gooブログで発信!

生きるために大切なメッセージ&日々の出来事

土浦卓球道場*試合結果*

2017-04-10 11:53:12 | スポーツ

土浦で、試合をしてきました。
いつもと同じ、ランク別の大会です。
出場ランクも、変わらず真ん中のランクです。

2月の試合では、散々な結果に終わったので、今回はもう少しマシな試合をしようと意気込んで参加したものの…。

あまり変わらず…というより、前よりひどい内容でした。
成績は、10試合で5勝5敗。
成績だけみれば、前回は2勝しかしていないので、少しはよかったと言えるのですが、とにかく内容が悪い。

バックハンドが振れないのはもちろん、フォアハンドの攻撃もあまりできず、たまに攻撃してもミスばかり。
サーブが高くなってしまい、相手のレシーブで打たれることも何度か。
サーブミスも多かったし、体の動きもボールへの反応も悪い。

これでは勝てるわけがありません。
バックハンドは、相手のサーブに対してはそこそこ振って返せるようになってきたのですが、それが自分に返ってきたときの処理がままならない状態です。
タイミングが取れていないというか、たぶん待ち方が悪いのではないかと…。

なんとかしなければいけません。

“何が悪いのかをよく分析して、練習方法を一から考え直す”
まずはそれから。

と、けっこう真剣に悩みまくっていたのですが…。

試合のあとの夕食は、いつもお肉を食べることにしている私たち。
この日は、新しくオープンした、しゃぶしゃぶ&焼肉の食べ放題のお店に行きました。

オープンしたばかりで、焼肉はまだメニューになく、とりあえず、1680円(税抜)のしゃぶしゃぶ&サイドメニューの食べ放題コースを頼むことに。
タレが2種類しかないのはちょっと残念でしたが…。
とってもおいしくて、テンションが上がりまくり、さらに、元を取りたい一心でバクバク食べてしまいました。

不出来な試合のことなど、もう頭にありません。

今後の課題、忘れないようにしないとね。🏓

 


旅行*石川県⑩

2017-04-10 05:05:11 | 旅行&スポット

美術館をあとにし、「武家屋敷跡」へ。
強硬スケジュールですが、どこも金沢市内に固まっているので、移動しやすかったです。

この「武家屋敷跡」は、加賀藩祖だった「前田利家」の直臣「野村伝兵衛信貞」、つまり野村家の屋敷跡です。

野村家は、明治4年の廃藩まで11代にわたって一千坪の屋敷を拝領していましたが、武家制度の解体により、門、土塀、古木、曲水(庭園)の一部を残して館は取り払われました。
その後、昭和初期に、「北前船」船主で、加賀の支藩・大聖寺藩下の豪商だった「久保彦兵衛」の豪邸の一部を移築したとのことです。

表門をくぐると、庭園の一部があり、すでに日本庭園の雰囲気が…。
この庭園を進み、玄関をくぐって受付をします。

靴を脱いで上がると、すぐに甲冑が目に入ります。
 ◀「能登末森城の戦い」で野村伝兵衛が着用

「末森城の戦い」は、家康派の「佐々成政」が、秀吉派の「前田利家」を脅かそうと、利家の重臣が守っていた「末森城」に攻め入って始まった戦い。
馬廻衆だった野村伝兵衛は、この合戦で一番槍を果たしたそうで、甲冑は、その時に着用していたもの。
重そうな鎧に、歴史の重みを感じます。

このあと、各部屋へ。
どの部屋も、文化的価値が高いようです。

「奥の間」
玄関近くにある、落ち着いた部屋です。

「控の間」の襖絵
狩野派の絵師、「山口梅園」の作だそうです。

(ガラスかアクリル板?がはめ込んであるので、周囲が映ってしまい、残念!)

