1週間前の第4回会議では容認意見が目立っていたから、条件付きで特待制度を認める提言は予想できた。この日、公開されたアンケートでは高野連加盟校、一般公募ともに「条件付き容認」の意見が大勢を占めた。今後の焦点は、提言を受け取る日本高野連がどこまで特待制度を受け入れるかに移る。
有識者会議設置の目的の一つは、野球を目的とした特待制度を禁じている日本学生野球憲章13条の明確な解釈をつくること。堀田座長は「憲章の全体的な見直しはここではできない。中長期的な課題」とし、提言について「憲章13条への細則の一つとして位置付けることになるのでは」と見通しを語った。
高野連が特待生問題で最終結論を出すのは11月30日の評議員会。高野連の田名部参事が「われわれのゴールは11月30日です」と話しているが、この日の提言決定が及ぼす影響は大きい。
脇村会長は「はじめから言っているように当然提言は尊重する」と話した。あとはどこに落としどころを見つけるかだ。
規則と実態がまったく合っていない高校野球の特待生問題。日本学生野球憲章では特待生は100%認められていない。ちなみにその憲章第13条で、
選手又は部員は、いかなる名義によるものであっても、他から選手又は部員であることを理由として支給され又は貸与されるものと認められる学費、生活費その他の金品を受けることができない。但し、日本学生野球協会審査室は、本憲章の趣旨に背馳しない限り、日本オリンピック委員会から支給され又は貸与されるものにつき、これを承認することができる。
としている。
アマチュアとしての立場を明確化し、プロ野球と一線を画する厳格な規定のはずだ。
では、アマチュアとはどういう状態なのか。
日本体育協会スポーツ憲章第2条で以下のように定めている。
第2条 アマチュア・スポーツマンのあり方
○ スポーツを愛し、楽しむために、自発的に行う。
○ 競技規則はもとより、自らの属する団体の規則を遵守し、フェアプレーに終始する。
○ 常に相手を尊重しつつ、自己の最善を尽くす。
○ スポーツを行うことによって、自ら物質的利益を求めない。
○ スポーツによって得た名声を、自ら利用しない。
ハッキリ言って、今行われているスポーツで、厳密にアマチュアと言えそうなのは休日に行うお父さんたちの草野球やゴルフ、ママさんバレーくらいなものだろう。
少なくとも高校でのスポーツ、それも全国大会に出場する学校の選手は、そのスポーツが上手という理由で高校に合格し、学費などの負担のないケースが多い。これは「スポーツで得た名声を自ら利用」して合格し、「スポーツを行うことによって自ら物質的利益」を求めている。アマチュア規定に間違いなく抵触しているのだ。
本来アマチュアとは特権階級のシンボルのような立場だ。スポーツをすることに何も求める必要がない社会的地位の象徴がアマチュアなのだ。
現在の社会にあって、スポーツがビジネスに結びつき、それを行うものにしかるべき還元があるのは動かしがたい事実だ。そんな社会にあって、アマチュアを標榜すること自体が時代遅れと言えよう。
日本人はお金のためにというと、まるで汚いもののように思う傾向があるが、今や厳密な意味でのアマチュアなど存在しない。あのハンカチ王子だって、野球が上手いから早稲田に入学できたのだろうし、ハニカミ王子だって同じだろう。直接金品を受けてないからといって、自分にとっての利益を受け取ってないわけではないのだ。
高校野球の特待生問題だって、実はそんなに難しい問題ではない。アマチュアの看板を降ろしてしまえば、特待生だろうがセミプロ高校生だろうが問題ないということだ。
すでに世の中の実態と激しく遊離している学生野球。サッカーの世界では10歳の小学生がスペインのチームと契約するようなご時世だ。アマチュアだから尊いという発想自体、時代錯誤と言ってもいいだろう。
野球は全体を統括する団体を持たないで、それぞれの利益を守ることに汲々としている不思議な世界だ。高野連など、その典型。だいたい一スポーツ団体が、学校の経営方針にまで制約をかけるって、どれほど偉いんだと言いたい。
