フランス・パリの週刊新聞社が襲撃されるなどして、多くの犠牲者が出た。亡くなられた方々には、ご冥福をお祈りする。加害者の男3人はフランス国内で生まれ育ったイスラム教徒で、家系はフランスの植民地だったアルジェリアや西アフリカにルーツを持つという。この3人は人質を取って立てこもった後、警官隊によって射殺された。
「朝日新聞」2015.1.11(朝刊)「「国内育ち」テロ 難しい対処」(ヨーロッパ総局長・梅原季哉)の最後には、次のように記されている。
<容疑者の1人が、過激思想に傾くきっかけの一つは「イラク・アブグレイブ刑務所での米軍による虐待」への義憤だったとされる。脅威は確かに存在するが、恐怖に駆られるあまり、根拠の薄い情報に基づく海外での軍事行動や、法の統治を無視した超法規的対応を取っても非生産的でしかない。万能の解決策がないなか、多様性を認め、過激思想を社会の中で孤立化させる地道な戦略こそが求められている。(パリにて)>
こういったテロ事件には、根の深いものがある。特に2001年の「9.11事件」後、米国ジョージ=W=ブッシュ政権は「テロとの戦い」の名の下に、多くのイスラム教徒を公正な裁判もなく超法規的に虐待・拷問・虐殺などしてきた(*「米国のイスラエル化」)。犠牲になった人々の多くは、「テロ」とは無関係だった可能性が高い。
特に2003年以降のイラク戦争は、米国等による「全くの言い掛かり」による侵略(的)戦争であり、この事によってイラク国内はメチャメチャにされ、多くのイラク人(*その多くはイスラム教徒)が犠牲になった(*今でも混乱が続いている)。
イスラム教徒の側からすれば、「仲間が不当に迫害されている」「虫けらのように殺されている」と映り、怒りが蓄積していったはずだ。
こういったイスラム教徒の怒りのベースには、パレスチナ人(*その多くはイスラム教徒)が受け続ける不条理への怒りがあるはずだ。イスラエルがいくら国際法違反のゴリ押しや人権無視の蛮行をやり続けても、米国はどこまでもイスラエルを擁護するため、パレスチナ人の人権は踏みにじられ、虫けらのように殺され続けているからだ。
*「犬(米国)がしっぽ(イスラエル)を振る」のではなく、「しっぽが犬を振る」。この状態は米国の国益を著しく損ねている、とのマトモな指摘も米国内にはある。ジョン=J=ミアシャイマー&スティーヴン=M=ウォルト『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』(Ⅰ・Ⅱの全2巻、2007年・講談社)などを参照されたい。
以上のような事があるからと言って、今回のフランスで起きたようなテロ行為が許される訳ではない。犯罪者を捕まえ、法の裁きを受けさせるのが基本だ。しかし同時に、今回のようなテロ行為を未然に防ぐためにも、世界中のイスラム教徒の「爆発寸前にまで膨れ上がった怒り」を和らげるための努力も必要ではないか。
日本は、「9.11事件」以降、米国が主導する「テロとの戦い」と共にある、との姿勢を取り続けている。しかし、日本には憲法9条という縛りがあるため、これまでは「海外での武力行使はできない」として、本格的な武力行使には踏み込んでこなかった。
しかし安倍晋三政権は昨年、「憲法解釈変更による集団的自衛権の(一部)行使容認」を中心とする閣議決定(2014.7.1)を強行した。政府は今年(2015年)中にも、この閣議決定に基づく各種法整備を行なおうとしている。
米国の現オバマ政権は、海外への武力攻撃に(比較的)抑制的だ。しかし、次の米政権(約2年後)は、情勢変化によっては、中東地域に本格的な武力行使に打って出る、との可能性もあるだろう。
そういった状況下で、「米国と共にある」と宣言する日本が、「海外での武力行使(*集団的自衛権の行使など)」の一部を可能にする法整備を済ませていれば、米国からの武力行使要請を断れなくなるのではないか。しかも、当初は「行使容認」を「一部」と限定したとしても、なし崩し的に拡大(再)解釈されていく可能性も大いにあるのではないか。
このようにして、日本が米国主導の「有志連合」に加わり、イスラム諸国を武力攻撃することになれば、「イスラムの敵」と見なされる可能性が高まるだろう。
確かに、アルカイダや「イスラム国」(IS)のような勢力を封じ込め、弱体化させていく必要がある、と私も思う。しかし、「米国の正義」の側に無条件で立ち、共に諸外国へ武力攻撃に打って出ることが、世界の平和と安定に役立つとも、日本の国民益にかなうとも、とても思えない。
日本は現状では、イスラム諸国からそれなりに「好印象」を持たれ、場合によっては「尊敬」さえされている。せっかくのこの貴重なカードを、「米国とのお付き合い」のために無駄にして良いのか。日本は、欧米先進諸国には無いこの貴重なカードを外交中心に有効に使い、「『テロ』(*イスラム諸国が考える「国家テロ」も含む)の起きない世界づくり」に貢献する道を歩むべき、と思うのだが。
