中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策(案内)69 「東京中心部北 607」  湯島聖堂・神田明神「碑」

2021-03-17 07:09:54 | 東京中心 北

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。  コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。

現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ

 

湯島聖堂

徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。

明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。

大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び(株)大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。

 

神田明神

 

社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。

江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。

明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められました。
明治7年(1874)には、はじめて東京に皇居をお定めになられた明治天皇が親しく御参拝になり御幣物を献じられました。

 

 

20180628 東京北 史跡

東京都文京区湯島            

湯島聖堂

 湯島聖堂(ゆしませいどう)は、東京都文京区湯島一丁目にある史跡。江戸時代の元禄3年(1690年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となった。JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口からでて、聖橋を渡り右手の森の中にあり、「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある。  湯島天満宮(湯島天神)とともに、年間(特に受験シーズン)を通して合格祈願のために、参拝に来る受験生が訪れる。特に、合格祈願の鉛筆を買っていく受験生の姿が多く見受けられる。国の史跡に指定されている。  1690年(元禄3年)、林羅山が上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍綱吉がこれを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。またそれに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。翌1691年(元禄4年)2月7日に神位の奉遷が行われて完成した。林家の学問所も当地に移転している。

 

 

 

 

 

20180710 東京北 史跡

東京都文京区湯島            

湯島聖堂

 湯島聖堂(ゆしませいどう)は、東京都文京区湯島一丁目にある史跡。江戸時代の元禄3年(1690年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となった。JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口からでて、聖橋を渡り右手の森の中にあり、「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある。  湯島天満宮(湯島天神)とともに、年間(特に受験シーズン)を通して合格祈願のために、参拝に来る受験生が訪れる。特に、合格祈願の鉛筆を買っていく受験生の姿が多く見受けられる。国の史跡に指定されている。  1690年(元禄3年)、林羅山が上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍綱吉がこれを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。またそれに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。翌1691年(元禄4年)2月7日に神位の奉遷が行われて完成した。林家の学問所も当地に移転している。

 

 

 

 

20180810  東京北 商店街

東京都千代田区外神田     

  神田明神下 喜川

 創業百二十余年。伝統の味、江戸の味。 神田明神の裏参道の階段を下りてすぐ横にある「神田明神下 喜川」。 明治29年(1896年)、東京有数の花街柳橋に開業し、 時代の流れとともに粋な通人の街、神田に店舗を移しました。 江戸前の味を守る鰻の名店として、地元のみならず、 多くのお客様にご愛顧いただいております。 木立に囲まれた落ち着いた雰囲気の中、 その日の朝に届いた国産鰻を、その日のうちに調理。 30分蒸したのち、伝統のタレと共に焼きを入れた自慢の鰻は、 余分な脂が落ちた、あっさりとした江戸前の蒲焼です。 「神田明神下 喜川」では、数々の鰻料理をはじめ、季節のコース料理、 お刺身、天婦羅、鍋、そのほかアラカルトもご用意しております。 皆様のお越しを心よりお待ちしております(hpより)

 

 

 

第17回 神田からお茶野水・秋葉原,神田明神・湯島天神・上野に至るたび

 平成27年2月13日(金) 集合:JR神田駅南口出口10時  

神田駅-(路地・ガード下散策)-スズラン通り-淡路町-「神田・淡路町で昼食」-ニコライ堂「見学」-お茶の水駅「聖橋」-湯島聖堂「参拝」-本郷界隈-神田明神「参拝」-秋葉原「電気街散策」-湯島天神-御徒町駅-「旧岩崎邸・見学」-忍ばすの池・上野公園散策-上野 「蕎麦・鰻での昼食2500円程度(予定)」 神田明神下 喜川 解散:上野駅 15時 

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東京川を巡る旅②                   その4
「神田川界隈路地歩き&ランチ」PART1  第4回 お茶の水から神保町        
水道橋界隈を楽しむ旅 7月16日(木) 11時30分    
お茶の水駅(お茶の水橋口・西口)        
15時   水道橋駅解散
 お茶の水の北側を散策、甘味処神田明神まで足を伸ばしてみましょう。その後は丘陵地帯を散策しながら水道橋へ、日本の歴史を「折り紙記念館」、ワールドカップ余韻を感じながら「サーカーミュージアム」。神田川の歴史は水道の歴史、東京都水道歴史館で神田川の水道を学びましょう。  お茶の水駅-天野屋・神田明神-「神田明神下・喜川(鰻・天麩羅・刺身等)」-折り紙会館-サッカーミュージアム-水道歴史館・給水所公苑・寺町散策--後楽園・春日駅or水道橋駅 神田明神下 喜川   個室で自分でランチを楽しみましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

散策(案内)43 「東京中心部北 581」 神田明神(神田神社)

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