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カトマンドゥB級グルメ

2014-04-04 22:49:33 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 前のブログにも書きましたが、カトマンドゥは個々の地域に特色があるので、ぶらぶら歩きが本当に楽しいのです。


 もっともこの日は、お土産探しという目的もあって、これはと思う店に入って品定めをしたり、値段の交渉をしたりと、コツが分かった買い物を存分に楽しむことができました。

 

 

 タヒティー・チョーク(市街図青△1)から北西に進み、六本の道が交差するチェトラバティ・チョークへ出て、そこから北へ進みました。


 バス通りを歩いていると突然、通りを隔てた店先に飾られたポスターに目が導かれました。


 あれ?と思い、カメラのズームを利かせてシャッタを押しましたが、それは間違いなく深田恭子です。

 

 

 まさかこんな所で深田恭子さんに再会できる(バーチャルな話ですが)とは思ってもいませんでした。

 

 美人の評価は日本もネパールも世界共通なのでしょうか。

 

 

 そしてその後、以前から気になっていた、ネパール餃子の店「ニュー・エヴェレスト・モモ・センター」(市街図青〇1)へ向かいました。

 


 ご覧下さい、この店構え。 

 入口は、人がやっと通れる程の幅しかありません。

 しかも、ドアは無く、店内は申し訳程度の灯りが灯るだけです。

 

 

 

 そして店先の道路は、ひっきりなしに通り過ぎる車が埃をモウモウと巻き上げます。

 

 

 こんな風に、飲食店として最悪下の条件でも、この店がネパール人に大人気というのですから、絶対にそれなりの理由があるだろうと信じました。

 

 店内で、深田恭子さんみたいなお姉さんが接客する、なんてことは絶対にあり得ませんから、味に人気の秘密があるのは間違いない筈です。

 

 道路の反対側から店の様子を暫く窺い、客が頻繁に出入りし、営業中であることを確かめると、勇気を奮って「ニュー・エヴェレスト・モモ・センター」に入ってゆきました。


 ええ、本当に大袈裟に書いている訳でなく、「ニュー・エヴェレスト・モモ・センター」は、日本人の感覚からすれば、勇気無くしては入れない雰囲気に満ち溢れていました。

  

 

  席に付くけばメニューは一種類だけで、一皿10個のモモが60Rs(約60円)です。

 

 飾り気のないアルミ皿に盛られた熱々のモモは、シンプルな味付けで、胡椒の利いたスープがヒタヒタに絡み、客はそれを黙々と食し、残ったスープを飲み干します。

 

 客は一人か二人連れの中年男性ばかりでしたが、食べ終わった客は、皆言葉少なに会計を済ませ、席を立ち店を出てゆきます。

 

 まるで、池袋辺りに流行るラーメン屋を見るかのようでした。

 

 「ニュー・エヴェレスト・モモ・センター」。


 もしかするとカトマンドゥB級グルメのチャンピョンかもしれません。

 

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魚は貴重品なのかもしれません

2014-04-04 22:13:50 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 

 前回、前々回とカトマンドゥ ( カトマンズ )を散策した話を紹介しましたが、同類の情報を纏めておくと、ネット検索時に便利だと思います。

 

 そこで、ネパールを離れる前日の17日に、カトマンドゥ市内を再度散策した内容を、ここでご紹介します。

 

 

 日本へ帰る前日、財布に残ったネパールルピー(Rs)を確認しつつ、見残したカトマンドゥ市内の散策に出かけました。


 ネパールへ入国したばかりの頃と違い、カトマンドゥの概要が頭に入っていますので、足取りに余裕がありました。


 前回の3月2日は日曜日でしたが、今日は平日のため、タヒティー・チョーク(市街図青△1)で露天商が野菜を並べるなど、前回と異なる街の様子が目に気付きました。

 

 

 

 この日私は、直接ダルバール広場まで南下し、広場西側のヤトゥカ通りを北向きに歩き始めました。

 

 

 通りに面した肉屋では、丸裸の鶏が空に足を向けていました。

 

 

 家々の間に路地があると、その奥に、見事なストゥーパがあったりします。

 

 

 「地球の歩き方」に紹介された「切手になった窓」を見に行きましたが・・・

 


 正直、わざわざ見に行く程の物ではなかったなと・・・、

 

 しかし、この手の名所は、見ずに旅を終わると、後からやけに気になるものです。

 

 

 

 「切手になった窓」の先で、道を右に折れ、キラガル・トール通りを東へ歩きました。

 


 キラガル・トール通りを歩く途中、私はカトマンドゥーで初めて、魚屋を目にしました。

 


 海のないネパールは、魚が相当に貴重品なのかもしれません。

 

 

 

 

 更に先へ進んで、陶器を並べた店の横で左に曲がりました。

 

 このような、まるで混沌を絵にかいた光景に出くわすことが、旅の醍醐味とさえ思うのです。

 

 

 

 

 いいぞいいぞと独り言ちしながら、タヒティー・チョークに続く道を歩き続けました。


 予想しない光景、日常的ではない風景に出会うことで、更なる明日へと進むエネルギーが蓄積されます。

 

 生きることの手応え、とはこんな感情を言うのでしょうか。

 

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親切な旅行社

2014-04-04 17:24:30 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 ジョッチェン通りに接した細い路地を縫って東へ向かい、カトマンドゥ( カトマンズ )の交通の要路であるカンティ・パト通りに出ました。


