2歳の赤ちゃんが、水も食べ物も与えられなく放置され無くなったという痛ましい出来事が連日報道されています。母親にとって、孫にあたる可愛いはずの存在に対する行動とは考えられません。これでは動物以下いや人間の仕業とは言えません。
ここで2008年4月に当時活動していた、「へそのお音楽会」で講演した内容を紹介したいと思います。
子育て温故知新
昭和20年代までは、今と違って家にはおじいちゃんやおばあちゃんそして兄弟が多い大家族で、お茶の間では家族全員がいておしゃべりと笑顔がありそして、あたたかい飲み物や手作りの食べ物がありました。
そんな環境のもと「母親の実体験をもとにした知恵を他の母親に伝える」という形式の育児情報が中心でしたが、昭和30年代から、「心理学者や医師等の専門家からのアドバイス」という形式に変化していきました。
そんな時代の流れの中で子育てが、知識・常識といったものでがんじがらめになり、本来大切な経験や母から娘へとめんめんと受け継がれて来た知恵が肩身の狭い思いをしており、しいては赤ちゃんに多大な損失を与えているように思います。
そこで今回は、その知恵を少し紹介して一緒に考えてみたいと思います。
子育てで一番大事なことは、親と子の信頼関係を作ること。
お腹の中にいる頃はもちろん大事ですが、生まれてから約13ヶ月の期間は赤ちゃんは、自分の意志を言葉によって伝えることは出来なく、自由に体を動かし危険から自分の身を守ることも出来ません。
赤ちゃんは、お母さんなり周りの人に命を預けているのです。ですから、赤ちゃん自体の一番の要求は基本的に、注意されたい、保護されたいという依存の要求があるのです。
その時期に潜在意識に親子の信頼関係の歪みが生じると、大人になっても意識以前の心の方向として働き続けます。
ではどのようにして育てていったら良いのだろうと言うと、子どもの要求に添って育てることです。その要求に添って育てれば病気になりません。
口のきけない赤ちゃんは生まれながらにして、要求を現すのにいろいろのゼスチャーをしますが、それが通らないと泣き出して、泣き声を言葉に代えますが、もちろんその前にその要求を見て果たさせることが第一です。
その要求が理解出来ずただ泣かせていると、大人を、無理解なる者として信頼しなくなる第一歩となりかねません。
赤ちゃんが泣く主な3つ「お腹が空いた時」(空腹の中には乾きの水の要求もある。)「大小便の出たい時」「体の位置が悪い時」が目安と成ります。
その他に赤ちゃんは感情の動きがまだ発達していませんが、心がない訳ではありません。
それは体の生理的な働きの反映が現れているに過ぎず、大人が自分の頭で作った感情と同じものだと思って、子どもが笑っていると嬉しくて笑っているだろうと考えますがそれは違います。
赤ちゃんの心の動きを丁寧に見て行きますと、「胃袋にガスが溜まると泣き出す」「ガスが動くと笑う」「十二指腸にガスが行くと不安になる」「下痢し続けると絶えず不安になる」「食べ物の量が少なくなると寂しくなる」「病気をする前になると異常に不安になる」というように、感情というのは大体、体にくっついている心の動きです。
ここで生まれたての赤ちゃんの信頼を損ねかねない、最初の入浴についてお話したいと思います。
親のお腹にいた時は37度から37度5分台なのだから、刺激を避けて、まずお湯の温度を37度5分から38度にして入れること。
いきなり40度のお湯につければ熱いから泣く。最初の驚き、最初の恐怖、最初の警戒が生まれ。そのことによって潜在意識に、初めて触れるものにはまず警戒し不安を、もたなくてはならないという考えが入ります。
それは残酷なことです。そこでその他いっさいの泣かすもの、警戒するものをまず取り除く、子ども自身が自分で警戒出来るようになるまで警戒しないで暮らせることが、他人を信頼し、周りを信頼する所以だと思います。
それからもう一つ排尿要求についてお話したいと思います。
いつも赤ちゃんは尿が溜まるそのことが不快で泣きます。けっしておしめが濡れたから泣くのではないんです。
大人はそこのところ勘違いしています。赤ちゃんはいつも尿意で泣いて、その後に濡らしているのです。
それは生まれた最初の日からで、遅くとも一週間も経てばあきらかに濡らす前に泣きます。泣く前に不快な顔をします。
その時そっとおしめをめくってやればしばらくして排尿します。赤ちゃんだって、狭いおむつの中にするより開けて排尿する方が気持ちよいはずです。
そのように要求に応えていれば、尿意の表現を日増しにハッキリさせ、三週間も経てばその時に抱いて排尿させればすぐするようになります。
おしめを濡らすのは親の不注意です。赤ちゃんのせいにして文句を言ったり愚痴を言ったりするから、赤ちゃんは排尿することが悪いことだと思い教えなくなるのです。
要するに赤ちゃんが排尿を教えるのは、尿の溜まるのを不快に感じる生理的要求の本能的表現なのです。
そのように日頃赤ちゃんの要求に注意していれば、排尿の時も判れば、排便の時も判り、食べたい時も判れば暴れたい時も判る。
赤ちゃんは泣くものだと初めから決めておくのはよくありません。泣くのは不快がたかまるから泣くので、要求が直ちに受入れられるようになれば泣かないものです。