
自分は厄年とか厄払いなどを気にしたことがないし、知らない。
女の子達は、そういった厄年とか厄払いとか縁結びとか、とかく神社が好きなようだ。
まあ、そういった迷信には右往左往しないことが大事だ。
結局は神社の御商売なのだから。
厄年らしきものが仮にあるとすれば、それは人体のバイオリズムで、健康の曲がり角を迎える年齢ということなのだ。
その年齢に近づいたら、健康に気をつけなさいよ、という生活の智慧といったもので、厄払いしたから良くなるなんてことは有り得ない。
厄払いするより健康を心がけ、生活の無理に用心することのほうが大切だ。
神社の神様も、お賽銭しだいで厄払いしたりしなかったりするとしたら、現金な神様だ。
まあ、厄払いを推奨しているのは、神社の神様ではなく、神社経営者の神主さんだろう。
厄払い商売は稼ぎ時なのだから。
「少ない賽銭で、ようさん願い事しよるなあ」とぶつぶつ声が聞こえると思ったら、賽銭箱の後ろにいた神主さんだった、というのが落語のネタにある。
まあ、厄年とか厄払いなどというのも、占いと同じで一つのレジャー、遊びと考えるとよい。
付け加えると、宗教改革で有名なマルチン・ルターは免罪符に抗議した。
大金を払って免罪符を買うと、神の罪が許されるという、腐りきった宗教界への抗議だった。
これが宗教改革の一因ともなった。
ようは厄年とか、厄払いとか、縁結びというような迷信に右往左往しないこと。
神様も商売熱心なのだ。
もちろん信教は自由なので、厄払いなどを信じる人は御自由に。