2019年10月22日の紅葉
仁木町 NIKI, HOKKAIDO
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倶知安町 KUTCHAN, HOKKAIDO
レルヒ中佐の像
風が運んだのかな?
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真狩村 MAKKARI, HOKKAIDO
2019年10月22日の紅葉
仁木町 NIKI, HOKKAIDO
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倶知安町 KUTCHAN, HOKKAIDO
レルヒ中佐の像
風が運んだのかな?
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真狩村 MAKKARI, HOKKAIDO
江別市の夢工房トンデンファーム。
寒かったけど、馬やポニー、ヤギにニンジンをあげるのが楽しい。
フランクやジンギスカンもおいしかった。
待っている馬たち
アップ
ニンジンを待っている
ずっとアピールしていたヤギ
11月4日。メンヒル(立石)がある夕張郡長沼町の幌内神社を訪ねました。
夕張郡長沼町字ポロナイ1512番地
入口近くの紅葉がきれいで目を引きました。
近くの駐車場は閉鎖、入口に縄がはっていました。
メンヒル(立石)撮影後に気が付いたのですが、9月の台風でかなりの倒木があり、伐採して集めた所もありました。
幌内神社の由緒記
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メンヒル(立石)
説明より
「俗に船つなぎ石といわれているが、実は縄文時代後期の人物の墳墓に使用したものらしい。この石は、支笏湖付近の安山岩等で馬追丘陵では産出しない。長沼町教育委員会」
細い立石
支笏湖の方から来たイシジンだったのでしょうか?
白丸の模様?
手前の丸いくぼみは何でしょうか?
裏側
後ろにも白い丸
手前の石はメンヒルの囲いだったのかな?
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神社内のへこんだ所。千歳市のキウス周堤墓を思い出しましたが、土俵があった所でしょうか?
あちこちに倒木がありました。
拝殿
向かい合ったハト。八幡関係の紋だそうです。
右側に片付けた倒木があります。
元はやわらかかったと思われる石
境内から見た鳥居
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地球の謎解き さんより
小さなストーンサークルと、パレスチナの宮殿のシンボルマーク?の意味を聞いて寝た。
「小さなストーンサークルの意味を知らせます。
これはイシジンが、このようにしてできるということを知らせたのです。
すなわち、地面にもイシカミがいたということです。
(イシカミの身体が床になり、カマクラのような中でイシジンが発生したということ)
そのように下になったイシカミの原子が、周りから集まってきて、イシジンとして立ち上がったことを知らせています。
ストーンサークルでなく、単独の石 (スタンディング・ストーン) もそのこと (イシジン) をあらわしています。
石組の小さなものは (ドルメン*) は、小さな動物が発生するのにイシカミが囲いを作り、エネルギーを与えたのです。
小さなウサギや狐になる原子は、何もない空間であらわれることは嫌だと言ったのです。
大きな山羊や鹿は空間に発生してもこわがらなかったのですが、小さな動物は怖がったのです」
*)ドルメン=テーブル状の巨石
小さな動物がこの中で発生したそうです。
これはイシジンが氷のカマクラの中のように、床にイシカミがいて、その一部が立ち上がってイシジンが生まれたということを知らせている。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/special/ukfr2005/pict0060.jpg
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#)読者の方のイメージ、掲示板より
“昨日はイメージで石切神社の広い境内にストーンサークルが現れました。
もしかして本当にそこにあったのかなと思うと、あちこち無造作に置かれている岩もそれだったかも、、、。”
ストーンサークルはあちこちに本当にたくさんあって、権力者はイシカミを封印したいのと、人々も耕作に邪魔なために、後年の人がサークルを壊して動かしたために、ただの石になったと思います。
(と書いていると、右腰にチクチクとサインあり=「本当のことです」と)
【追記】掲示板より
「四国や九州あたりの田舎の田んぼに、このような立石が所々あるのを見かけたのを思い出しました。
田んぼの真ん中にあり、農作業をするには邪魔だろうなと不思議に思っていました。
動かすとたたりがあるとか、天気が悪くなるとか言われているのかもしれませんが、ひょっとしたら昔ストーンサークルなどがあったのかもと、今思いました」
ソラ辞典 より
