百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

8月20日+8月11日~12日

2013年08月20日 09時16分26秒 | 日記

 8月20日(火) 小雨 曇り 退院に際して貰った書類

 久振りの雨。退院して身辺整理をして居て病院から頂いた書類を改めて読み返してみて驚いた。

 入院をした8月5日12:33に作成された私の書類に【慢性硬膜下血腫】と断定、
NOC 1,意識レベルが悪化する前に手術をうけることができる。
2,ドレーン抜去となるまで、異常が無く、効果的にどれなーじができる。
NIC 観察項目 ①意識状態 ②血圧、体温、、呼吸、酸素飽和度 ③瞳孔の異常(大きさ、対光反射) ④ 頭痛、嘔気、   嘔吐の有無 ⑤ 運動麻痺の部位、程度 ⑥ 痙攣の有無 ⑦ 精神症状(性格変化、無気力、失見当など) ⑧ 日常生活動作の状況  ⑨ 尿失禁 ⑩検査結果、所見 ⑪ ドレーン排液の性状 ⑫ ガーゼ汚染の有無 ⑬ 創部の状態

 援助項目 ① 血圧コントロール ②頭痛、嘔などの苦痛がある場合は、医師の指示により薬を使用する。 ③ ドレナージの管理(医師の指示によりミルキング施行) ④ 自己抜去を予防する(同意を得て抑制を行う。)
 指導項目 ①ドレーン留置中の安静の必要性について説明する

 何故私にとって必要なのかさえ判らなかったが、【援助項目の ④ 自己抜去を予防する(同意を得て抑制を行う。)についてはベッドに手首を縛りつけるなら手術は断る、絶対同意はしない。家族にも承認のハンコを押すなと伝えてあると徹底抗戦する。】と言った言葉だけは覚えている。

 翌日(8月6日)の書類はAM8:38に作成されたもので「リハビリテーション総合実施計画書」とあった。書類には担当医師・理学療法士・作業療法士の氏名が記載されている。この リハビリテーションの基本方針と患者本人の希望として、歩いて世界一周をもう一度達成したいとも記され、理学療法士からは「姿勢調節機能の向上、基本動作・歩行能力の向上を目標にバランス練習、、筋トレーニング、基本動作練習、歩行練習を行う。作業療法士は全身状態・安静度に応じて動作の練習を進め、日常生活動作の自立を目指すと、具体的アプローチが記されていた。第三表には項目ごとに目標能力・訓練時能力・日常生活能力の判定数字まで記入されていて、観察眼には恐れ入った。

 更に手術前の「診療行為説明書には、患者氏名・病名・予定診療行為・予定日2013年8月9日とあり、現在の症状、診療行為の必要性とその内容が説明され、【治療としては穿頭ドレナージを行います。頭の一部に穴を空けて血腫を吸引します。その上でドレーンを留置します。手術は局所麻酔で30分程掛ります。(実際は1時間5分かかった)説明された8月8日と担当医師の記名捺印と立会人の署名捺印があり、下欄には同意書として私の署名・親族の署名が記入されていた。

 手術後、私の希望を受け入れて、妻宛に付添い許可証を呉れた。その付添い理由には妻の字で「心配なため」と書かれていた。お蔭で身体は拘束されずに済んで、担当医の好意に感謝している。

また退院の日(8月17日)には親心からか、A4半紙で【検査予約票】と「診察予約票」を念のため呉れた。丁寧な上に「バカ」がついた勘定だ。今まで何回も入院したがこんな丁寧な書類を貰った覚えはない。病院の配慮に感謝、恐縮している。

 再入院した5日からの日記(4)

 8月11日(日)晴

 4時48分、私のIphoneは起床のシグナルを送って来る。これは止めない限り鳴り続けるので目が覚める。これで私の一日が始まるのだが、入院中はそうもいかない。習慣だからもう眠れない。

 昨日の事、家族が来て私の身の回りの整頓をして呉れた。だらしないベッドの周りもすっきりした。落ち着いた雰囲気の中で、娘だけが落ち着かないテーブルの上に有った「爪楊枝」が無いというのだ。爪楊枝ぐらいでそんなに騒ぐことは無い。明日来るとき,持ってくれば良いという雰囲気だったが、几帳面というか、潔癖症とでもいうか、娘にとっては許せないことなのだ。

 再三再四探したがどうしても無い。結末は売店に行って買ってきた。やっと落ち着いた。娘にとって「一見落着!」と云ったところ。

 娘といっても、定年を迎えて今は介護センターのお茶くみに使って貰っている乳母桜だが、私の娘だけあって負けず嫌いでしかも好奇心旺盛である。という点は頼もしいが、新しく得た知識や気に入った行為は、自分だけでなく家族全員にも強いるのである。一番の被害者はパパである。「野菜の採り方が少ない。もっと食べて!」と小皿の盛って強制する。健康を気遣っての助言だろうが,いちいち世話を焼かれてはたまらない。

