キリストは、「人はパンのみにて生きるに非ず」と説いています。しかし、空気を吸い、食べ物を摂ることによって生きれているつもりになっている人が少なくありません。
人は食物を食べ、それを赤い血にし、黄色い糞にし、その赤い血を白い乳にもしながら生きているということを忘れている。
死んでいれば、食べ物を胃に押し込んでもそうはならない。しかるに、食べ物に人を活かす働きがあるのではない、人に食べ物を活かす働きがあるのです。どんなに栄養価の高い食べ物を食べても、それを吸収する力が体になければ、ただ体から出て行くだけです。
そして、人は食べなくても生きては行けますが、空気は10分も吸うことができなければ生きて行くことが出来ません。空気は、端的に生命の原動力かもしれません。
生きるとは、息をすること。その息とは、たんに空気を吸うのではなく、深く静かに息を吸うこと。それにて、虚心平気を保つことこそが、健康に生きるということと感じます。
人は食物を食べ、それを赤い血にし、黄色い糞にし、その赤い血を白い乳にもしながら生きているということを忘れている。
死んでいれば、食べ物を胃に押し込んでもそうはならない。しかるに、食べ物に人を活かす働きがあるのではない、人に食べ物を活かす働きがあるのです。どんなに栄養価の高い食べ物を食べても、それを吸収する力が体になければ、ただ体から出て行くだけです。
そして、人は食べなくても生きては行けますが、空気は10分も吸うことができなければ生きて行くことが出来ません。空気は、端的に生命の原動力かもしれません。
生きるとは、息をすること。その息とは、たんに空気を吸うのではなく、深く静かに息を吸うこと。それにて、虚心平気を保つことこそが、健康に生きるということと感じます。