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テレビで観た映画シリーズ2 「ジョン・ウィック」 シビれるかっこよさルールに囚われない面白さ

2018-09-20 00:32:53 | ビデオ・DVD・テレビ放映での鑑賞

久々にビリビリしびれるような至極のアクション映画に出会った感覚
既存の映画価値観をぐらつかせるほどきついパンチを食らった気がした
キアヌ・リーブスの行くところ死体が次々とできる他は何も生み出さない
彼のこの映画での殺しの目的は、金、正義、愛する誰か、お国等々のためではなく、ただ己の流儀のためだけに殺している。いや、流儀ですらないのか、ただ感情のままなのか。
飼い犬殺した若造が許せないから殺すことにした。そうしたら邪魔する奴がいっぱい来るので皆殺しにしたという、シンプルにもほどがある話。

80年代のシュワルツェネッガーあたりの映画なら力でねじ伏せる事で成立しているものも沢山あるが、そうした映画がきちんと2018年という時代に即して進化した作品という印象。
マトリクスのころは好きでも嫌いでもなかったキアヌだが、本作のキアヌは恐ろしくカッコいい。
シュワやセガールのような理不尽な強さでなく、戦い方が理にかなっているというか、敵と判明すれば最低2発撃ち込む、というか大体の敵は2発で倒している。
格闘となると、取っ組み合いの末に投げ飛ばして手か足で絞め殺す。確実に死ぬまでやる。骨折リスクがある上に確実に仕留められる保証のない打撃系の攻撃は牽制程度。相手のウェイトを利用する投げ技と、組み合っての絞め殺し。強い。怖い。そして確実。

敵にもやや強いのがいて、取っ組み合いの末に7〜8メートルの高さから放り投げられる。80年代シュワなら何事もなく次の行動に移り、90年代ブルースウィリスならしかめっ面で悪態の1つもついてから次の行動に移るところだが、キアヌは打撲箇所をアイシングして、傷口は縫い合わせてから次へと移るのだ。いや十分常人ばなれしているがシュワブルースにくらべるとだいぶ人間側に近づいてきたアクションヒーローであることよ。
それでも、同年代くらいのスターたち、トム、ブラピ、ジョニデあたりとガチで戦ったら圧勝するのではないかと思えるほど、格闘と銃さばきはものすごく板についていた!

脚本の教科書的な本には必ず書いてあることの1つに、「主人公は物語を通して成長しなくてはならない」とある。成長ないしは内面の変化を描くのが共感を呼ぶ必須要素であると。
なので脚本というやつでは、冒頭で険悪だった夫婦がラストでキスしたり、自信家のパイロットが一度挫折してまた自信をとりもどしたり、石版の謎を探るため木星行ったら光ブワーなってぐぉぉーっなって気づいたら赤ん坊なってたり、怯えていた百姓たちに笑顔が戻りそれを助けてあげたはずの侍が実は今回もまた負け戦だったと悟ったりするのである。
で、ジョン・ウィックを思い返してすごいのは、この映画では主人公は1ミリも成長していないのである。
主人公の成長はキャラクター設定時点で完了している
かつて、一流の殺し屋だったジョンウィックは、ある女性との出会いがきっかけで足を洗うことを決意する。彼の雇い主は辞める交換条件で絶対不可能と思われた仕事を依頼するが、彼はその仕事をやり遂げ親分は約束通り足を洗うことを認めたのだった。
…これは映画のストーリーではなくキャラクター設定で、敵の親分が思い出語りをする、再現シーンはなく、親分の喋りも上記の解説よりもっと字数少なく、10秒程度で語ったにすぎない
普通のハリウッドなら、この設定部分の方を映画化するのではないか
しかし、本作は冒頭15分で生意気な若造に飼い犬を殺されたジョンウィックがあいつを殺すと決意して久々の殺し屋復帰して以降は成長はない。新しい技を身につけるとかそういう外面的な変化も、やっぱり殺しはやめだと考えを変えたりといった内面の変化もない
彼はひたすらターゲットを追って邪魔者は殺しながら、冒頭15分で提示した殺しを完遂するのである。まあ、そのあとさらに因果応報で怒りと恨みの連鎖による新しい目的が生まれていくのだが、成長は一切ない
変化といえば、彼の邪魔をしたやつが数十人死んだくらいだ
強いて言えば最初の15分であいつ絶対殺すと決めた瞬間くらいか

だからハリウッドシナリオセオリー2、「最初の15分で映画のゴールを示す」には乗っかっているし、一応セオリー3「15〜20分間隔でプロットポイントを準備して物語の展開を変化させる」にも則っている
そういう意味ではプロの仕事だが、ただしプロットポイントで提示される新たな展開など、どれも大したことはなく、キアヌが築く死体の山が増えていく展開だ。ストーリーらしいストーリーなどないに等しい。
映画はこうだ、という既存の価値観にとらわれず、そうはいっても乗っかるところは乗っかって、超絶面白いアクション映画に仕立てている

既存の価値観にとらわれずでも乗っかるところは乗っかる
…と書いて、この映画で唯一気に入らなかったあるシーンが、ふと腑に落ちたのだ。
そのシーンとは、敵に捕まり椅子に縛られ絶体絶命のキアヌがどうやって危機を脱するのかと思ったら、通りすがりの(でもないが)友達に助けてもらうのだ。
ここは、見た直後は正直ガッカリした。ピアース時代のジェームズボンドのような他力本願っぷりはヒーローらしくない
よっぽどキアヌを狙う女殺し屋の方が俺の考えるアクションヒーローに近い。彼女は捕まって拘束されても誰の助けも借りずに自分で親指を外して拘束から脱するのだ。
…でも、あるいはこの二人の危機の脱し方の違いはこの映画のテーマに即しているのではと思ってきた
この映画でキアヌのジョンウィックは殺し屋互助会のような組織に出入りし、その組織の掟を守って情報を取りながら仕事は基本一人で行う。組織の掟と節度を守るから信頼もされ、リスペクトもされ、それによっていざという時に誰かが助けてくれる可能性を高めていたとも言える。
一方で女殺し屋は組織の掟「コンチネンタルホテルの中では仕事をしない」を破ってホテルに泊まるジョンウィックを殺そうとする。彼女は完全なアウトローだ。ちょっと違うかも知れんがチャンドラー風でイーストウッド風の殺し屋だ。彼女は我流で殺しを続けた末に組織によって粛清される。
だからなんかこの映画、「組織の犬になれとは言わんが、協調性は持て」と言ってる気がする。
そういえばジョンウィックが捕まった際に敵ボスに、あの犬はもう孤独じゃないという希望だったんだ!などと言っていた。
孤高のヒーローなど本当はかっこよくない。お互いを思いやって生きるのが本当の強さなんだってことが裏テーマではないかと思うのだ。だから基本的に私正義の映画であるイーストウッド映画と比べて主人公の行動を比較するとなにか面白い分析ができるのでは、などと思うのだった。

久しぶりにめっちゃ長い映評となったが、それくらい胸に刺さる傑作アクション映画だった。
未見の方は是非!
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