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ペナン 大東酒楼

2011-03-04 21:41:45 | マレー半島 花の旅

 夕方6時を過ぎていたでしょうか。

 ホテルへ戻ってシャワーを浴び、さっぱりと着替えてからカーテンを開け放ち、窓際の椅子に座って、デジカメの画像を見直しました。

 3時間ほどでしたが、多くの建造物を訪れ、世界遺産の雰囲気を十二分に満喫した記録がカメラに画像として残されていました。

 大脳から満足ホルモンがゆっくりと体中に伝わっていきます。

 丁度、満足ホルモンが胃袋に届いた頃、今度は消化管ホルモンが空腹感を伝えてきました。

 先ほどの街歩きで飲食店がどの辺りなのか、凡その見当は付いていましたので。早速、ガイドブック片手に出発。

 

 シャワーで汗を流した後でもあり、近くで店を探すことにしました。

 飲食店の並ぶチントラ通り〔Lebuh Cintra〕を歩いて行きますと、お肉屋さんが豚肉を製造している現場に出会いました。

 今の日本では絶対にお目に掛かれない光景です。

 

 チントラ通りからキンバレイ通り〔Lebun Kimberley〕を歩いて、幾つかの店の様子を観察しましたが、その中で一番活気のある大東酒楼へ入ることにしました。

 この店は北側と西側が通りに解放され、シンガポールで二晩続けて通った「15港潮洲」に店の作りが似ています。

 更には、この店では元気の良いおばちゃん達がガスコンロを搭載したワゴンに点心を山盛りに乗せて、絶えず店内を巡回しています。

 とっても気さくな田舎のおばちゃんと言った雰囲気で、見ているだけで何だかとっても癒されます。

 

                       

 

 席に座ると、おばちゃんが注文を取に来たので、メニューを眺めながら、「どうしょうかな」と日本語で呟きつつ、おばちゃんの顔を見ると、「姜芽鴨」と書かれた料理を指さして、多分「これにしなさい」とおっしゃいました。

 私は無条件に頷いて、「OK プリーズ」と即答し、英語で「それと、ビールをお願いします」。

 おばちゃんは「ビール?」と聞いてきたので「イエス、プリーズ」

 ビールが来たので、ワゴンの点心から一皿貰って、

 「無事にペナンに来れたこと」、

 「無事にねぐらを確保できたこと」、

 「無事に夕餉にありつけたこと」を祝して、

 「乾杯!」

 

                 

 

 おばちゃんが勧めた「姜芽鴨」は美味しくて、私を知る人は信じられないかもしれませんが、たった一本のビールでフンワリとなってしまい、心から満足すべきペナンの初日を、これで終えることに致しました。

 

 

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ペナン マックジュース

2011-03-04 21:36:51 | マレー半島 花の旅

 海岸に面したコーンウォリス要塞から歩き出し、あみだくじを辿るように、街を東西に幾度も横切りながら、南下しました。

 ジョージタウンの文化遺産としての輪郭は十分理解した気が致します。

  更に、いつものように方角だけを見当に、適当に家々の隙間の小さな路地に紛れ込んでみました。

 観光客が行きかう通りのすぐ裏で、幼い子供達が無邪気に遊んでいました。家屋内はどうやら一間で、簡単に塗装しただけのコンクリートの床がむき出し状態で、クーラーもなさそうです。

 しかし子供達は健康そのもの、その表情には如何ほどの憂いも見当たりません。何処の国でも子供達は皆天使です。

 

 その辺りからはアチェ通りモスクの姿を見ることができます。

 

 このモスクは1808年にスマトラのアチェから移り住んだ裕福なアラブ商人がインディアン囚人を使用して建設したのだそうです。

 周辺には当時の面影を残す民家が残っているとのことですが、私には見分けることは出来ませんでした。

 

 さて、そろそろホテルへ戻ることに致します。

 ホテルのある場所はコムタと呼ばれていますが、そこには65階建ての円形ビルが聳え、市内からは何処からでもこのビルを望むことができますので、丁度良い目印になっています。

 

