私は20代後半から6年間ほ老人病院のリハビリ室で働いていとことがあります。その病院では、元気に退院する人はまず無く亡くなって退院して行人がほとんどという病院でした。その中でいろいろな人の死をみてきた経験から、老人医療に疑問を感じて職場を離れました。
今、70代となり自分の死を考える年代となり、理想な死に方をしたある人の死を思い出されます。その人は定期的に治療に通って来てくださっていた方で、末期癌で治療と言う治療はせず、ただ痛みをコントロールする事だけを医療に求め、衰弱していく自分の体と折り合いを付けながら日常生活を送っておりました。
ある日その方の知り合いとお話しをする機会があり、しばらくお爺ちゃんと会っていなかったので気になり、それとなく訊ねてみたところ、先日亡くなったとのこと、 驚いて聞いておりましたら、そのお爺ちゃんの最後があまりにも素晴らしく驚かされました。
その亡くなり方と言うのは、ある日死期を悟ったお爺ちゃんは、自分の葬儀一切の手配を難なく行い、家族にタクシーを呼んでもらい自分でまるで診察でも受けに行くように病院の門をくぐりその20分後に亡くなられたそうです。
まるで死亡診断書を書いてもらうために病院へ行ったとしか思えない行動です。本当に全生命を使い切り、まさに生ききった人だと思います。まさに理想的な死に方でした。合掌。
人は産まれ方・死に方は選べないと言いますが、生き方を有る程度選べるように、その延長線上に死に方が有るのではと思います。まさに「人は生きて来たように死んで行く」ではないでしょうか。
今、70代となり自分の死を考える年代となり、理想な死に方をしたある人の死を思い出されます。その人は定期的に治療に通って来てくださっていた方で、末期癌で治療と言う治療はせず、ただ痛みをコントロールする事だけを医療に求め、衰弱していく自分の体と折り合いを付けながら日常生活を送っておりました。
ある日その方の知り合いとお話しをする機会があり、しばらくお爺ちゃんと会っていなかったので気になり、それとなく訊ねてみたところ、先日亡くなったとのこと、 驚いて聞いておりましたら、そのお爺ちゃんの最後があまりにも素晴らしく驚かされました。
その亡くなり方と言うのは、ある日死期を悟ったお爺ちゃんは、自分の葬儀一切の手配を難なく行い、家族にタクシーを呼んでもらい自分でまるで診察でも受けに行くように病院の門をくぐりその20分後に亡くなられたそうです。
まるで死亡診断書を書いてもらうために病院へ行ったとしか思えない行動です。本当に全生命を使い切り、まさに生ききった人だと思います。まさに理想的な死に方でした。合掌。
人は産まれ方・死に方は選べないと言いますが、生き方を有る程度選べるように、その延長線上に死に方が有るのではと思います。まさに「人は生きて来たように死んで行く」ではないでしょうか。