入院してはじめてわかる健康の有難さ。 私の入院経験は正確には2回目です。 一度目は、1歳をちょっと過ぎた時に階段から落ちてしまい 鎖骨を折ったときです。 もちろん記憶がないので、物心がついてはじめての入院です。 そして、入院する当事者となってわかるのはやっぱり健康の有難さですね。 . . . 本文を読む
私、霊感とか超能力の類はあまり信じないのですが、
普通に食事をしているときに横のほうで誰かが
横切ったと思うことがあります。
視界に入らないので見えるものでは無く
なんとなく誰かが通ったような感じ、という
ものです。
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この前の土曜日、母の一周忌を行いました。 早いもので一年です。 限りなく質素に行いたかったので、母の兄弟夫婦と、私たち兄弟夫婦が集まり 10人程のこぢんまりした一周忌となりました。 . . . 本文を読む
早いもので母が亡くなってから、来月で一年経ちます。 来月は墓前でささやかに親戚と兄弟夫婦で法要を行います。 本当に月日の経つのは早いですね。 母の看病をしながら過ごした3ヶ月の思い出はまだはっきりと思い出すことが出来ます。 そして息を引き取る数日間のことも昨日のことのようにはっきりと憶えています。 . . . 本文を読む
娘とDSで遊んでいる時、DSの内蔵カメラで今までに撮った写真を見せてくれました。 自分の顔や私の顔、友達や親戚の顔を撮ってはそれに落書きをしたり、変形させて 保存してありました。 何枚かの面白い写真を見ていると、娘の隣に虹色でボールのようなものが描かれており、 このグルグルしたものは何か聞くと、“それ、おばあちゃんの魂だよ”と答えます。 . . . 本文を読む
いざという時のために身の回りを少しでも整理しておきたいと思ってのことでしょう。 隠居生活の1年は、特に治療を行わず定期的に病院で検査を受ける程度で、足腰も 年相応に弱っているものの普通に歩くことが出来ました。 バスや電車も不自由なく乗り、大病を患っているとは本人以外判らない生活を送って いましたが、去年の5月からは身体に変化が現れ頻繁に腰や背中の痛みを 訴えるようになりました。 . . . 本文を読む
母が亡くなって5ヶ月経ちます。 不思議なことに、月日が流れるほど母の思い出が甦ってくるような気がします。 母が元気だった頃、私たちと母を含め4人で2泊の旅行に行った事がありました。 サファリパークや日本ランドで遊び、その後近くのホテルでゆっくりし夕食を豪勢に 食べた思い出があります。 娘が幼稚園に入る前だったので6年程前だったと思います。 . . . 本文を読む
母が亡くなってから3ヶ月が経ちました、息子であっても、人とは現金なもので母を 偲んで毎日を送ることは特にないこの頃です。 母が健在の頃はある意味緊張感というものがあって、それは病状の変化に神経質に なっていた事でした。 病状の変化が本来の骨髄腫の進行によるものか、飲んでいる薬の副作用よるものか 解らずに悩んだこともありました。 . . . 本文を読む
あまりにも対応がひどいので帰り際、事務所に寄ってクレームを言ってきました。 ちょっと上のポジションの人に医師の名前や、やる気のない態度を伝えると 申し訳なさそうにして丁寧に謝っていました。 職員や看護士はとても優しく、病院自体も歴史を感じ趣がある建物であっただけにとても 残念な思いで帰ってきました。 . . . 本文を読む
母が亡くなる1年前から、特に半年はいろいろな病院に行く機会があり、当然の ことですが病院によって患者への対応はずいぶん違うものと感じました。 生前、母がウィルス性腸炎にかかり、掛かり付けの病院に緊急入院することがありました。 数日間、下痢と吐き気が治まらず食欲も無いので体力は限界にきていた母でした。 心配になり、本来なら掛かり付けの病院で診てもらいたかったのですが隔週休診の 土曜日に当たっていました。 . . . 本文を読む
母が亡くなってから2ヶ月経ちました、実家の整理はほぼ終わり、残ったものといえば わずかばかりの思い出の品です。 今になって思うのですが、この数年の写真やビデオがほとんど無いことがとても残念です。 多発性骨髄腫の診断を受けた一昨年の5月から、亡くなるまで1年半あったのに その間写真を撮ることが殆どありませんでした。 . . . 本文を読む
整理を始めてから1ヶ月半、先週の休みにようやく最後の荷物を私の家に 持ち帰ってきました。 殆どの荷物は処分することになりますが、それ以外の小物は兄と私で 分け合いました。 嫁入り道具の一つであった衣装ダンス、あまりにも大きく処分せざるを得ません、 その他にも食器棚や座卓、編み機やミシンその他もろもろ。 . . . 本文を読む
気丈であった母、でも体に現れる症状によっては私にだけ“もう死にたい” と言い、少しでも体調が良くなればおいしい食べ物の話を良くしていました。 病院の病室で、しかも他の患者さんがいる時に、“もう死にたい”と言った時は 正直どう対応して良いか解らず、何ともいえない悲しさと、みんなは希望を 持って世話してくれるのにそんな弱気でどうするのと怒りさえ覚えた時もありました。 . . . 本文を読む
後は、母を偲んで日々を過ごしていくことが故人の供養になるのかと思います。 これまで、母が亡くなってから仏事について聞いたり、調べたりすることが多く、 このような仏事に対するイメージもだいぶ変わりました。 今まで、仏事は形式的なことが多く、遺族はそのほとんどを年長者や葬祭業者に頼らなくてはならないと思っていましたが、大まかな流れはあるもののそれ以外はかなり自由に 決められるというものでした。 . . . 本文を読む
母が亡くなって今日でちょうど1ヶ月になります。 今度の日曜日には納骨があり、これでやっと、先に逝った父と一緒になることが 出来ます。 先日、最近の母の写真を見返していると、その数の少なさが残念でなりません。 もう少し写真を撮れば良かった、ビデオにも残しておけば良かったと後悔の 気持ちで一杯になります。 . . . 本文を読む