娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

昔のアルバイト(タイヤのテスト偏)

2006年06月01日 08時22分49秒 | アルバイト
首都高速の道路掃除のアルバイトの次はタイヤのテストをするアルバイトを始めました。
テストといっても、サーキットや専用のテストコースで行うのもではなく、普通の
道をひたすら走り続け、テスト期間終了時にアンケートや、感想等をレポートする
アルバイトでした。

勤め先は、運送会社でしたがタイヤのテストを専門に行う部署があり、そこで
タイヤメーカーが試作したタイヤを車に付け、摩耗テストや乗り心地、レスポンス等の
データをとるアルバイトです。

試作品なので、実験段階であり販売までには更に開発が行われ、摩耗具合でタイヤ材料の
配合や溝の形状などが常に変更されていました。

私たちは、車を運転するだけですが2週間毎にタイヤメーカの設計部にテストタイヤを
持ち込み、チェックを受け、結果によってはテスト中止となる場合もありました。

試作タイヤは、大衆車用から4tトラック用までいろいろなものが開発されていて
そのタイヤの対象となる車に付け、1ヶ月半の期間で4万キロを走る仕事でした。

1日の走行距離は1千キロで、3交代で休み無く1日中走りこれを40日繰り返します。
走るルートも決められていて、車内にはタコグラフ(運行データの記録)が取り付けられ
高速道路担当は500キロ、一般道路担当は300キロ、山坂道担当は200キロの
合計1千キロになるコースに設定されてました。

テスト期間中の仕事は決められたコースを決められたスピードでただひたすら走るのみで
100キロ毎に、タイヤの空気圧と亀裂の有無等決められた項目をチェックシートに記入するという楽な仕事でした。

会社には常に3~5台くらいのテスト車があり、次から次に違う車が入ってきて
その度に新しい試作タイヤを付け、同様なテストを繰り返します。
車は好きな方だったので、いろいろな車に乗れたのはとても印象的でした。
1年のアルバイト期間で、20車種位の車に乗ったと思います。
覚えているだけでも、サニー、セドリック、ローレル、クラウン、ソアラ、カムリ、
スカイライン、等々、トラックも1t車、2t車、4t車で市販車の全ての
クラスに乗ったと思います。

私は、ほとんど一般道の担当で深夜の受け持ちでしたが、他の車種を受け持つ人が
休みの時はその人の分まで走ることがありました。
その時は16時間で高速道路500キロ、一般道300キロの合計800キロとなり
さすがに疲れたことを覚えています。

一般道路は、京葉道路で千葉市まで行きその後、東金、茂原、大滝、勝浦、九十九里まで行って引きかします。
山坂コースは、京葉道路で千葉市まで行き、木更津、牛久、養老渓谷を回って引き返し、
高速道路は、東名高速の由比まで行って引き返します。

ただひたすら走る仕事なので楽ではありますが、半年もやると飽きてしまい更に体調が
悪い時は運転するのも辛く感じ、居眠り運転の状態もありました。
このアルバイトは常に事故と隣り合わせで、運転の仕事は車好きというだけではつとまらず、体調の管理が大切だと言うことを痛切に感じました。

それでも、最新の車に乗れるのは気持ちが良く特にクラウンなどは、3000ccの
ロイヤルサルーンGがテスト車になった時にはその車の作りの良さに感心しました。

エアサスの良さ、エンジンのスムーズさ、車内の静粛性、どれをとってもそれまでの
車と次元が違い、自分でもこの様な車が欲しいと思ったものです。

ソアラなども当時としてはかなり高価な車で、そのエンジンパワーにびっくりしました。
省エネと無縁のツインターボのパワーはとても爽快で、スタートダッシュでおもしろ半分にアクセルをかなり踏み込んで走らせた思い出があります。
スカイラインのRSターボも速い車で楽しい思い出があります。

とは言っても、全ての車にタコグラフが付けられていて一般道は60キロが最高ですが。

これらのテストは、全て定員乗車の設定をするので、乗用車の場合は4人分の砂袋を積み
トラックの場合は積載量に見合うコンクリートブロックを積みます。

一般道でのテストの最中、何度かパトカーに止められたことがありました。
聞いてみると一人しか乗っていないのに、車体の沈み込みが激しく不審に思って
止めたということです。
車内には、各座席に見慣れない砂袋が積んであり、かなり不審に思っていたみたいで
仕事の説明をしましたがそれでもうさんくさいと感じたらしく、更に会社に確認をとり
やっと判ってくれました。
警察官も、「ふーん、そんな仕事があるんだ」という顔をしていたことを思い出します。

1tトラックは走る凶器みたいなもので、古めのダットラに1tのコンクリートを載せ
て走りましたがこれは常にヒヤヒヤものでした。

トラックといっても、エンジンは非力で、ブレーキも利かず、ハンドルを回したとたん
横転するのかと思うくらい車体が傾き、死ぬかと思ったことが何度もありました。
山道のタイトな下り坂で、止まっている前の車に追突しそうになった事は今でも思い出すとぞっとします。

2t、4tクラスは、発進時は亀みたいですが、フル積載をしてもブレーキの性能は良く、エアブレーキを使えば死ぬ思いをするようなことはありませんでした。
4t車は意外と好きで、車内の広さ、目線の高さ、等が気に入って更に車幅感覚が
身に付いたおかげで、その後の運転にかなり自信が持てるようになりました。

このアルバイトの時給は意外と良く1000円くらいだったと思いますが、当時は私も
若くまた、運転が苦にならない年だったのでやっていけたと思います。
今はそのような、ずっと神経を張りつめていなければならない仕事はとても無理だと
感じます。

それでもたくさんの車に乗れたことは今でも良い思い出となっています。


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