手や足、耳など身体の一点の痒みや痛み、目のごろごろ感、歯の違和感、など。
ソラのものやイシカミ、イシキなどからの合図。
銀河系の中心はこの星座の方向にある。宇宙で一番最初に作られた星で、地球から遠く離れていたが、星の戦争時王様が地球に降りてきて戻れなくなったため、女王が王様を捜しに来る。女王も戻れなくなったため、射手座のものも全て降りて来た。降りて来る時に人間を連れてきて、人間が生きていくために山や川を作り、あらゆる知恵を授けたり、いろいろな食べ物をソラのものと共に作ってくれた。扁平の星で引力がなく半物体の巨体のイシカミも自由に歩けて、皆仲良く暮らしていたと伝えられた事もあるが全く定かでない。
射手座は複数の星が集まっているが、イシキの似たモノ同士が集まるようで、どの星から来たということは出来ない。
三次元的な星はあまり意味が無く、大きな星には大きな意識体が集まり、人間に対して強力な支配力があったが、名のない星たちは集合体であるがとても力が弱い。
射手座の中でもオメガとゼータの一部は他のイシカミと同じように山になるも、ほとんどはイシキだけ降りてきて、支配星の仲間になった。
三重県の菰野町の御在所岳になった。射手座の王様が星の戦いで行方不明になったので、地球に探しに来た。 女王は山のように大きく柔らかな餅のような身体で、その中に人間を入れて地球に連れて来た。 女王と人間は無事に地球に着いたが引力で思うように動けず、その柔らかな身体はぽたぽたとしずくの様に落ちていった。(落とし物) その落し物から作った五人の子どもがイシカタ山・石巻山・石鎚山・富士山(シラ山)・青葉山。
大昔、射手座から降りてきたいわば宇宙人、お腹に人間を入れて降りてきた。射手座にいた頃は、三次元の生物ではなく所謂‘意識体’だったが、人間を作った時に自分達も三次元の形になって一緒に下りて来た。大きさは様々だが山のように大きいイシカミもいた。とろとろのお餅のような身体で、引力によって身体からぽたぽた落ちた物が落とし物と呼ばれている。落とし物から分身の子供達を作り、人間の為に食べ物や川、山を作った。またピラミッドで宇宙のエネルギーを得たり引力を放散したりしようとしたり、いろいろな奇岩を作りサインとして残した。当事の人間はイシカミの存在を知っておりテレパシーでコミュニケーションをしていたが、今では人間の意識が薄くなりごく一部の人にしかその能力が残っていない。
石はイシカミの分身であり、意識を持ったイシジンで、人間を創るために輪になって、イシジンから分解した原子たちが、真ん中に集まるとエネルギーを送り込んだ。
人間誕生を【ソラの検索】で見てください。
石で丸く形取っているもので世界中にあり、イシカミが丸かった事をあらわしている。イシカミが人間の為の食べ物を与えてくれていたので、食べ物を与えてもらうためにこれを拝んでいたとも言われた。イシカミはテレパシーで会話をしていたため、世界中の人間に教える事ができたようである。
ソラの人間誕生に詳しく書いています。
イシカミの一番小さい分身で、人間と同じ形のものや、色々な形、羽のあるもの、頭だけの天使などがいた。
モアイ像、石像などはそのままの形で残っているのある。
人間が発生した時、世話をしていた。(2006年)
イシカミは石の成分ですが、意識を持ち、あらゆるものに変化することができるのは、原子を会話し、指示を送ることができたからです。
そのイシカミの成分でできた人間型分身で、ヨーロッパなどの石像、日本などの木像をあらし、その記憶を持ったイシカミの原子がストーンサークルなどの中で、イシカミのエネルギーをもらって人間になった。
人間型になる前は、石、石柱、銅鐸、埴輪などいろいろなものになり、人間を指導、世話をしてきた。
その他イシジンの記憶を持つイシカミの原子が分解し、モザイク画や絵にまでなった。
ミケランジェロなどはイシジンで、原子に指示をするだけであのような立体的な絵がかけた。
まだはっきりとわかっていないが、いわゆる英雄はイシジンの能力を持っていた超能力者であったと思われる。
2009年4月24日追記
人間型のイシジンの原子が分解し、ストーンサークルの中や、石箱の中で人間として原子が結合した。
その時にストーンサークルや石箱からエネルギーが出ていた。
#)これまでイシジンと言ってきたのは、ヨーロッパなどの石像がかっては動いていたことを知らせるためだったようですが、日本の場合は”ツチジン=土人“と呼んでほしいそうです。 日本にたくさんある円墳から、人間のような意識をもった胴が短くて手足の長いツチ人がまず出てきて、それらが分解してストーンサークルで人型に具現化したようです。
けれどもその後大陸から来たリュージンの化身のヤマト一族に土着民でありながら土蜘蛛など言われて滅ぼされたそうです。
その分解したのが、土や食物になり、それが分解されて意識を持った原子の雲となったので同じ名前”クモ“と呼ぶそうです。
前方後円墳のような形の小山の上にある、ヤマトに滅ぼされた土蜘蛛が封印されていたようです。
周りには、ハート形のクローバーが生えていました。
サンカと同じように里に定住せず、穴蔵などに住んでいた様子からこのように呼ばれた人達。ヤマトの権力者に歯向かうもの達(ヤマタイコクの子孫?)