 コムタ周辺にはショッピングセンターなども並んでいますので、買い物をする時も非常に便利な場所です。

 私はコムタに戻ると、数件のティーショップを覗いた後で、結局マクドナルドへ入り、カウンターでオレンジジュースを注文しました。

 

 

 カウンターでは、日本のマックと同じような年頃の少女達が客のオーダーを受けていました。

 彼女達は頭に頭巾を被ったアラビア系の服装で働いています。多分、この店はアラビア系の方が経営されているのでしょう。

 

 そして、私が受け取ったオレンジジュースがこれです。

 ご覧頂けますでしょうか。

 出てきた紙コップはビールのジョッキほどもあります。

 天然果汁100%のオレンジジュースがこれまた格別に旨い! 全く味覚に期待していなかったのですが、この予期せぬ僥倖は、炎天下を歩き続けてきた私を至福の世界へと導いてくれたのでした。

 こんなことで、とても幸せな気分に浸れるなんて、私はとても恵まれた性格なのかもしれません。

 誰ですか、唯我独尊、自我自賛などと囁いたのは。  

 

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ペナン 街を彷徨う

2011-03-04 21:28:15 | マレー半島 花の旅

 ジョージタウンを巡り歩いていますが、ガイドマップの地図が、どうも実際の道と少しずれているようです。

 でも、急ぐ旅でも、目的のある旅でもないので、気ままに異国の雰囲気を楽しみながら彷徨いました。

 

 

                 

 

 路地に陰が広がり始めました。歩き易くはなりましたが、それでも気温は然程変わりません。

 やがて、一軒の寺院の前に出ました。ガイドブックの写真からこの寺院がチアコンシであることに間違いなさそうです。

 チアコンシはペナン華人の最古のコンシ(宗祠)の一つで、1873年に建設されたとのことです。

 マラヤに移住した中国人がマレー、中国、西洋の要素を織り込んで作り上げた典型的な伝統様式を示しているのだそうです。

 

 

 チアコンシの西には19世紀に建立されたヤップコンシ(左下の写真)や、スマトラ島アチェの反オランダ活動で主要な役割を果たした、富裕商人のサイド・アラタス氏が1860年に建設した元住居(右下の写真)などを確認することができました。

 チアコンシの西の方角にも幾つかの歴史的建造物があるようなので足を向けてみました。

  

 

 そうそう、この辺りで、最初にバスに乗るとき、コムタのバス停で一緒にバスを待っていた、ヨーロッパからと思われるご夫婦がトライショーと呼ばれる人力車に乗って現れました。

 お互いに笑顔で片手を上げて、「やあ、暑いですね」と挨拶を交わしましたが、やっぱり、高齢のご婦人には歩いて廻れるような気温ではないです。

 

 ちなみに、トライショーは1時間で30リンギとか40リンギとかの情報があります。

 いずれにしても、この炎天下の1時間で30リンギなら840円程度ですから、お安いことに間違いはありません。

 

 実を申せば私だって、こんな珍しいものに触れないでペナンを去ったら、後で絶対に後悔すると思い、シティーハウスの前で交渉して、ちょっとだけ座らせてもらっていたのです。

 

 シャッターを押してもらった後で、運転手さんに3リンギをお渡ししたら、何だかとっても嬉しそうでしたよ。

 

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ペナン インドの香り

2011-03-04 21:20:46 | マレー半島 花の旅

 ハーモニー通り〔Jalan Masjid Kapitan Keling〕をもう少し南西に進むとバッキンガム通り〔Lebuh Buckingham〕と交差しますが、そこに1801年創建のインド系ムスリム寺院、カピタン・クリン・モスクがあります。

 市内循環バスに乗って、窓から見えた最初の印象的な建造物がこれでした。

 この建物は1910年に現在のムーア様式に建て替えられ、その後数回の改修が行われますが、ペナンのみならずマレーシア内でも1、2を争う美しさと称され、ドームの横ではミナレット(突塔)が青い空を背に白さを際立たせていました。

 

 

 このモスクから再びハーモニー通りを戻り、右折してパサー通りへ入りました。

 この辺りはリトルインディアと称される地区で、インド系商店などが店を並べ、インド映画のビデオ屋さんらしき店を見かけました。

 

 

