自主映画制作工房Stud!o Yunfat 改め ALIQOUI film 映評のページ

映画作りの糧とすべく劇場鑑賞作品中心にネタバレ徹底分析
映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

戦艦ポチョムキン [監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン]

2009-08-17 01:05:38 | ビデオ・DVD・テレビ放映での鑑賞
いまさらながらの初観賞。
すごく面白かった。

---[感想]---

一人のリーダーが戦艦乗組員の待遇改善を求め、それが水兵全体。さらには市民へと広がっていく。さながら一個の小石が水面にたてた波紋が池全体に広がっていくように。それは作品中で繰り返し謳われる「一人は皆のため、皆は一人のため」というスローガンともつながる。
そうした革命思想の形成過程が割と細やかに描かれているようで興味深かった。

さすがに古い映画という印象を受ける演出が多々ある。
艦内での水兵の会話シーンの後「朝」という字幕が入り、次のカットは朝の日課に励む水兵のショット。現代なら夜の海をライトを照らしながら航行するポチョムキン号のマスターショットから、ディゾルブで朝日を受けたシルエットのポチョムキン号のショットにつないでから水兵のショットとしただろう。

---[疑問 誰か教えてくださいませ]---

ただ判らんのは、将校をことごとく粛正し、リーダーも失ったポチョムキン号は誰が指揮していたのか?最終章の冒頭で少し描かれていたように全乗組員参加による会議で指揮が執り行われていたのか?大きな道筋はそれで立てられても、戦闘指揮は難しくないだろうか。

疑問ついでに、艦内の叛乱時に何度か印象的に登場する神父(牧師?)は何者か?ボロ布のような服にもじゃもじゃ髭をたくわえた姿はセシルBデミルの「十戒」で観たモーゼを思い出す(ただ手にはキリストの十字架を持っていたからモーゼではないだろう)。
DVD収録の解説によると「エイゼンシュテイン本人も神父役で出演」とのことで、あれがエイゼンシュテインなのか?
処刑されようとする水兵たちへの慈悲を神に求めるような姿と、いざ叛乱となるとどっちにもつかず、死んだフリ(?)してちゃっかり混乱をやり過ごすコミカルな姿が印象深い。
何よりクローズアップで何度も映し出されるなど強調されすぎている感じがして、何の意図があってのキャラクターなのか自分にはよくわからなかった。


---[賞讃]---

いくつかの疑問や不満は残るものの、艦内の叛乱シーンと、そして何といっても映画史に残ると言われるオデッサ階段のシーンの迫力に圧倒される。
オデッサのシーンは、政府軍による市民虐殺のシーンであり、悲惨さに目を背けたくなるシーンのはずなのに、畳掛けるようなテンポとみなぎる迫力に恍惚を覚えるのを何とする。虐殺場面をロングショットでカット割らずに撮る最近流行りの記録映像風演出がひどく味気ないものに思えてしまう(例「シンドラーのリスト」)。

背中しか見せない政府軍の一団 → 絶望の表情の婦人のクローズアップ → 政府軍のライフルが発射されるショット → 叫び、天を仰ぎ見て崩れ落ちる婦人のクローズアップ

これこそ映画だ。
モンタージュにより背中だけの政府軍は「物言わぬ(つまり人間味の無い)圧政者」、婦人のクローズアップは怒りと絶望の叫びを表現する。サイレント映画だというのにサウンド映画よりも遥かに大きく叫び声が響いてくるかのようだ。
「ナチが捕虜をピストルで撃ち殺すのをロングショットで撮り、撃たれた捕虜の頭から血が噴水のようにぴゅーぴゅー吹き出すまでを手持ちカメラでワンカットで撮る」ような映像よりも、はるかに怒りと悲しみが伝わってくるってものだ。

ちなみに上記のモンタージュはその後、
倒れる夫人 → 倒れて押し出される乳母車 → 乳母車の中の赤ん坊 → 階段を転がり落ちていく乳母車 
という有名な画へと続く。