村に定住せず山や河原で住んでいた人たち。ヤマタイコクの子孫もいた。
山台国と書き、四国の高原にあったと言われる。大国主とヒミコが土着民の少ないこの地に住み着き、イシカミからいろいろな食べ物や知恵を授けてもらって、集まって来た多くの人々と平和な国を築いていたが、後に、ある者(ジンム)に攻められ焼く尽くされてしまう。ヤマタイコクの子孫が、今日まで虐げられてきた被差別の人たちや、サンカと呼ばれる人たち。
ヤマタイコクが滅ぼされた時、そこの国民に入れ墨をつけ奴隷としてヤマトへ連れて行き、田を作らされては取り上げ差別し続けたと言われる。被差別の住民こそ、誇り高き優秀なヤマタイコクの子孫と知らされた。
サマルカンドで大国主と一緒になり、日本に来る。イシカミの声が聞こえ、文字を作ったり織物を織ったりして、大国主と供に四国にヤマタイコクを作る。娘とタケルノミコトの2人の子供に恵まれ幸せに暮らしていたが、ある者(ジンム)に攻め滅ぼされ自殺をする。
大国主とヒミコとの子供でタケルノミコトの姉。ジンムがヤマタイコクを襲ってきた時、ひそかにイシカミの声に導かれ星原に逃れる。そこでノアの息子と出会い一緒になり、山彦、海彦、女の子に恵まれ由良で幸せに暮らしていたが、ジンムにさらわれ、ニニギノミコトを生まされる。由良に戻ったが子供達は殺されたり行方不明になっていたため自殺をしようとするが、再びヤマトへ連れ戻されそうになり、スセリ姫が身代わりになってくれたために隠岐の島に逃れ、そこで父親の大国主に出会い最後まで一緒に暮らす。この話がテレパシーで伝えられ「山椒太夫」となった。名前は「イト」と知らされる。(海彦と女の子は養子)
大国主とヒミコの長男。ヤマタイコクの若者の裏切りにより、幼い頃ヤマトのある者(ジンム)の所へ連れて行かれ、そこでニニギノミコトと兄弟のようにして育つ。ある者(ジンム)の命により出雲へ征伐に行くが、自分の討った者達が実の父親(大国主)の部下であった事を知って絶望し、イシカタヤマで自殺する。(猿投神社)
「何もない」と言う意味。ノアの洪水のノアでもあり、支配星に支配された悲惨な人間の世界を見て、世界中のイシカミ達が一斉に泣いた為に大雨となった。イシカミの声が聞こえた真面目な人をノアとも言って、何組ものノアがいてその内の一組の親子が日本に漂着した。ノアの父親は言葉がしゃべれず、ある者(ジンム)に追放され石川県で放浪の末、死ぬ前に「モーゼ」と言って亡くなったため、現在押水町に「モーゼの墓」がある。(エジプトのモーゼではなく、名前をもらったと言われる。)
巨大なイシカミが大泣きして「ノアの洪水」が起こり、その時、一組のユダヤ人のノアの親子が日本に漂着し、イシカミの言葉に導かれ星原にたどり着く。そこで、ある者(ジンム)から逃れて来たヒミコの娘に出会い、山彦、海彦、女児をもうけるが、ある者(ジンム)が襲ってきて捕らえられ、籠舟に乗せられ海に流され富山に流れ着くが、最期は大江山で惨殺された。名前は「ムウラ」と知らされる。
ある者(ジンム)と、誘拐されて来たヒミコの娘との子どもでタケルノミコトと兄弟のようにして育つ。乳母から石物語を聞かされていたため、ある者(ジンム)の怒りを買い、イソナへ行かされる。それを抗議した恋人のウネメも乳母と同じように股を刺されて亡くなる。父親に不信感を持つ。生前の希望により、ノアの息子の一部が眠るイセに葬られる。
(以前、ニニギノミコト=ジンムと書いていましたが、騙されていたようでそれからは一貫してある者=ジンムとしらされています)
ヤマト地方の小さな国の権力者であったが、ヤマタイコクを攻め滅ぼし、大国主を出雲に追放し、ヒミコに入れ墨を入れ自殺に追いやる。タケルノミコトの義理の親。ノアの息子を惨殺し、ノアを追放する。ヒミコの娘を強引に由良からヤマトに連れてきて監禁し、子供(ニニギノミコト)を生ませる。悪徳の限りを尽くし、悪事がばれないように文字を禁じ、逆らう者は徹底的に滅ぼし、自分の都合の良い神をも作ったと伝えられた。
ジンムとも言う。