この部屋には、「上段の間」の「釘隠」と、「襖の引手」が展示されています。
 
▲釘隠(これ以外にもたくさんの種類があります)

 ◀襖之引手

「謁見の間」
この襖絵も「山口梅林」の作だそうです。
華やか…。

「仏間」
さすがに豪華。
左側の書は、「山口梅園」のものだそう。


▲「付書院」。心静かに過ごせそうな空間です。

「欄間」もおしゃれ。

「上段の間」
「久保彦兵衛」が藩主を招いたお部屋らしいです。
総檜造りの格(こう)天井、紫檀・黒檀材を使った緻密な細工造り、畳下の桐板張り、ガラスと障子を合わせた “ギヤマン” 入りの障子戸など、贅をつくした部屋です。

襖絵、天袋、地袋の絵は、狩野派の最高峰にいる「佐々木泉景」による山水画。 
加賀藩のお抱え絵師で、特に、地袋の “遊亀の図” は代表的作で、高い評価を受けているとのこと。

▲右下は「地袋」の “遊亀の図”。

 聲桶(こうけい)
濡れ縁に出る前のスペースに置かれています。
鶯の鳥籠を桐箱に入れて、鳴き声を響鳴させ、風情を楽しむのだそうです。
 ◀雅やか…。

茶室「不莫庵」
「上段の間」を出て細い廊下を通り、石段を上ると、2Fに「不莫庵」という茶室と「控えの間」があります。
「不莫庵」の天井は、桐板に神代杉の一枚板を置き、四国特産のみどり松で押さえた、珍しい造りの茶室とのこと。

▲茶室「不莫庵」

 ◀「不莫庵」の天井

「控えの間」の床板は、樹齢約千年の紅葉の一枚板。
天井は、真菰(まこも。イネ科の植物)の茎張りという、床板ともに珍しいものとのこと。

 ◀「控えの間」の天井

野村家展示資料館「鬼川文庫」
「鬼川文庫」という名は、当時の開鑿(かいさく。土地を切り開いて道路や運河を作ること)奉行「富永勘解由左衛門」が鬼を祭祀し、自らが作った武家屋敷周辺の用水を “鬼川” と名づけたこと、和漢の書を学んだ「黒木植」が野村家周辺に在住し、自らの書庫を “鬼川文庫” と呼んだことに由来しているとのこと。

野村家伝来の刀剣や、前田家、明智光秀、朝倉義景らからの書状等、また、蒔絵の工芸品や徳川幕府時代に使われた貨幣などが展示されています。

▲刀と脇指


▲蒔絵松図硯箱


▲蒔絵花卉宝船図重箱(左)と、「徳川幕府の貨幣制度」のうちの「一両小判」(右)

                             

野村家は、その庭園にも高い評価を受けています。

「上段の間」の障子戸を開けると、幅の広い「濡れ縁」に出ます。
そこから見える庭園は、2003年、アメリカの日本庭園・日本建築専門雑誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の日本庭園ランキングで、第3位に選ばれたとか。

いちばん気に入ったのは、“曲水” です。
庭園に水があるだけでも癒されますが、様々な形の石を擁しながら濡れ縁の下までせまる “曲水” は、気分を盛り上げてくれると同時に、日常の喧騒から解き放ってくれます。

“曲水” とともに、多宝塔、西乃屋形、春日灯篭、六尺に及ぶ大雪見灯篭、さくらみかげ石の大架け橋、樹齢四百年以上の山桃の木、落水などがバランスよく配されています。
大庭園ではないけれど、日本庭園のすばらしさが詰まっています。


▲鯉も泳いでいます。

 ◀苔にも趣が…。

                             

庭園も満喫し、武家屋敷をあとにした私たちは、金沢駅へ向かうことに。

駐車場に行くまでの通りを歩いていると、もう一つ、金沢の “冬の風物詩” を目にします。
 ◀薦掛け

「薦掛け」という、雪から土塀を保護するものだそうです。
毎年、12月~翌年3月まで設置されているとのこと。
土塀という土塀に張り巡らされていました。

またまた、雪の多い地に暮らす人たちの技を目にして感服。

このあと、レンタカーを返し、金沢駅構内で昼食をとり、新幹線に乗りました。
金沢駅を出発して、わりとすぐに見えた山々です。

この山々もだんだん遠ざかり、終着駅が近づく頃には、すっかり現実の世界へ。

金沢は2回目となりましたが、また行きたいと思うような、大好きな所となりました。