天塩中川を出た列車は10分後に歌内駅に停車しました。
歌内の名の由来はアイヌ語の「肋、川」を意味するウッナイだそうです。
大正12年の開業当初の駅名は「宇戸内(うとない)」でしたが、昭和26年に歌内へ変更したそうです。
歌内がどんな場所か知りたくてググってみると、素敵なページを見つけたのでリンクさせて頂きます。 歌内駅
歌内駅の周囲に広大な牧草地が広がっていました。
牧草地と線路の間に、オオイタドリが白い花を咲かせています。
オオハンゴンソウらしき黄色い花が見えます。
オオハンゴンソウと言えば「北の国から ’98時代」で、蛍にプロポーズした正吉が、蛍からの承諾を得る為に、野辺に群生するオオハンゴンソウの花を毎日送り続けたシーンが思い出されます。
でもね実際の話として、多くの場合、オオハンゴンソウの花を女性に送り続けたとしても、殆どの場合ストーカー扱いされますので、男性はこの話を真に受けないほうがいいです。
まぁね、長い年月、多くの女性を眺め続けて来た老狐の独り言です・・・
列車は糠南駅に停車しました。
この記事を書くにあたって、ネット検索で知ったのですが、糠南駅は淀川製作所の物置を駅待合室に転用した秘境駅として、鉄道ファンに名が知られているそうです。
多くの秘境駅ファンが訪問記事を書いていました。
糠南駅に関する数多くのブログから、
「正々堂々と秘境駅に行ってきた」をリンクさせていただきます。
ちなみに、糠南はアイヌ語の「原野の・冷たい・川」を意味するヌㇷ゚カナㇺペッが名の由来だそうです。
糠南駅を出た列車はほどなく、天塩川の岸に出て、山裾に架けられた陸橋を渡りました。
地図を見ると分かりますが、天塩川はこの辺りで蛇行を繰り返し、川の周囲に多くの三日月湖が点在します。
車窓に眺める川は流れを感じさせません。
川の奥先に宗谷山系のパンケ山が見えていました。
蛇行する天塩川と宗谷線は、合うと分かれを繰り返しました。
私は列車の最後尾から景色を眺めますが、進行方向右手にヒグマが生息する森が迫り、左手は雑草が茂る原野が広がります。
しばらく進むと、列車は宗谷線唯一の下平トンネルを抜けました。
下平トンネルは昭和40年(1965年)に開通したトンネルで、このトンネルができるまで、宗谷本線にトンネルはありませんでした。
このトンネルができる以前は、宗谷線は天塩川右岸の山裾を、下平陸橋で通過したのですが、雪崩や地滑りなどの被害が重なり、下平トンネルを掘って線路を山側に移したそうです。
トンネルを出るとすぐに、列車は雄信内駅に停車しました。
車両後方から写したので、写真の景色が進行方向と逆ですが、下の写真で、線路の先に見える右下がりの尾根が下平トンネルで抜けた場所です。
私は、この辺りの地名が「おのぶない」なので駅名も同じと思っていましたが、駅名は「おのっぷない」と読むことを初めて知りました。
雄信内の名はアイヌ語の「川尻に原野のある川」の意のオヌㇷ゚ウンナイに由来するそうです。
糠南駅を見た後に雄信内駅を見ると、とてつもない立派な駅舎に見えます。
駅舎は昭和28年(1953年)に改築されたものを、修復を加えながら使い続けているそうです。
列車は10時21分に安牛に停車しました。
酪農地帯に安牛の名はそぐわない気もしますが、これもアイヌ語の「魚をすくうところ」を意味するヤシウシイに由来し、天塩川に上る鮭をすくう網引き場があったことに因るそうです。
10時25分に南幌延に停車。
10時29分に上幌延に停車と、列車は順調に宗谷線を北上しました。
上幌延駅でハマナスの花を見かけました。
ハマナスは主に海岸の砂地に自生するので、誰かが浜から持ってきて植えたのでしょう。
そしてハマナスが、海が近づいたことを告げていました。
そしてハマナスの横にビロードモウズイカの姿を認めました。
函館港に上陸し、フェリーターミナルから五稜郭駅まで歩いた道に、ハマナスが咲いていたのを思い出します。
つい数日前のことですが、遠い昔の話だったような、不思議な感慨に包まれました。
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