 昨日は私の手術の日。先生は気を利かせて手術後ベッドに両手を縛って患者から頭に入れたチューブをとられないようにするのが常套手段だが、私は「そんな事をされるなら手術は受けないと頑強に主張したので、付添人をつけることで納得した。

 その付添い人の人選で人揉めした。私は妻を指名したが、全員娘を推薦したので娘に決まった。愈々手術が終わって付き添いの話になった。私は妻を選んだが、娘は「私の名前で申請してある。」と主張して譲らない。再三言い争ったが、私は「一晩中世話を焼かれてはたまらない。帰れ!」と怒鳴りつけてしまった。余りいい気持ちはしなかったが、娘も怒って帰ってくれた。前回の手術の後の一夜は地獄の折檻を受けるような苦しい状態だったが、今回はまさに天国で、リラックスできた。

 今朝、目が覚めてしまったので、うつらうつらしながら付添い人がついて居るだけで安心できることを思い出していると、ふと「意地悪ばあさん」を思い出し、その歌詞を探してみた。

 青島 幸男 意地悪ばあさんのうた 作詞 みおたみずほ

 

イジワルは楽しいよ イジワルは楽しいよ

あー この世で一番たのしいもんは なん

てたってイジワルですよ

へへ にくまれたいよ 鬼ババでいいんですよ

それが生きがいだもん おや聞こえてきますよ

悪魔の声が ばあさんガンバレと

イジワルを もっとやりましょう イジワルを もっとやりましょう

あーすましたやつらに よくきく薬は なんてったってイジワルですよ

 

イジワルを もっとやりましょう イジワルを もっとやりましょう

あーわたしも人の子 ハートが痛むよ なにさ そんなこっちゃ

長生きできませんよ

へへ ここらでチョイと -になっちゃおう 全然きこえません

おやわたしは何も存じませんよ ペロリと舌を出す

イジワルはやめられませんよ イジワルはやめられぬ

あー誰でもみんな心の中には イジワルの虫がいるんですよもー

 

世の中が悪いんですかね ホントにもう

このわたしが悪いんですかね あー街中のみんなが

イジワルになるまで イジワルを続けますよ

そりゃマジメなヤツも ウヨウヨいるさ

掃いて捨てるほど でも1+1が2にきまってる

それじゃつまんないでしょう 

イジワルをパッとやりましょう イジワルをはでにやりましょう

どんどんいきましょう あー心の底から

イジワルが大好きです 神様ゴメンなさいネ

 

○ 上田西:木更津総合戦は5回の裏に7点をとられたので諦めてテレビのスイッチを切った。後で成績をみたら9回の表、3点を返して意地を見せたが及ばなかった。

 妻とパパが差し入れにやってきた。

 

8月12日(月)晴

 今日12日には全日空と日本航空夫々に大きな墜落事故が起きている。1958年の今日、全日空のダグラスDC-3が下田沖に原因不明のまま墜落した。当時、全日空は資力もなく、外国から中古のダグラスDCを購入して運航していたので装備は貧弱でしかも機材の取り付け部署さえ違っていて操作に間誤付く有様だっという。この事故で33名全員が死亡している。当時の航空機にはボイスレコーダーもフライトデータレコーダーもなく事故原因も完全には解明されなったという。その為か日本人の記憶からも完全に消え去っている。

 それに引き替え、日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故は昭和60年(今から28年前)ジャンボジェット機747で乗員・乗客524人中、生存者4名520名が亡くなったという日本で起きた最大の航空機事故なので、御巣鷹山と共に記憶も新しいし、忘れ得ぬ関心もある。youtubeの中には3.221,078回も再生されたものさえある。私は訪中する際、今は亡き石田専務から「生存者のパスポート」を貰い、飛行機が落ちてもこれを持っていれば助かる」と激励された思い出がある。あれから28年も経ってしまった。

○ 昼近くパパと妻がやってきた。ママは真ちゃんの赤ん坊(女子)彩夏(あやか)14日の出産見舞いに東京へ行ったという。ヴィタミンB1・B2・B6配合という「新グロモント」を1c/s持ってきた。

 ○ 宮島さんが11:30リハビリにやってきた。

 ○ 大川さんがPM3:00から一時間、体のリハビリをやったくれた。体のバランスをとる難しさを実感した。

 ○ 肝心の脳神経外科の先生は見えなかった。今回の手術が前回の倍以上かかったこと、脳から出た血液が余りにも少ない(約50mml)ので、CTを見ながら解説して貰いたいこと、前回は食事時に1週間近くもこめかみが痛かったが今回はそれがなく良かった点も報告しようとチャンスを待ったが残念だった。