リュージンの化身で、ワニの頭で肉体は人間で、着物を着た絵がモデルと。
イシジンのころは動物と人間の合いの子がいた。
イシキに命令をし、支配する事。(現実とは違う場合がある)宇宙の法則は【支配してはならない】ということ。人間を思い通りにしようとする支配星の意識。ある人間の意志、命令で他の人の思考や行為を思い通りにしようとする事。
2003年。
これまで”オニ”と書いてきましたが、オニはイシカミの分身=巨人が首の後ろにお汁を吸う管や、テレパシーを受けやすいように大きな耳などを角と間違え、オニにされていましたが、一番地球を支配したのを【支配星に支配された者】としました。
恐怖の想念をエネルギーとする、プレアデスやその部下は地球に近い大きな星のグループで、強い力を持ち、星の戦争後から1998年まで地球を支配していた。宇宙の大元の弟が陰で操っていた。その想念や、これに支配されていた人間の事も示す言葉で宇宙の大元がつけた名前。ヘビ、ワニ、龍神などに象徴される。イシカミのように彼ら自身は三次元の生き物として地球に降りてきたのではなく、それらの生き物を地球に送りイシカミを苦しめた。アンドロメダやケンタロウス等の部下がグレイを使い残酷な事をしていた。最近ではプラスとマイナス、光と闇といった相反する概念と善悪の概念を同一視させるなどの巧妙な手法で、他者への支配を正当化しようとした。イシカミが人間に対し善の概念のみを入れたが、支配星がその意識を改造した。
2006年8月16日追記
支配星を支配していたのは、外宇宙(=ヘビ使い座)のものたちであった。
外宇宙 (=ヘビ使い座)
私たちの住む銀河系以外の宇宙。こちらの宇宙が面白そうなので、支配星のプレアデナイ(プレアデス)などを裏で操って、地球を支配していた。宗教を教え、権力者などにエネルギーを与え、人間を争わせていた。
ヘビ使い座の王のイシキは日蓮、池田大作、ヘビ使い座の女王のイシキは神功皇后、観音、池田カネコと関係があり、ヘビ使い座の王のイシキは池田大作に、ヘビ使い座の女王のイシキは池田カネコが横向きの稲妻(http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20060612170718)でエネルギーを与えていた。また、ヘビ使い座の王の妹のイシキは、出口ナオ(出口ナオ参照)で、オームの麻原などもヘビ使い座のイシキと関係していた。
【追記】2012年6月17日追記
この当時外宇宙と書いていますが、ヘビ使い座の女王が嘘をついていたのです。
外宇宙=ヘビ使い座です。
この舌を出したビジョンが最近知らせてきました。
舌の模様。ヘビ使い座の二枚舌 参照
プレアデス=スバルのことで、1998年まで地球をした支配星。
特にこの女王が強力な星の力を発揮し、人間を支配していた。
女性的で華やかな事が好きな星の意識であるが、反面非常に残酷で冷たく、地球で霊の地獄を作ったと伝えられた。
特にこの部下の星は非常に残酷であり、インディゴチルドレンとして送り込んだ子供が殺人などを起こすと伝えられている。
ネコ科のネコやライオン、トラ、ピューマやイルカ、ワニなどを送り込んだ。
なぜプレアデスを【プ・レア・デナイ】と書くかと言うと、
プーと吹いて、レア=焼く、デス=死
と言う意味があり、言うことを聞かないとこのようにすると、イシキに絶えず脅かし、自己暗示させていたので、この情報では一貫してプレアデナイと書いています。
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プレアデナイの星はいろいろな星の集合ですが、女王が余りに極悪だったので、全てのプレアデナイのイシキが悪と思われていましたが、中には地球のために働いたのもいました。
