中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策(案内)167 「東京中心部南 649」 相田みつを美術館

2021-07-19 04:44:40 | 東京中心 南

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25

 

相田みつを美術館

『つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの』(相田みつをの50代後半の言葉)。 
詩人・書家として知られる相田みつをは、1924年5月20日に栃木県足利市で生まれた。本名は光男。雅号、貪不安(ドンフアン)。父は刺繍職人。6人兄弟の3男であり、相田は次兄・幸夫(ゆきお)をよく慕っていた。相田がまだ3、4歳の頃、小学生の幸夫がよく紙芝居を見に連れ出してくれた。その際、家が貧乏で飴を買わずに遠くからタダで見ていた為、あるとき幸夫が紙芝居屋に襟首を掴まれ引きずり出され、皆が見ている前でぶん殴られた。兄一人なら逃げることができたが、幼い弟がいるため捕まったのだ。幸夫は殴られても泣かずにじっと弟を見つめ、紙芝居屋は「強情なヤツめ」と何度も殴った(『歯をくいしばってがまんをしたんだよ 泣くにも泣けなかったんだよ 弟のわたしがいっしょだったから』)。

幸夫は新聞社の模擬テストで県一番に輝いた秀才だったが、家計を助けるため長兄・武雄と同様、小学校を出た後は費用の掛かる旧制中学に通えなかった。そして2人の兄の稼ぎのおかげで4人の弟妹たちが中学に行けた。相田が中学に進むと幸夫は懇々と諭した。「みつを、中学校ってのは下級生を殴るという噂を聞いたけれども、無抵抗な下級生を殴るのは一番野蛮だぞ。無抵抗なものを絶対に殴るなよ」「足袋の穴は恥ずかしくない。その穴から太陽を見ていろ」「どんなにひもじくても、卑しい根性にはならないでくれ」。
そんな優しい兄たちの人生を戦争が狂わせた。

1937年、13歳のときに日中戦争が勃発し、最初に幸夫が兵隊にとられた。出征前に幸夫は弟に言う。「お前なあ、男として生まれてきた以上、しかも中学校に我々の働きで行かせてやったんだから、自分の納得する生き方をしてくれよ。世間の見てくれとか、体裁よりも、自分の心の納得する生き方をしてくれよ」。
幸夫は北京で憲兵隊に回され、自身の調書の書き方ひとつで中国人は即死刑になった。ある日、幸夫から「読んだら燃やせ」「この戦争は間違っていた」と秘密の手紙が相田家に届いた。「自分はいま思想犯の調書を書いているが、捕まえてくるのは北京大学の学生が多くみんな秀才だ。弟を見るようでとても殺すに忍びない。彼らから“どう理屈をいっても武器弾薬を持って他人の国に入って来るのは根本的に間違っている”と言われると二の句が継げない。中国の将来性のある青年を銃殺刑にするのは可哀相だから、なんとか自分の配慮でみんな無罪釈放できるように調書を書いている」。
1941年8月(17歳)、相田家に悲痛な電報が届く。「相田幸夫殿、山西省の戦闘において、左胸部貫通銃創を受け、名誉の戦死」。弔問客が帰った後、母は幸夫の遺影に向かって叫んだ。「幸夫、なんで死んだ、勲章も名誉も母ちゃんはいらない、おまえさえ生きて帰ればなんにもいらない、ユキオ!!ユキオ!!ユキオー!!」。

その後、幸夫の死を看取った戦友Tから手紙が届く。幸夫は撃たれた後2時間ほど生きており、しきりに故郷の親兄弟を心配していた。「死んでゆく自分はいいけれども、両親や弟妹たちの嘆き悲しむ様を想うとそのことが一番つらい」。そして戦友Tは“読んだら必ず焼却して欲しい”と断った後、兄の最期の言葉を記した。「戦争というものは人間の作る最大の罪悪だなぁ……」。同年12月、新たに日米開戦となり、今度は長兄・武雄が兵隊にとられ、1944年5月「ビルマにて戦死」と訃報が届いた(当時、ビルマでは『インパール作戦』の最中。当作戦の日本軍死傷者は5万以上。死者は大半が餓死。武雄もこの作戦で犠牲に)。母は2人の子どもを奪われて気も狂わんばかりになり、85歳で没した際も、臨終前に「武雄!幸夫!」と叫び続けていた。

相田は兄たちを失った後、何か困ったことがあると墓参りに行き「あんちゃんなぁ、どっちの道選んだらいいかなぁ」と石塔と相談するようになった。「私は何かに迷うと、もし、あんちゃんたちが生きていたら、自分がどういう生き方をすれば喜んでくれるだろうかと考えるんです。そして、いつでも、あんちゃんたちが喜ぶ方の道を選ぶんです。私は今日まで、あんちゃんたちに守られて、こういう人生を生かしてもらってきたのです」。

※相田みつを『三人分』より~「三人分の力で頑張れば どんな苦しみにも耐えられるはずだ 三人分の力でふんばれば どんなに険しい坂道でも 越えられるはずだ 三人分の力を合わせれば どんなに激しい波風でも 何とか乗り切れるはずだ そして 三人分の力を合わせれば 少なくとも 人並みぐらいの仕事は できるはずだ たとえ私の力は弱くとも…」「三人分とは 一人はもちろんこの自分 気の小さい 力の弱い だらしのない 私のこと あとの二人は 戦争で死んだ二人の兄たちのこと 豊かな才能と体力に恵まれながら 戦争のために 若くして死んで行った 二人のあんちゃんのこと 学問への志を果たすこともなく 人並みの恋の花すらさかすことなく 青春の固い蕾(つぼみ)のままで死んでいった 二人のあんちゃんのことです わたしの仕事は いつもこの二人のあんちゃんといっしょ だからわたしの仕事は 三人で一ツです」。

