移日々之事物

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重いか軽いか

2005-12-27 01:39:05 | Weblog
教師の罰則は重いか軽いか。

飲酒運転をした教師は懲戒免職。これは重すぎるでしょうか、妥当な罰則でしょうか。

実際には重過ぎるとして軽減され、停職三ヶ月ということに変更されたそうです。交通法規的には罰金十万円の略式命令というレベルですから懲戒免職となると少々重いかなという気もします。

もちろん世の中にはこれで納得できない人もいるのは事実です。酒気帯び運転で被害をこうむった人の中にはこの変更を批判している人もいたりします。

多分罰則を重く感じる人は、飲酒運転で害をこうむったことがないからそれ自体があくという認識が薄いということなんでしょう。私も含めてそういうことなんじゃないかと思います。

まぁ飲酒運転の結果はその当人だけでなく他人の命をも脅かす危険があるのですから、そうやって考えれば懲戒免職というのは軽くないともいえてしまいます。ころころ考えを変えているように聞こえますが、ようは考え方次第ということで私はやっぱり懲戒免職だと重いだろうと感じていますが。

それはセクハラ教師の罰則で停職三ヶ月というのがあったりもするからです。こちらはこちらで生徒の心に傷を残すという事件です。

命の危険はないのだから飲酒運転より軽いという人もいるかもしれませんが、それも結局は被害を受けたことが無いからこその言葉でしょう。セクハラは受けたけど飲酒運転で影響がない人は、セクハラのほうが重いと感じたりもするだろうと思います。

命も含めた身体には害はなかったとしても、心に大きな傷を負ったりしてしまったならばある意味においては身体における害よりもたちが悪いこともあるのではないかと思います。命があるならいいというのは、生きていればいいというのは考えが足りない言葉だと私は強く感じます。

どちらが重いとか軽いとかいうことではなく、どちらも重い罪であろうことは間違いないと思います。両者共に懲戒免職にすれば話は早いわけですが、それだと短絡的に過ぎる気もします。

懲戒免職にするということはその人の生きる糧を得る手段を奪うことになるわけですし、その後の人生にも大きな影を落としてしまうでしょう。原則的に更生を前提とした罰則であるのだからそんな罰はそう簡単に下されるべきではないと思います。

当事者からすればどんな罰でも軽いと感じてしまうものなのではないでしょうか。第三者からみてもそれは難しい問題ですが、こうだからこうと決め付けることなく考えていかなければならないのではないでしょうか。