列車は下沼駅を離れてゆきます。
下沼駅の光景も独特の雰囲気を感じさせます。
写真を拡大すると、車掌車を改造した駅舎の窓に目が描かれ、単調な光景に温かみを添えていました。
ウィキペディアで「下沼駅」のページを見ると、駅舎は下沼駅のイメージキャラクター「ぬまひきょん」を表しているようです。
出入口に庇が付けられ、お年寄りへの配慮でしょうか、段差を無くす為のスロープが設けられていました。
ところで、記憶を辿ってみても、車掌車を改造した駅舎を北海道以外で見たことがありません。
そこで、車掌車駅舎を調べると、2017年4月現在全国に32駅あることが分りました。
その内28駅がJR北海道の駅で、道外は、陸中夏井駅(岩手県)、平原駅(長野県)、御来屋駅(鳥取県)、清流新岩国駅(山口県)の4駅だけらしいのです。
車掌車は、かって貨物列車の最後尾に連結され、車掌が乗務していましたが、1985年以降、国鉄は貨物列車への車掌の乗務を廃止し、大量の車掌車が廃車になりました。
その時から34年が過ぎて、現存する車掌車は限られた数しか残っていないはずです。
つまり、車掌車自体が貴重な存在で、それに加え、車掌車を駅舎に転用した駅は北海道以外ではめったに見ることができないのです。
更に、そのような駅は多くが廃駅リストに名を連ねていますので、今のうちに、車掌車駅舎の希少性を認め、保存を考える必要があるのかもしれません。
そして宗谷線は、そのような貴重な車掌車駅舎の宝庫なのです。
下沼駅を出てほどなく、牧草地の奥に利尻山の島影が見えてきました。
少しずつ近づく利尻山を撮影しようと、ズームを利かせながら何度もシャッターを切りました。
自転車で国道40号を走ったときに見た利尻山とは一味違って見えるのは、列車に揺られる呑気な状況がそう思わせているだけなのかもしれません。
列車は豊富で名寄行き普通列車とすれ違い、終着駅の稚内を目指します。
豊富の手前で宗谷線は海岸から離れ、利尻山が見え難くなりました。
しかし私は相変わらず目で島影を追い続けました。
そんな窓から見える牧草地に牛の餌となる牧草ロールがころがっています。
今年の夏は北海道も気温が高かったようで、牛の餌に不自由はなさそうです。
列車は徳光駅に停車しました。
とは言っても、私は利尻山を見る為に左側の席に座っていましたので、列車右側に接した駅舎とプラットホームは見ていません。
原野の先に白く見えているのは兜沼でしょうか。
沼の手前に、人の手を感じさせない原野が広がっていました。
列車は徳光駅を出て10分後に兜沼駅に停車しました。
名所案内の掲示に「言問の松 北海道記念保護樹林(樹齢約1200年)」と記されています。
あれ~
北海道北部にマツは育たないはずなのに、私の認識が間違っていたかと思い、まだまだ知らないことが多いな~と自らの不明を恥じたのですが、後で「言問の松」はイチイ(オンコ)であることが分りました。
それにしても、イチイを松と呼ぶことがあるのかと、書物を当たってみると、「イチイの別名は、水松(ミズマツ)、蘭(アララギ)(関西地方での呼び名)、オンコ(北海道での呼び名)、笏の木(シャクノキ)、スダオノキなど」という記述を見つけました。
だとすれば、イチイを「言問の松」と呼んでもおかしくはなさそうです。
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