モンタージュ理論とはどういうものか、詳しく勉強したわけではないが、私の解釈で要約すると、「別々の時間、別々の場所で撮った映像も、それを編集でつなげると同一の場所での時間的連続性を持たせる事ができ、それによって映像から思想を生み出す事が出来る」というものであろうか。

「戦艦ポチョムキン」が社会主義プロパガンダを目的に創られた事は明白だ
しかし、この映画が名作として語り継がれるのは、その思想性が評価されたのでも、思想を伝えるための手法やテクニックが見事だからというだけではないだろう。そういう側面もあることは否定しないし、そもそもそうした政治目的がなければ創られる事すら無かった作品であることは百も承知で、それでも言わせてもらうなら、本作を名作たらしめているのは、純粋な映画的興奮が映像言語で表現されているからに他ならない。
思想的バックグラウンドを持って創られた絵画や音楽であっても、名作と讃えられる作品は、純粋にその作品の技巧や美しさで観るもの聴くものを圧倒している。本作も同じだ。少なくともオデッサのシーンは「芸術」が「思想」を遥かに凌駕している。


---[故淀川長治さんの解説から深読みする本作の魅力]---

DVDには故淀川長治氏による解説も収録されている。
それによると氏にとって生涯のベスト1は文句なく「チャップリンの黄金狂時代」だが、2番目は「戦艦ポチョムキン」だそうだ。
「え、淀川さん、ヒッチコックもジョン・フォードもあるのにポチョムキンでいいんですかって言われますが、いいんですねぇ」
と淀川さんは語っている。しかしその解説において、淀川さんは政治的思想的な側面からの解説や批評は一切せず、映像、編集、美術といった視覚的な面だけでエイゼンシュテインの魅力を語っておられた。
ただし気になったことがある。
オデッサシーンのくだりを淀川さんは以下のような調子で説明する
「叛乱に成功したポチョムキンが大砲を撃つんですね。そうしたらオデッサの街の人々が戦争が起こったと思って大騒ぎになって、我も我もと逃げ出すんですね」
だが作品におけるオデッサのシーンは、「帝政ロシアの政府軍が突然オデッサの街で虐殺を始め、人々は逃げ惑い、ポチョムキン号は市民を援護するため砲撃する」・・・というものであった。
淀川さんの解説と真逆である。
単に、淀川さんの記憶違いなのかも知れない。
しかしそうではない可能性もある。
「戦艦ポチョムキン」という映画はその社会主義思想色の濃い内容により資本主義国では長らく公開もされず、当のソビエト本国においてさえ政治的理由で完全版は公開されずマスターネガも失われてしまったという。
世界各国に散らばったポジフィルムを集めて、完全版として公開されたのは比較的最近のことらしい。
なので淀川さんがいつの時点で観たのかは判らないが、「淀川バージョン」では氏の解説通りに編集されていた可能性もある。
これこそ編集次第で思想を作り出せるというモンタージュ理論そのものではなかろうか。
だがそれ以上に重要なのは、そうした別の方向に物語あるいは思想を誘導する編集がなされていたとしても、それが淀川さんにとって生涯ベスト2位に輝く映画であるということだ。それは「物語」や「思想」に、「映画」が勝ってしまったことを示しているように思える。
(単なる淀川さんの記憶違いだとしたら私の深読みしすぎで恥ずかしい限りなのだけど)

********
↓面白かったらクリックしてね
にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村

人気blogランキング

自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« レスラー [監督:ダーレン・ア... | トップ | サマーウォーズ [監督: 細田守] »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (jeff)
2009-11-17 00:46:08
神父はエイゼンシュテイン本人のようですよ。
返信する
コメントありがとうございます (しん)
2009-11-18 18:57:05
>jeffさま

やっぱりあいつがセルゲイくんなんですね
出たがりなんですかね
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ビデオ・DVD・テレビ放映での鑑賞」カテゴリの最新記事