支配星が作った半物質の仮想の動物。人間(の生きようとする魂)を食べて仕方がないので、ソラのものが龍の身体を短くしてイノシシに変えたと言う。その猪が豚に変わったので、イスラムでは食べない。昔は龍神に人身御供をさせ、雨乞いなどをさせ、人間生活が退屈で仕方がないので、争いを起こしてそれを楽しんでいた。人々が龍神を神の化身として崇めるので、未だにその想念がエネルギー体として争いを起す作用している。SARZは中国系に多いのは、龍神をいまだ国単位?で信仰しているために、ソラのものがウイルスを送り込んで知らせていると伝えられている。
5月12日。石狩市のマクンベツ湿原の水芭蕉を見ました。
5月の連休くらいから咲いているようです。
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地球の謎解き さんによると、白い水芭蕉は白血球をあらわすそうです。
ソラ生物辞典 より
赤血球をあらわし、白い水芭蕉は白血球をあらわすと。
白い水芭蕉はたくさん見るが、赤い水芭蕉が少ないのは、ザゼンソウと呼ばれるのが嫌だからと。
熱い温度 = 赤い水芭蕉(ザゼンソウ) は花が咲く時に25,6度の熱を発する。
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植物を撮るのは難しいですね。
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土筆がありました。北海道の土筆はあくが少ないと聞きました。
1月1日上川郡新得町。
新得町(しんとくちょう)は、北海道十勝総合振興局管内の上川郡にある町。
町名の由来は、アイヌ語の「シットク・ナイ」(山の肩、端)から。また、アイヌ人が用いる酒造のための漆器を「シントコ」といい、これを作るための土地だったとも言われる。
地理
十勝総合振興局西部の山間に位置し、南北に長い地形。十勝川最上流に位置する。町の大半は高山地帯で、北部は2,000 m級の山岳を多く有する森林地帯。町南部は丘陵地帯で、ソバ畑がひろがる。
南東部の平野中央に佐幌高台が南北に横たわり、西部に新得市街、東部に屈足市街がある。
町面積は北海道内では足寄町、別海町、標茶町に次ぎ、全国の町村で4番目に広い。
北海道の断面一次モーメント上の重心に位置する。重心の位置は、北緯43度28分2秒東経142度49分40秒。
特別豪雪地帯で、冬季積雪が多くなる。
パンケ新得川。たぶん鴨。
凍りかけた川を泳いでいました。
ゆっくりと上流に向かっています。
ぼけていますがヒヨドリ。
新得山
山が青い。
曇り空でもきれいに見えていました。
JR新得駅で特急トマムサホロスキーエクスプレスのノースレインボー車両を見ました。
こちらに詳しく載っています。
12月31日河東郡音更町の散策をしました。
晴れて十勝の山がきれいでした。
音更町(おとふけちょう)は、北海道十勝総合振興局管内にある町。十勝総合振興局の中心部に位置し、帯広市の北に位置する。北海道の町で最も人口が多い。
町名の由来は、アイヌ語の「オトプケ」(毛髪が生ずる)より。「川の流れが乱れた髪の毛のようだったから」という説と、「河川に密生する柳の様子が髪の毛のようだったから」という説が存在する。
十勝川温泉に代表される、モール泉が湧出する。
NHK・民放各局のデジタルテレビ・FMラジオの帯広送信所が音更町にあることは、余り知られていない。
○地理
十勝総合振興局のほぼ中央に位置、十勝川をはさんで帯広市北部に隣接。 町のほとんどは平野で、東部のみ丘陵地帯。
河川:十勝川-音更川、-然別川-矢部川、-士幌川
○気候
典型的な内陸性気候で、冬の冷え込みは非常に厳しく、-25度以下になる日も多い。2000年1月27日には-32.1度を記録している。
桜の木にキノコが生えていました。
10月8日に窓岩観光クルーズに行きました。
最初は船の方のお勧め通り、クルーザーの上に。海がきれいです。
小樽マリーナから窓岩クルーズへ。海がきれい。波しぶきあり。
これがクルーザー初搭乗。内海は静かでした。
外海に出てから、カッパを着せてもらいました。
船の下へ移動しました。オタモイ海岸より手前は木が生えているそうです。
外海は風が出てきて揺れました。海が緑色。
