北剣淵で多くの高校生が下車してゆきました。
どうやら学校は、駅の北の方角にあるようです。
多くの自転車が駅に停め置かれ、自転車で学校へ向かう生徒の姿が見えます。
視線を動かすと、ホーム横に白い花を咲かせた灌木が見えていました。
ガクアジサイかと思いますが、ガクアジサイだとすればかなりの巨木です。
列車は7時15分に士別に停車しました。
士別はアイヌ語で「大いなる川」を意味するシペッに由来します。
士別は東の北見山地、西の天塩山地に挟まれた盆地の街で、北見山地最高峰の天塩岳を源流とする天塩川と塩狩峠から流れ出す剣淵川が市内で合流します。
士別に限りませんが、昔から川と川が合流する場所に村や町が作られてきたのです。
市西部の丘にある緬羊牧場では顔の黒いサフォーク種の羊が飼われ、牧羊犬が羊の群れを追う珍しい光景を見物することができます。
下士別駅のホームの横にオオイタドリが白い花を咲かせていました
オオイタドリはイタドリによく似たタデ科の雑草で、人の背をはるかに超える高さに成長し、葉の基部が心形であることがイタドリと異なります。
オオイタドリが繁茂する光景は、私にとって、北海道へ来たな~と思わせる景色の一つなので、次ページでオオイタドリが咲揃う様子を紹介するつもりです。
次の多寄駅のホームでは、エゾノコンギクが秋の気配を漂わせながら、柵の間から顔を覗かせていました。
エゾノコンギクの隣で、オオヨモギが人の背丈を超える高さに繁茂していました。
これが昨日黒岳で出会ったオオヨモギ(黒岳の頂きへ)と同じものとは到底思えません。
そして7時45分、旭川を出てから100分程の時間をかけて、列車は名寄駅に到着しました。
名寄まで3両編成だった列車は後ろ2両が切り離され、稚内まで一両編成の運行となります。
名寄も懐かしい思い出が重なる街です。
この街の旅館に泊まった数十年前の冬の朝、マニュアル車のエンジンを始動したとき、ギアがニュートラルであるにも関わらず、車が動いたのです。
驚いて、宿の主にそのことを話すと、寒さが激しい日はクラッチオイルが凍って、ギアがニュートラルでも車が動くことがあると説明されました。
あの頃、吹雪でホワイトアウトした夜の国道を、大型トラックのテールランプを頼りに、旭川までの国道を運転して帰ることもたびたびでした。
そして、あの頃の日々の連なりの先に、今日を旅する日があると思えるのです。
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