 テンプーと呼ばれる小型のオート三輪が目の前を通り過ぎます。

 

 前方にマハンカル寺院の塔が見えていました。

 
 通りの反対側に、柵で囲まれた広い草地が広がっていました。

 

 

 通りに沿って、北へ進みます。


 暫く歩いた先にあった歩道橋に登り、カンティ・パト通りを振り返りました。


 通りに面して病院や銀行、公的機関などのビルが並んでいました。

 

 

 

 更に北へ進むと、タメル地区南端のトリデヴィ・マーグ通りとの交差点に出ました。


 この交差点は、昨晩、空港から宿へ向かうタクシーの窓から目にした記憶があります。


 カトマンドゥは定期的に停電になるため、このような交通の要となる通りでも信号がありません。

 
 交差点の中央で、警察官が交通整理をしていました。

 

 

 ここで左折して西へ向かい、300メートル程も進んでから、最初の通りを左折しました。


 そのジャサ通りには、東京の中野に本社を置く「風の旅行社」の支社があります。


 私は日本を出発する3日前に風の旅行社の本社を訪ね、現地手配のツアーや、トレッキングに関する情報を頂きました。


 本社で対応してくれた担当者の説明では、この社が企画するツアーは、二人以上からの対応で、必ずガイドとポーターを付けるそうです。


 この時私は、突然の一人旅なので、どの山域に入るかも決めていない旨を伝えました。

 

 東京の中野に本社がある風の旅行社の方から「山歩きの経験があれば、アンナプルナ周辺ならガイドなしでも歩けないことはないですよ」との情報をいただき、


 更に、「何か情報が得られるかもしれないので、ネパールへ行ったら支社に顔を出されると良いですよ」とのアドバイスも頂いていたのです。


 一銭の利益にもならない飛び込み客に、ご丁寧な対応とアドバイスを頂けましたので、私はネパールへ行ったら必ず御挨拶を兼ねて「風の旅行社」へ顔を出そうと考えていました。

 それが礼儀というものです。

 

 

 カトマンドゥの「風の旅行社」を訪ねると、現地でも非常に気持ちの良い対応を頂くことができました。


 私が、今回の旅は山と花を見ることが主目的だと説明すると、奥の机に座っていた、植物に詳しい現地社員が出てこられ、ヒマラヤの花を纏めた本を私に見せてくれたのです。


 私が「以前からこんな本が欲しいと思っていたんですよ!」と話すと、それではと、私を本屋まで案内してくれたのです。


 そしてその本屋で目にした、後先を考えずに購入してしまった本がこれです。

 

 

 A5版サイズの本は、厚さが3.5cm程もあります。

 

 この時は嬉しくて、衝動的に買ってしまったのですが、宿へ戻ってから「しまった!帰国する時に買えば良かった」ことに気付きました。


 今回は山歩きなので、極端に荷物を切り詰めたザックの中へ本を収めると、本はかなりの存在感を示し、ザックは確実に重量を増したのです。


 私はこの時以降、二週間以上も、ザックに詰めた本を傷めないように気遣いながら、旅を続けることになりました。 


 それにしても風の旅行社」には本当にお世話になりました。


 この旅行社は本当に信頼できます。 社員が全員損得なしです。

 

 ヒマラヤを一度は目にしたいと、願っている貴方。


 風の旅行社は絶対にお勧めです。

 

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ダルバール広場

2014-04-04 12:12:12 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 ダルバール広場に着くと、広場は多くの人々で賑わっていました。


 ダルバールとは、ネパール語で宮廷を意味し、13世紀から18世紀にカトマンドゥ( カトマンズ )盆地を治めたマッラ王朝時代には、王宮前広場として国の中心を成していたそうです。

 

 16世紀中頃に建てられたタレジュ寺院が、周囲に塀を廻らせていました。

 

 

 何処かで結婚式が行われるのでしょうか、広場の隅に置かれた車が花で飾られていました。

 

 

  驚いたのはこの樹です。


  ガジュマルのような大木が、背丈以上はある祠を呑み込みながら聳えていました。

 

 

 祠を呑み込んだ樹の近くに、シヴァ神の化身の一つであるカーラ・バイラブの石像を見ました。


 カーラ・バイブラの前で嘘を付けば、即座に死んでしまうと信じられていて、昔はこの像の前で、容疑者に罪を白状させたのだそうです。

 

 

 

 ダルバール広場の中央に三層のシヴァ寺院が見えています。


 17世紀末にバクタプルの皇太后によって造られたそうです。

 

 

 

 広場の南側にあるクマリの館には、女神クマリの化身と崇拝される少女が住んでいます。

 

 初潮前の僧侶カーストの家族から選ばれたクマリには、ネワール王国の守護神であるタレジュ女神や密教女神ヴァジラ・デーヴィーが宿っているそうです。

 

 

 クマリの館の横が煉瓦敷きのパサンタブル広場で、多くの土産物屋が商品を並べていました。

 

  興味のある顔を見せると、しつこく勧誘されますので、足早に通り過ぎることにしました。

 

 

 

 この広場の周辺に、昔ヒッピー風の旅人達がたむろしていた安宿街があるはずです。


 転ばぬ先の杖として、もしもの時の為に安宿の目星を付ける作業をしました。

 

 熟年の一人旅、何事も用心するに越したことはありません。


 ジョッチェン通りを曲がった先で、漢字で「日本」の看板を掲げたゲストハウスなどを確認することができました。

 

 

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