                 

 

 この辺りには美味しいカレー屋さんもあるらしいのですが、事前の調査不足と気力を殺ぐ暑さのために、見つけ出すことが出来ません。

 さて、実を申せば、この後の経路の記憶が定かではないのですが、ガイドブックを頼りに、何とか目的とするナゴーレ・シュラインの前に出ることができました。

 

 この神社は13世紀にナゴーレに住んでいたイスラム教徒の聖人に因み、1800年代初頭に南インドからの移民が建てたのだそうです。

 面白いことに、神社の中では今でも、帽子屋さんと宝石屋さんが普通に営業しているそうです。

 

 

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ペナン 民族の坩堝

2011-03-04 21:16:25 | マレー半島 花の旅

 プラナカン・マンションを先へ進むとキング・ストリート寺院群が現れます。

 ガイドブックには、18世紀にペナンに定着した中国系の人々の多様性や、広東系寺院と客家系寺院の精密な内部構造などを見ることができると記載されていました。

 同じ様に見える中国系の人々も、どうやら均一の民族ではなさそうです。

 

 更に先へ進むと、通称ハーモニー通り〔Jalan Masjid Kapitan Keling〕の観音寺「中国語ではKuan Yin Temple」が見えてきます。この寺は基礎構造が1728年に設置されたペナン最古の寺院で、今の建造物は1824年に建立されていますが、現在でも中国系の人々の参拝は絶えることがないそうです。

 本堂前では信者が捧げた線香の煙が立ち込めていました。

 

 

                 

 

 この寺の境内で、小鳥を販売している人がいましたが、これはいったい何の鳥で、何をする為の小鳥なのでしょうか? 

 観音寺からハーモニー通りを南西方向へ進むと、ジョージタウン最古のヒンドゥー教寺院であるスリ・マハ・マリアマン寺院の裏門に出ます。この寺院の開基は1801年で、現在の建物は1833年に建立されたそうですが、門の上にヒンドゥー教の神々なのでしょう、見事な彫刻を見ることができます。

 正門へ廻り込みましたが、こちら側も見事な彫刻でデフォルメされておりました。

 

 

 ペナンの歴史を調べますと、この寺院が作られた時代はペナン全島で4万人ほどの人口だったようです。その内、約40%がマレー人、インド人と中国人がほぼ20%、アラブ人が10%弱だったそうです。

 同時代に中国の仏教系寺院とインドのヒンドゥー教寺院が相前後して建立された背景が目に見えるようです。

 

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ペナン やっぱり徒歩

2011-03-04 21:13:10 | マレー半島 花の旅

 私はコーンウォリス要塞の受付窓口で、ペナン観光ガイドの冊子を入手することができました。

 その冊子にはジョージタウン市内の歴史的建造物が紹介されていましたので、以降はその冊子を頼りに市内を見学することにしました。

 まずは、要塞を出てキング・エドワード・プレイス(マレー語で〔Pesara King Edward〕と表記:以下〔 〕内はマレー語)と呼ばれる地域に向かいます。そこのロータリーの中央に時計塔が建っていました。この塔は1897年に中国人の実業家がヴィクトリア女王の即位60周年を記念して建設したものです。

 日本では明治30年に当り、その年には京都帝国大学が開設され、「ほととぎす」が正岡子規によって創刊されたりしています。

 

 この時計塔を眺めた時は午後4時を過ぎていたと思いますが、しかし、それにしても暑い!

 多分この時点でも気温は30度を越えていたのではないでしょうか。

 歩くのは辛いので、もう一度循環バスに乗ろうと、先程降りたバス停に戻ってバスを待っていたのですが・・・ 7、8分で痺れを切らしました。

 観光ガイドの冊子に紹介されている施設は殆どが市内中心部に集中し、各施設間の距離は徒歩で数分程度のようです。

 どんなに暑くても、やっぱり徒歩で周ることにしました。

 ロータリーに戻り、ビーチ・ストリート〔Lebuh Pantai〕に歩を進めます。

 路の両側には昔の面影を残した白い建造物が並んでいます。どうやら1880年代に建てられた役所や銀行などのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 更に先へ進んで右折し、ジェレジャストリート〔Lebuh Gereja〕に入ると、19世紀末に建てられた、緑の壁が印象的なペナン・プラナカン・マンションがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プラナカンとはイギリス植民地時代に渡ってきた中国人が、マレー人の女性と結婚して生まれた子供達のことで、男の子ならババ、女の子はニョニャと呼ばれるのだそうです。