「朝日新聞」2015.1.11(朝刊)「「国内育ち」テロ 難しい対処」(ヨーロッパ総局長・梅原季哉)の最後には、次のように記されている。
<容疑者の1人が、過激思想に傾くきっかけの一つは「イラク・アブグレイブ刑務所での米軍による虐待」への義憤だったとされる。脅威は確かに存在するが、恐怖に駆られるあまり、根拠の薄い情報に基づく海外での軍事行動や、法の統治を無視した超法規的対応を取っても非生産的でしかない。万能の解決策がないなか、多様性を認め、過激思想を社会の中で孤立化させる地道な戦略こそが求められている。(パリにて)>
こういったテロ事件には、根の深いものがある。特に2001年の「9.11事件」後、米国ジョージ=W=ブッシュ政権は「テロとの戦い」の名の下に、多くのイスラム教徒を公正な裁判もなく超法規的に虐待・拷問・虐殺などしてきた(*「米国のイスラエル化」)。犠牲になった人々の多くは、「テロ」とは無関係だった可能性が高い。
特に2003年以降のイラク戦争は、米国等による「全くの言い掛かり」による侵略(的)戦争であり、この事によってイラク国内はメチャメチャにされ、多くのイラク人(*その多くはイスラム教徒)が犠牲になった(*今でも混乱が続いている)。
イスラム教徒の側からすれば、「仲間が不当に迫害されている」「虫けらのように殺されている」と映り、怒りが蓄積していったはずだ。
こういったイスラム教徒の怒りのベースには、パレスチナ人(*その多くはイスラム教徒)が受け続ける不条理への怒りがあるはずだ。イスラエルがいくら国際法違反のゴリ押しや人権無視の蛮行をやり続けても、米国はどこまでもイスラエルを擁護するため、パレスチナ人の人権は踏みにじられ、虫けらのように殺され続けているからだ。
*「犬(米国)がしっぽ(イスラエル)を振る」のではなく、「しっぽが犬を振る」。この状態は米国の国益を著しく損ねている、とのマトモな指摘も米国内にはある。ジョン=J=ミアシャイマー&スティーヴン=M=ウォルト『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』(Ⅰ・Ⅱの全2巻、2007年・講談社)などを参照されたい。
以上のような事があるからと言って、今回のフランスで起きたようなテロ行為が許される訳ではない。犯罪者を捕まえ、法の裁きを受けさせるのが基本だ。しかし同時に、今回のようなテロ行為を未然に防ぐためにも、世界中のイスラム教徒の「爆発寸前にまで膨れ上がった怒り」を和らげるための努力も必要ではないか。
日本は、「9.11事件」以降、米国が主導する「テロとの戦い」と共にある、との姿勢を取り続けている。しかし、日本には憲法9条という縛りがあるため、これまでは「海外での武力行使はできない」として、本格的な武力行使には踏み込んでこなかった。
しかし安倍晋三政権は昨年、「憲法解釈変更による集団的自衛権の(一部)行使容認」を中心とする閣議決定(2014.7.1)を強行した。政府は今年(2015年)中にも、この閣議決定に基づく各種法整備を行なおうとしている。
米国の現オバマ政権は、海外への武力攻撃に(比較的)抑制的だ。しかし、次の米政権(約2年後)は、情勢変化によっては、中東地域に本格的な武力行使に打って出る、との可能性もあるだろう。
そういった状況下で、「米国と共にある」と宣言する日本が、「海外での武力行使(*集団的自衛権の行使など)」の一部を可能にする法整備を済ませていれば、米国からの武力行使要請を断れなくなるのではないか。しかも、当初は「行使容認」を「一部」と限定したとしても、なし崩し的に拡大(再)解釈されていく可能性も大いにあるのではないか。
このようにして、日本が米国主導の「有志連合」に加わり、イスラム諸国を武力攻撃することになれば、「イスラムの敵」と見なされる可能性が高まるだろう。
確かに、アルカイダや「イスラム国」(IS)のような勢力を封じ込め、弱体化させていく必要がある、と私も思う。しかし、「米国の正義」の側に無条件で立ち、共に諸外国へ武力攻撃に打って出ることが、世界の平和と安定に役立つとも、日本の国民益にかなうとも、とても思えない。
日本は現状では、イスラム諸国からそれなりに「好印象」を持たれ、場合によっては「尊敬」さえされている。せっかくのこの貴重なカードを、「米国とのお付き合い」のために無駄にして良いのか。日本は、欧米先進諸国には無いこの貴重なカードを外交中心に有効に使い、「『テロ』(*イスラム諸国が考える「国家テロ」も含む)の起きない世界づくり」に貢献する道を歩むべき、と思うのだが。