娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

母の闘病生活4

2009年11月28日 09時02分19秒 | 
11月11日、この日は以前に予約した診察日でした。 兄夫婦と私たち夫婦で付き添うことになり、兄夫婦は転院後初めての付き添いでした。 いつものように受付を済ませると採血、体重測定、血圧測定となり、 この日に限って体調が良かったみたいです。 これまでは、受付を済ませると処置室のベッドで診察時間まで横に なっている事が多かったのですがこの日は違っていました。 . . . 本文を読む

母の闘病生活3

2009年11月27日 08時50分23秒 | 
8月13日が退院日でした。 そして、4人の生活が始まりました。 階段の上り下りは難しく、転倒のおそれもあるので普段使っている1階の居間に 母が寝むれるようにスペースを作りました。 母の部屋兼、リビングでありダイニングということになりました。 また、デイサービスの申し込みも行い、毎週水曜日に近くのセンターに行く ことになりました。 . . . 本文を読む

母の闘病生活2

2009年11月26日 09時05分13秒 | 
主治医は一人暮らしが無理であることを理由に、兄か私に同居を提案してきましたが、 そのことを母に伝えると自分で出来る内は一人暮らしで頑張ると言っていました。 その間、週に2~3回様子を見に行き、一人暮らしが無理なら私のところで 同居するつもりでした。 前もって妻には了解を得ていました。 . . . 本文を読む

母の闘病生活1

2009年11月25日 12時58分21秒 | 
多発性骨髄腫、そう診断されたのは昨年の5月でした。 その時は、腰や背中の痛みを訴え母自ら病院に行き検査入院をしました。 入院してまもなく母から電話があり、入院したことを伝えられました。 5月のゴールデンウィーク前の事です。 きっと心配させまいと私たち息子には黙っていたに違いありません。 . . . 本文を読む

母が亡くなった今

2009年11月24日 12時53分45秒 | 
亡くなる前後を含めて10日間、あまりの忙しさに1ヶ月もの時間が 経過した感じです。 通夜、告別式も終わりこれから納骨の準備をしなければなりません。 思い起こせば、家での母の存在はとても大きなものでした。 自分が不治の病であることを知りながら、気丈に振る舞っていました。 日毎、体力の衰えや痛み、食欲が無くなっていることから自分で死期の訪れが 早いことを感じていたんでしょうね。 . . . 本文を読む