 

 

 

 

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

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楽しく散策食事をする会(老舗・有名店を巡るランチ散歩) part8詳細 ネットでカルチャー齋藤 第4金曜日実施 修正3

 

20190830 見学 東京南
東京都千代田区丸の内   
            東京国際フォーラム
第4金曜日実施     ネットでカルチャー齋藤
楽しく散策食事をする会(有名店を巡るランチ散歩)part8
第42回東京駅丸の内南口、八重洲・有楽町散策⑤
平成31年8月30日(金) 11時30分 
          東京駅丸の内南口ロビー(南口改札出口)
エスカーレ ホテルモントレ銀座店4000円
東京駅-KITTE・地下街-東京国際フォーラム「相田みつお美術館」-エスカーレ ホテルモントレ銀座店-銀座解散(有楽町・鳥吉市場で2次会)
東京国際フォーラム
国際建築家連合(UIA)の基準に基づく国際公開コンペが初めて日本で行われ、設計者は建築家のラファエル・ヴィニオリに決まった。ガラスの吹き抜けホール(ガラス棟)は「船」を題材にしており、その巨大な外観と共に、船の骨格のような構造を露出した内部が特徴となっている。建物の曲線は山手線の線路の曲線と平行しており、外周部には無駄なスペースが無い。代わりに中庭のような広場が中央部に配置されている。

第42回 東京駅丸の内南口から八重洲・有楽町散策⑤  楽しく散策食事をする会(旧老舗・有名店を巡るランチ散歩)part8  ネットでカルチャー齋藤

第42回 東京駅丸の内南口から八重洲・有楽町散策⑤  楽しく散策食事をする会(旧老舗・有名店を巡るランチ散歩)part8  ネットでカルチャー齋藤 記録

エスカーレ ホテルモントレ銀座店 第42回 東京駅丸の内南口から八重洲・有楽町散策⑤  楽しく散策食事をする会(旧老舗・有名店を巡るランチ散歩)part8  ネットでカルチャー齋藤 食事記録

 

 

 

 

 

 

 

 

工場・施設見学 その-518  相田みつを美術館

 

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20190830 見学 東京南
東京都千代田区丸の内   
               
第4金曜日実施     ネットでカルチャー齋藤
楽しく散策食事をする会(有名店を巡るランチ散歩)part8
第42回東京駅丸の内南口、八重洲・有楽町散策⑤
平成31年8月30日(金) 11時30分 
          東京駅丸の内南口ロビー(南口改札出口)
エスカーレ ホテルモントレ銀座店4000円
東京駅-KITTE・地下街-東京国際フォーラム「相田みつお美術館」-エスカーレ ホテルモントレ銀座店-銀座解散(有楽町・鳥吉市場で2次会)
相田みつを美術館
相田みつを美術館 (あいだみつを びじゅつかん、英語表記:Mitsuo Aida Museum) は、東京都千代田区の東京国際フォーラム内にある美術館。詩人で書家の相田みつをの作品を所蔵している。館長は、みつをの長男である相田一人。作品鑑賞に1時間、鑑賞後の余韻に浸りながら過ごすのに1時間という意味で、「人生の2時間を過ごす場所」をコンセプトに設計、普通の美術館が疲れるのは「作品に触れたことでわき上がった思いを、そのまま消化できずに帰宅するからではないか」という考えに基づいている。館内は、相田みつをが毎日散策した栃木県足利市にある八幡山古墳群をイメージし、くつろぎのスペースを設け、作品を鑑賞した後にゆったりと過ごすことができるように作られている。

第42回 東京駅丸の内南口から八重洲・有楽町散策⑤  楽しく散策食事をする会(旧老舗・有名店を巡るランチ散歩)part8  ネットでカルチャー齋藤

第42回 東京駅丸の内南口から八重洲・有楽町散策⑤  楽しく散策食事をする会(旧老舗・有名店を巡るランチ散歩)part8  ネットでカルチャー齋藤 記録

エスカーレ ホテルモントレ銀座店 第42回 東京駅丸の内南口から八重洲・有楽町散策⑤  楽しく散策食事をする会(旧老舗・有名店を巡るランチ散歩)part8  ネットでカルチャー齋藤 食事記録

 

 

 

 

楽しく散策食事をする会(老舗・有名店を巡るランチ散歩) part8詳細 ネットでカルチャー齋藤 第4金曜日実施 修正3

楽しく散策食事をする会(老舗・有名店を巡るランチ散歩) part8詳細 ネットでカルチャー齋藤 第4金曜日実施 修正3

老舗・有名店を巡るランチ散歩part7 第4金曜日実施 ネットデカルチャー 修正201810

老舗・有名店を巡るランチ散歩part6 修正

老舗・有名店を巡るランチ散歩part5 第4金曜日実施

老舗・有名店を巡るランチ散歩 part5

老舗・有名店を巡るランチ散歩 part4

 

 

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