江戸時代の終わりに菅江真澄はみちのくを旅して「諸国巡遊菅江真澄遊覧記」80巻余の記録を残しました。
それは北東北の民衆の生活ぶり、歴史、風俗、名所、旧跡、景勝地までを詳細にあらわしたものでした。
AKOmovieが「菅江眞澄集」(秋田叢書 昭和7年) を変訳・誤訳・超訳しながら、菅江真澄の足跡をたどって旅をします。
変わったもの、変わらないもの、大切に語り継がれているもの・・・・いつの世も人の心を打つものは同じです。
菅江真澄は今の愛知県東部にあたる三河国(みかわのくに)で生まれました。1783年(天明3年)、30歳のころに故郷を旅立ち、今の長野県塩尻市(しおじりし)を中心に1年余りを過ごしたのち、
新潟、庄内(山形県)から秋田、津軽(青森県)を経て岩手・宮城をめぐり歩きました。
1788年(天明8年)夏、津軽半島から当時は蝦夷地(えぞち)と呼ばれた北海道へ渡り、松前を中心にアイヌの人々の風俗を見聞しました。
4年にわたる北海道の旅を終えたのち本州へ戻り、下北(青森県)と津軽をおよそ8年間にわたって探訪。そして1801年(享和元年)に再び秋田に入ります。この時真澄は48歳でした。
再度の秋田入りから没するまでの28年間、真澄は秋田に腰を据え、1829年(文政12年)今の秋田県仙北市(せんぼくし)で亡くなりました。
76歳でした。生来旅好きであった真澄は、生涯家庭を持つことはなく、また、旅に出てから亡くなるまで故郷に帰ることはありませんでした。墓は秋田市寺内にあります。
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