1954年という年は「二十四の瞳」と「七人の侍」と「ゴジラ」が公開された年ということになり、なかなかのレジェンドイヤーだ。
私は泣けば名作という考え方には否定的で、泣いたけどつまらない映画は結構たくさんある。つまんない上に泣けもしない映画よりはマシだが
「二十四の瞳」は観賞5〜6回目になるのだけど、また泣いたし、そしてやはり面白い映画なのだ。
3年前にカラー映画を撮った木下惠介だから、この映画をカラーで撮る選択もあったとは思うが、この映画の場合は色彩よりも純粋に物語を感じて欲しかったのかもしれない。
だけど、モノクロであることが全くデメリットにならないくらいに、全カットが美しい。
モノクロだが色彩が見えるようであり、遠景の小豆島の山は水墨画のような美しさを湛えている。
小豆島の石切場を写す序盤の数シーンは、死のイメージとしての葬式の列や、墓石、港に並ぶ地蔵などに紐づいていて、死と隣り合わせの時代を印象付ける。
隙間なく悲しみが刻印されたような画はどれも思い返して涙ぐむ。
改めて見るとカット割は結構大胆なところもある。教室のシーンでは大胆にイマジナリーラインも、目線も無視している。でも違和感なくストーリーに入れるのは、見かけ上の目線の関係などより、教師と生徒の物語における関係の方がはるかに強いからなのかもしれないし、登場人物の誰かの目線よりも教室を目撃している観客の目線を重視しているかもしれないし、単に子供たちと大石先生が愛しすぎて他のことがどうでも良くなるからかもしれない。
木下惠介と言えば考えてみれば、「カルメン故郷に帰る」「永遠の人」も「笛吹川」も「楢山節考」もかなり型破りな映画だったわけで、国民映画の巨匠みたいな印象もあったけど、こうして見返してみると「二十四の瞳」も、変な映画作家の片鱗を随所に見つけることができる。
高峰秀子の夫を天本英世が演じていて、かなりかっこいい。
お父さんが亡くなったことを長男に伝えるシーンはとても悲しいのだが、「大丈夫だよ。お父さんは死んでないよ。お父さんは死神博士と名を変えてショッカーの大幹部となって日本征服を狙ってるはずだから」と大石先生一家に教えたくなった。
今回「二十四の瞳」デジタルリマスター版ブルーレイを買ったのだが、デジタル技術を持ってしても台詞の不明瞭なところはあり、致し方ない。とは言えスコセッシが修復した雨月物語はもっと音質がクリアだったので、スコセッシならまだできると思う。
デジタルリマスター版の予告編を橋口亮輔監督が作られていて
「日本人の美しい心が」うんちゃらという橋口監督のメッセージが予告編前に映される
この映画のテーマは国家によって教育がねじ曲げられていくこと、そして国家によって未来がふさがれて自由を奪われていた時代ではないかと思うのだが、橋口監督にはどう見えていたんだろう。
「二十四の瞳」を愛する映画作家があんな発言をするなんて信じられない。
もっとも俺だって「ランボー」とか好きだから、好きな映画と思想は関係ないってだけかもしれんが。