歩 い て 世 界 一 周 1月24日(木) 快晴
日 数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数(歩) |
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今 日 |
17,226 |
12,086 |
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今 月 |
24 |
392,271 |
274,590 |
16,345 |
今 年 |
24 |
392,271 |
274,590 |
16,345 |
2005年から |
2,9535 |
41,710,990 |
29,197,693 |
14,115 |
70歳の誕生日から |
6,487 |
123,661,126 |
86,562,788 |
19,063 |
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 745,170m
風蕭蕭分易水寒
荊 軻 入 秦
燕の恵王の後、武成王・孝王ありて、王喜に至る。喜の太子丹、秦に質たり。秦王政礼せず。怒りて亡げ帰る。秦を怨みて之に報ぜんと欲す。秦の将軍樊於期、罪を得て亡げて燕に之く。丹受けて之を舎す。丹衛人荊軻の賢なるを聞き、辞を卑くし礼を厚くして之を請ふ。奉養至らざる無し。軻を遣はさんと欲す。軻樊将軍の首及び燕の督亢の地図を得て、以つて秦に献ぜんと請 。丹於期を殺すに忍びず。
軻自ら意を以つて之に諷して曰はく、「願はくは将軍の首を得て、以つて秦王に献ぜん。必ず喜びて臣を見ん。臣左手に其の袖を把り、右手に其の胸をサさば、則ち将軍の仇報いられて燕の恥雪がれん。」
於期慨然として遂に自刎す。丹奔り往きて伏し哭す。乃ち函を以つて其の首を盛り、又嘗て天下の利匕首を求め、薬を以つて之をニラぎ、以つて人に試みるに、血縷の如くにして立ちどころに死す。乃ち装して軻を遣る。行きて易水に至る。
歌ひて曰はく、風蕭蕭として易水寒く 壮士一たび去りて復た還らずと 時に白虹日を貫く。燕人之を畏る。
軻咸陽に至る。秦王政大いに喜びて之を見る。軻図を奉じて進む。
図窮まりて匕首見る。王の袖を把りて之をサすに、未だ身に及ばず。王驚き起ちて袖を絶つ。軻之を逐ひ、柱を環りて走る。秦の法に群臣の殿上に侍する者は、尺寸の兵を操るを得ず。左右手を以つて之を搏つ。且つ曰はく、「 王剣を負へと。」遂に剣を抜きて其の左股を断つ。軻匕首を引きて王にナゲウつ。中らず。遂に体解して以つて徇ふ。
秦王大いに怒り益々兵を発して燕を伐つ。喜、丹を斬りて以て献ず。後三年,秦の兵、喜を虜にす。遂に燕を滅ぼして郡と為す。
昨年6月、緑化協力訪中団に加わって訪中して、最後の仕上げで易県を訪れた際の晩餐会で、茂木団長先生はお年にもにも関わらず、音吐朗々「風蕭蕭として易水寒く 壮士一たび去りて復た還らず」と吟詠した。中国をして緑化事業を大成させた歓喜の雄叫びを肚から叫んでいる男の雄姿だった。陪席して感動で狂喜したのを覚えてる。