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車窓から天塩川の風景を楽しむ

2019-10-06 23:07:03 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 列車は音威子府(おといねっぷ)に到着しました。

 

 音威子府村は北海道にある15の村で、最も人口が少ない村です。

 

 年々人口が減少し、昭和25年には4000人を超えていましたが、令和元年9月現在の人口は734人だそうです。

 

 しかし毎年、村立おといねっぷ美術工芸高校へ生徒が入学し村民となる為、15歳~19歳の人口構成比が高く、全国に比べて女性の有配偶率も高いそうです。

 

 若者の声が明るく響く、穏やかな日々が想像できます。

 


 

 普通列車は9時8分に音威子府を発車しました。

 

 ここから稚内まで、列車は130kmを3時間かけてはしり続けます。

 

 距離も時間も、音威子府の先に、全工程の半分が残されています。

 


 

 列車は音威子府を出るとすぐに、天塩川の右岸をはしり始めました。

 

 天塩川は、音威子府の先で音威子府渓谷を流れ下ります。

 

 線路は覆いかぶさる木々の間に曲線を描き始めました。

 


 

 私は左側の席に座って、天塩川の景色を眺め続けました。

 

 振り返えれば、森の影を映しながらモスグリーンに染まる川面の先に、音威富士らしき山容が見えていました。

 

 そして対岸の森に、国道40号が獣道のような、一筋のシルエットを刻んでいました。

 

 


 

 列車は音威子府を出た8分後に筬島(おさしま)駅に停車しました。

 

 この駅で降りて天塩川を渡ると、国道40号の下流を2kmほども進んだ辺りに「北海道命名の地」碑が建てられています。

 

 この碑は、開拓判官の松浦武四郎が、天塩川を探査中にこの地を訪ねたとき、アイヌの古老から聞いた話を基に、明治2年に「北加伊道」と言う名を考え、これがのちの北海道になったとの史実を刻みます。

 


 

 筬島を出た後、列車は天塩川の流れに沿って右岸を走り続けました。

 


 

 そしてほどなく、天塩川は右岸の天狗山(標高517m)、左岸の神居山(標高398m)に挟まれた神路(かみじ)渓谷に入りました。

 

 とは言っても、音威子府渓谷と神路渓谷は境界が明らかでなく、両者を同じする考え方もあるようです。

 

 この辺りの天塩川は、流れ下る川面を緑の森が優しく包み、旅人の心を安らげます

 

 40年程前に私は、週毎に仕事でこの辺りを車で廻っていました。

 あの頃は、何時かのんびりと、列車の窓から神路渓谷を眺めて旅してみたいと願っていました。

 

 そして今、それが現実となっています。

 

 日本の最北限のエリアを任され、ブリザードが吹きすさぶ季節を走り続けた時代を、懐かしく思いだしました。

 


 

 神路渓谷を抜けると次に、列車は佐久駅に停車しました。

 

 そして佐久駅を出た辺りから、列車は川岸を離れ、窓に牧草地が広がり始めました。

 

 それにつけても、空の青さと牧草地の緑のなんと美しいことでしょうか。

 

 北海道では当たり前の、青と緑と白で描かれる景色は、私の好きなアンドリュー・ワイエスの世界と重なります。

 

 こんな世界で暮らしたいと願ったこともあったのですが、私はその為の勇気と熱意に欠けていました。

 


 

 佐久駅の次に、列車は天塩中川駅に停まりました。

 

 この駅も無人駅ですが、駅舎が見事な風格を漂わせます。

 

 箒を手にした私服の女性が、駅の周囲を清掃する姿を見かけました。

 

 町民が駅を大事にする気持ちが、その姿からかいま見えた気がしました。

 

 この駅に来るのは初めてですが、4年前の2015年9月に、この町の森林公園に建てられた、宿泊無料のログハウスに泊めて頂いたことがあります。

 

 自転車で北海道を縦断する旅の途中でしたが、日暮れて辿り着いたこの街のスーパーで生姜焼き弁当と缶ビールを買い求め、夕食を摂りながら、ログハウスの先客と談笑しつつ、早々に寝袋に潜り込んだ記憶が蘇りました。

 

 

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