 現在この建物はプラナカン文化に関連した骨董品などを展示する博物館となっているそうですが、残念なことに、閉館時間(~16:30)を過ぎてしまったようです。

 

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ペナン 英国の遺産

2011-03-04 21:05:46 | マレー半島 花の旅

 先に記述しましたが、ペナンは18世紀後半にこの地を支配していたスルタンと東インド会社の条約によりイギリスへ植民地として譲渡されました。

 当時のイギリスのコロニアル建築が残されているのが、海に面したコーンウォリス要塞周辺です。

 私は循環バスを降りると、最初に目に付いたタウンホールに向かって歩き始めました。

 このタウンホールは1880年に建てられたビクトリア様式の建造物です。

 ペナン社交界のセンターとして、教会や集会場、ダンスホールなど多くの目的に使用されていたのだそうです。

 

 

 タウンホールの横には1903年に建てられたネオパラディアン様式のシティーホールがあり、現在も市議会関連の目的に使用されているそうです。

 私が訪れた時、その庭の石柱に座っていた青年の、褐色の肌が、熱帯の白亜の建造物と美しく調和していたことが印象に残りました。

 この時「本当に熱帯に来ているのだ」と強く意識したことを記憶しています。

 

                

 

 上記の二つの建造物とコタラマ公園を挟んで位置するのがコーンウォリス要塞です。

 2リンギの入場料を払って中に入りました。開場時間は19時までと表示されていました。

 この要塞は1786年にフランシス・ライトが上陸した場所に設けられました。

 東インド会社の軍事、管理拠点として活用されて、堀で囲まれた要塞の中には火薬庫や教会が備えられていたそうです。

 

                 

 

 コーンウォリス要塞から海に向けられた大砲が物語るように、この地ににも幾つもの戦があったようです。

 海岸には第一次世界大戦から1968年に端を発したマレーシア民族紛争までのモニュメント、戦争慰霊碑が建てられていました。

 

 

 余談ですが、「旅を終えての後に、ブログを書く」という作業は本当に楽しいものです。

 私はこの旅を終えた後で、旅で知り得た幾多の情報を手がかりに、ペナンの歴史や、興味深い幾多の情報を再調査することで、更に知識を広げることができました。

 今ブログを書きながら、もう一度、机上の旅を楽しませて頂いております。

 

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ペナン 無料循環バス

2011-03-04 20:56:33 | マレー半島 花の旅

 ホテルに着いて、シャワーを浴び、洗濯を済ませて時間を確認すると、15時頃でした。

 今日はとりあえず、世界遺産であるジョージタウンを見物することにしました。

 ジョージタウンは、シンガポールのように日本でガイドブックが手に入らなかったので、ホテルの横にあるコムタ・バスターミナルから無料市内循環バスを利用して適当に歩き回ることにしました。

 この循環バスは15分に一本程度、市内中心部を周回しているようです。ヨーロッパからと思えるご夫婦と一緒にバスを待っていると、程なくバスがやって来ました。

   

                 

 

 バスはコロニアルな雰囲気の街を、右へ左へと進路と変えながら走ります。

 

                       

 

 市街を回り、先程バスに乗り込んだコムタ・バスターミナル停留所付近へ戻って来ましたが、どうやらこの辺りが市街中心部のようです。道路が最も混雑していました。

 数百メートル程の渋滞で、日本車をかなりの頻度で目にしましたが、韓国車の比率も以外に高いようです。

 

 

  しかし、その後は渋滞は無く、バスの窓にアラブや中華様式の建築物が次々と姿を見せ、好奇心を大いに刺激してくれます。

 

 

                        

 

 やがてバスは海岸に近づいて行きます。

 緑の芝が広がる公園の横に白い建造物が並んでいましたので、この辺りが頃合とバスを降りることにしました。

 

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