この際、全国の高校で高野連に代わる新団体でも設立したらいいのにね。
有識者会議設置の目的の一つは、野球を目的とした特待制度を禁じている日本学生野球憲章13条の明確な解釈をつくること。堀田座長は「憲章の全体的な見直しはここではできない。中長期的な課題」とし、提言について「憲章13条への細則の一つとして位置付けることになるのでは」と見通しを語った。
高野連が特待生問題で最終結論を出すのは11月30日の評議員会。高野連の田名部参事が「われわれのゴールは11月30日です」と話しているが、この日の提言決定が及ぼす影響は大きい。
脇村会長は「はじめから言っているように当然提言は尊重する」と話した。あとはどこに落としどころを見つけるかだ。
規則と実態がまったく合っていない高校野球の特待生問題。日本学生野球憲章では特待生は100%認められていない。ちなみにその憲章第13条で、
選手又は部員は、いかなる名義によるものであっても、他から選手又は部員であることを理由として支給され又は貸与されるものと認められる学費、生活費その他の金品を受けることができない。但し、日本学生野球協会審査室は、本憲章の趣旨に背馳しない限り、日本オリンピック委員会から支給され又は貸与されるものにつき、これを承認することができる。
としている。
アマチュアとしての立場を明確化し、プロ野球と一線を画する厳格な規定のはずだ。
では、アマチュアとはどういう状態なのか。
日本体育協会スポーツ憲章第2条で以下のように定めている。
第2条 アマチュア・スポーツマンのあり方
○ スポーツを愛し、楽しむために、自発的に行う。
○ 競技規則はもとより、自らの属する団体の規則を遵守し、フェアプレーに終始する。
○ 常に相手を尊重しつつ、自己の最善を尽くす。
○ スポーツを行うことによって、自ら物質的利益を求めない。
○ スポーツによって得た名声を、自ら利用しない。
ハッキリ言って、今行われているスポーツで、厳密にアマチュアと言えそうなのは休日に行うお父さんたちの草野球やゴルフ、ママさんバレーくらいなものだろう。
少なくとも高校でのスポーツ、それも全国大会に出場する学校の選手は、そのスポーツが上手という理由で高校に合格し、学費などの負担のないケースが多い。これは「スポーツで得た名声を自ら利用」して合格し、「スポーツを行うことによって自ら物質的利益」を求めている。アマチュア規定に間違いなく抵触しているのだ。
本来アマチュアとは特権階級のシンボルのような立場だ。スポーツをすることに何も求める必要がない社会的地位の象徴がアマチュアなのだ。
現在の社会にあって、スポーツがビジネスに結びつき、それを行うものにしかるべき還元があるのは動かしがたい事実だ。そんな社会にあって、アマチュアを標榜すること自体が時代遅れと言えよう。
日本人はお金のためにというと、まるで汚いもののように思う傾向があるが、今や厳密な意味でのアマチュアなど存在しない。あのハンカチ王子だって、野球が上手いから早稲田に入学できたのだろうし、ハニカミ王子だって同じだろう。直接金品を受けてないからといって、自分にとっての利益を受け取ってないわけではないのだ。
高校野球の特待生問題だって、実はそんなに難しい問題ではない。アマチュアの看板を降ろしてしまえば、特待生だろうがセミプロ高校生だろうが問題ないということだ。
すでに世の中の実態と激しく遊離している学生野球。サッカーの世界では10歳の小学生がスペインのチームと契約するようなご時世だ。アマチュアだから尊いという発想自体、時代錯誤と言ってもいいだろう。
野球は全体を統括する団体を持たないで、それぞれの利益を守ることに汲々としている不思議な世界だ。高野連など、その典型。だいたい一スポーツ団体が、学校の経営方針にまで制約をかけるって、どれほど偉いんだと言いたい。
この際、全国の高校で高野連に代わる新団体でも設立したらいいのにね。