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音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

厄払い商売 と 免罪符

2012年01月17日 | 日常雑感

自分は厄年とか厄払いなどを気にしたことがないし、知らない。

女の子達は、そういった厄年とか厄払いとか縁結びとか、とかく神社が好きなようだ。

まあ、そういった迷信には右往左往しないことが大事だ。

結局は神社の御商売なのだから。

厄年らしきものが仮にあるとすれば、それは人体のバイオリズムで、健康の曲がり角を迎える年齢ということなのだ。

その年齢に近づいたら、健康に気をつけなさいよ、という生活の智慧といったもので、厄払いしたから良くなるなんてことは有り得ない。

厄払いするより健康を心がけ、生活の無理に用心することのほうが大切だ。

神社の神様も、お賽銭しだいで厄払いしたりしなかったりするとしたら、現金な神様だ。

まあ、厄払いを推奨しているのは、神社の神様ではなく、神社経営者の神主さんだろう。

厄払い商売は稼ぎ時なのだから。

「少ない賽銭で、ようさん願い事しよるなあ」とぶつぶつ声が聞こえると思ったら、賽銭箱の後ろにいた神主さんだった、というのが落語のネタにある。

まあ、厄年とか厄払いなどというのも、占いと同じで一つのレジャー、遊びと考えるとよい。

付け加えると、宗教改革で有名なマルチン・ルターは免罪符に抗議した。

大金を払って免罪符を買うと、神の罪が許されるという、腐りきった宗教界への抗議だった。

これが宗教改革の一因ともなった。

ようは厄年とか、厄払いとか、縁結びというような迷信に右往左往しないこと。

神様も商売熱心なのだ。


もちろん信教は自由なので、厄払いなどを信じる人は御自由に。


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