読書の記録

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山頭火

2008年12月01日 | 言語・文学論・作家論・読書論
山頭火 ---石寒太

 種田山頭火の句で教科書にも載るくらいに有名なのは「分け入っても分け入っても青い山」だけど、「まっすぐな道でさみしい」や「後ろ姿の時雨れてゆくか」あたりも、サブカルな人がよく引用している。自由句のもつ切り詰められた切迫感とあふれ出る叙情の奇妙なバランスが、気の効いた引用句としてこの上なく発揮するのだろう。僕が好きなのは「鉄鉢の中にも霰」。

 山頭火の句の一種独特をならしめているものは、主体と客体の渾然となっているところで、「分け入っても分け入っても青い山」の場合、“分け入っても分け入っても”と“青い山”。「まっすぐな道でさみしい」は、“まっすぐな道”と”でさみしい”。「後ろ姿の時雨れてゆくか」ならば、“後ろ姿の時雨れてゆく”と“か”。「鉄鉢の中にも霰」ならば、"鉄鉢の中に+霰”に対する“も”で、綴られた客体が突然、自分の心境のど真ん中に介入してくる。このえぐりこむようなスピード感が山頭火の真骨頂だと思う。
 実際、山頭火の句は、真似できそうで真似できない。このあたり、よくできた映画や商品の宣伝コピーも連想させる。

 もっとも、知られているように、山頭火本人の人格というか人となりはめちゃくちゃである。要するに、住所不定のアル中であり、父の放蕩や家業の倒産、そして母や弟の自殺といった不幸な人生を背負い、精神の破綻直前まで追い詰められた末の「分け入っても分け入っても青い山」なのである。
 ただ、興味深いのは、そんな山頭火は旅先随所で歓迎されていることだ。同じ俳諧仲間とはいえ、そこには、山頭火自身の性格の良さ、ホスピタリティの良さが伺える。なんというか、赤塚不二夫と共通項がある。

 本書では、山頭火以外も、同時代の俳句、特に自由句をめぐる人々が紹介されているが、こちらはまさに奇人変人列伝。

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