揺れるクルーザーから撮るのは難しい。
岩に白い筋が入っています。
オタモイ海岸の遊歩道は崩落のため通行止めだそうです。今は船からしか見れないとか。
カメラに波しぶきがかかります。
窓岩。
途中にあったつるかけ岩は、多数のオーブがこれでもかというくらい写りこんでいたので掲載できませんでした。
窓岩の左側には全長20mの洞窟があります。
左側と右側の間が洞窟だそうです。
こういう岩を砂岩というのでしょうか。
小さな石が包まれてできたような岩。フゴッペ洞窟の岩と同じです。
右が窓岩。
波が静かな時は透明で海の底が見えると教えてくれました。
窓岩の中のアップ。
窓岩から小樽マリーナへ戻るところ。揺れます。
画像では見えませんが、波しぶきに虹が見えていました。
海から見たオタモイ海岸は岩でしたが、赤岩の方は木が見えます。
海の色が緑から青に変わってきました。
赤岩の下の方は白い岩もあるようです。
わかりにくいのですが真ん中、上の方に赤岩の窓岩があります。
赤岩はロッククライマーの聖地だそうで、遠くからもいろんな岩が見えました。
右側に赤岩の窓岩があります。
赤岩
左の岩がトド岩、右が日和山灯台です。日和山灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月」のラストシーンの舞台になったそうです。
トド岩。揺れる船内でカメラを落としそうになりました。海に出る漁師さんはすごいですね。
時速45kmだそうですが、もっと速く感じました。
波が静かになってきました。
雲が浮かんでいます。
8月、白ひげの滝の次に青い池に行きました。駐車場には乗用車が多数、修学旅行のバスもありました。
昭和63年12月に十勝岳が噴火後、北海道開発局は火山災害から美瑛町を守るため、火山泥流を貯める施設として、早期に工事の完成が可能なコンクリートブロックによる、えん堤が平成元年6月に着手され、同年の12月に完成、その結果、ブロックえん堤に水が溜まり、いつの頃からか、「青い池」とよばれるようになりました。写真のように青く見えるのは、白金温泉地区で湧出している「白髭の滝」などから、アルミニウムを含んだ水が流れてくるこの水が、美瑛川の水と混ざると目に見えないコロイドが生成されます。
太陽からの光が水中のコロイド粒子と衝突し、色々な方向に散乱され、コロイド粒子が、光の散乱を促し、波長の短い青い光が散乱されやすいため、その光が私たちの目に届き、青く見えると言われております。
但し、水が青く見える原因について、過去に水質調査がされておりますが、明確な原因については解明されておりません。十勝岳噴火後、自生した白樺のように、予期せず生み出された自然現象から生まれた神秘な場所です。
今では、青(碧)い池の中でカラマツなどの木が立ち枯れていている景色が幻想的に見えることから、カメラマン等から口コミで広がり人気になったスポットです。
幻想的な風景です。カラマツの林だったのでしょうか。
場所を移動して撮影していますが、珍しい色ですね。
池に映る白い雲と青空が印象的でした。
池の中の木は枯れているのだそうです。
川の近くになると薄い青色になります。
美瑛川の所々が青く見えます。
やっぱり不思議ですね。
8月に行った北海道美瑛町の白ひげの滝。地下水から吹き上がる水が流れているそうです。
白金観光センター案内所の駐車場に車を置いていきました。
びえい白金温泉観光組合のHPより
「国内有数の地下水から湧き上がる水が、勢いよく白金小函の渓流に流れ落ち、コバルトブルーの澄んだ川がしぶきを上げている。上流ではイワナ釣りが楽しめる。」
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川の水が青く見えます。
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下流の川の水も青。
雲に目が・・・
滝のアップ。透明な水がたまると青色に見えます。この水が青い池に流れていくのかな?