娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

昔のアルバイト(塗装工編)

2006年05月24日 08時30分27秒 | アルバイト
高校の夏休みを利用して出来る、短期のバイトを探していた時、友人の父親が経営する塗装屋でアルバイトすることとなりました。

期間は1が月で、団地の部屋のドアや室内の塗装です。
場所は忘れてしまいましたが、向島の近くの巨大団地群です。
この団地群は、10棟くらいの建物が全て繋がっていて端から端まで歩くとすごい長い通路となる面白い建築でした。

そこでの仕事は、塗装の手伝いで塗装前の地金出しや下塗りがほとんどでした。
本塗装はさすがにやらせてもらえませんでしたが、その仕事内容はそれまでの
どのアルバイトよりもハードで辛かった思い出があります。

真夏の7時半頃から仕事が始まり、終わるのは5時頃でただでさえ暑いのに、室内の塗装です。
完成前なので当然クーラーはなく、まるでサウナ状態だった覚えがあります。
とにかく暑く、それに結構力がいる手作業です。
玄関ドアの地金出しは、ただひたすら紙ヤスリと、スクレーパーを使用し、さびが浮いている所全てをきれいにするものです。
これが辛い、ドアの下の方はしゃがんだ格好でやらなければず、しかも力を入れないと簡単にさびは落ちないのです。

これを10日間位やり、次の仕事は室内の下塗りですがこれも辛い。
その時の下塗りは全てハケを使うのですが、外は炎天下、風通しのない部屋の中で
しかもシンナーを含んだ塗料を扱うのですから、もう地獄のような環境です。

この様な環境でも、本職の人は大丈夫みたいで口や頭にタオルを巻いて平然とやっていました。

私の場合、倒れることはありませんでしたが、頭痛と吐き気、それとシンナーで
ラリッたような状態となり、今で言う二日酔いみたいなだるさを経験しました。

目はうつろとなり、ろれつが回らなくなってくるのが自分でも判るくらいの状態でした。この状態を見ていた職人の親分みたいな人が、これで倒れたら大変だと思ったのでしょう2,3日で他の仕事に回してくれました。
もう25年前なので、そのような劣悪な環境でもあまり問題視されなかったか、
それが塗装業界の常なのかはよく解りませんが。

他の仕事に回してくれはしましたが、今度は塗料運びです。
これも最悪で、職人が本塗装を終え、上の階に移動する時の塗料運び、これも
重労働でした。
何種類もの塗料やシンナーが、それぞれ一斗缶に入っているので思いのなんのって。

とにかく、良い思い出の無い、辛いだけのアルバイトで時間給も700円くらいだった気がします。
このとき程、金を稼ぐことの大変さを思い知ったことはありませんでした。


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